狼の帳(勘長)



からん、と。何かが欠ける音がした。
一つ明かりの灯る部屋で、それは途絶えた。

「尾、浜」

あまり呼び慣れぬ名を口にする。滅多に言を交わさない相手だった。ただの後輩である男だった。
それがどうして今こうなっているのか。
何時ものように帰りの遅い恋人を待って本を読んでいる最中だった。突然天井から降りてきて、気付いたらこの有様。寝巻きの腰帯が遠くへと捨てられる。
自分より幾分か細い指先が、露わになった胸板をなぞる。直接肌に触れる外気に、無意識に肩が震える。

「ああやっと触れられた」

その声は狂喜と狂気に満ちていて、酷く歪んでいた。彼の口元も、精神すらも。
離れなければと思った。逃げなければと思った。もうすぐ恋人が帰ってくる。おかしな姿を晒す訳にはいかない。逃げなければ、離れなければ。早く、早く、早く!

「中在家先輩」

温もりに包まれた。自分より幾分か小さな温もりだった。皮膚越しに、微かだけれど鼓動が伝わる。生きている音がした。
ほんの少しだけ震えていた。

「ずっと触れたかった」

あなたに。
耳元で囁く声はやはり狂喜と狂気に満ちていて、それなのにやさしくてさびしくていとおしくて。
ああ自分は食べられるのだと悟った。
こんな小さな(といってもたった一つの差だけれど)に、骨の髄まで喰らい尽くされるのだと思った。
もうすぐ夜も更ける。愛しい恋人が帰ってくる。逃げなければ、離れなければ。ああ、早く、早く、早く!

「長次、先輩」

わかっているのに。
どうしても突き放せないことこそが自分の甘さなのだと、ずっと前から理解していた。こんな泣きそうな顔をして縋って来る後輩を、もう受け止めるしかないのだと思った。
後輩の指が口が、隅々まで全身を這う。
吸い尽くさんと。喰らい尽くさんとして。

(こへい、た)

愛しい愛しい彼の名を呼んで。
ごめんな、とか細い声で呟いて、静かに兎は目を閉じた。

















兎はないていた。
狼もまたないていたなんて、兎は知りようがなかった。

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