溺れる、(長こへ)



辛いだなんてそんな嘘、今更吐かなくたって良かっただろうに。








七松は立ち尽くしていた。紅い海の中、一人で。目の前にはとある家族がいた。以前怪我をして倒れていた自分を助けてくれた家族だ。母親は優しく、父親は厳しさを装いながらもやはり優しかった。息子と娘は幼い故かやけに素直で、すぐ自分に懐いてくれた。
暖かい笑顔がそこにあった。こんな穢れた自分でも、受け入れてくれる場所がそこにあった。
けれど、今はもうなくなってしまった。
(奪ったのは誰?)
開いた瞳に、鮮やかな紅に染まり倒れる彼らが映る。ああ、こんな冷たい表情だったろうか。こんなに冷たい人間だったろうか。
「小平太」
ざっ、と音がして、しかし七松は振り返らなかった。
名前を呼んだのは級友の中在家だった。紅で塗れた縄標を片手に、七松に歩み寄る。鉄臭い匂いが、辺りに充満していた。
「あちらは終わった。そっちは、……?」
問おうとして、中在家は言葉を止めた。一つの違和感を覚えたのだ。毒々しい色に染まった草を踏みながら隣に立ち、七松の視界を奪うそれに目を向ける。
その人物は中在家も知っていた。七松の帰りが遅いと心配して迎えに行った際、鉢合わせた。何ともまぁ人の好さそうな家族であった。
彼らに囲まれた七松は、やけに楽しそうだった。ある種、委員会活動や鍛錬で汗を流しているときよりも、至極。死とか生とか、そういうことに無縁な家族だったからかもしれない。忍であれど、人として一度は望むはずの穏やかな雰囲気が、そこにあった。
その家族が、何故ここにいるのか。これほどまでに紅く染まって。
「小平太」
「私が」
声を掛けようとして遮られてしまえば、中在家は大人しく口を噤んだ。次の言葉を待つ。
重たい沈黙が数瞬続いて、やがて七松の唇が小さく震える。
「私が殺した」
中在家が黙って目を見開くと、次いで七松は握った拳をただ震わせた。良く見なければ気付かない程度のものであったが。
七松ほどの人間が、誤って一般民を殺めてしまうはずがない。それ以前にここは、危険地帯として定められている森。ましてや兵でも忍でもない彼らのような一般民が、この森に入って来られるはずがないのだ。
そこまで考えついて、中在家は一つの結論に辿り着いた。
まさか。
「使者だったんだって。私を、殺すための」
問う前に出た答えは、中在家が予想していたものと全く同様であった。
拳を握り直し、ぽつりぽつりと続ける。
「全部計算だったんだって。あの日助けてもらったのも、何度か再会したのも、今ここで会ったのも、全部、全部。…私を容易く殺すための小芝居だったんだって」
言うや否や、七松は俯き、今度は目に見えてわかる程小さく肩を震わせた。中在家は瞳を丸めて、やがて細めた。顔の筋肉が強張る。さらさらと流れる風に乗って伝わる音が、何時もより騒がしい。ああ、何て声を掛けてやれば良いのだろう。
七松は特に人の感情というのに敏感だ。自身が昔、あまり良くない経験をしたからかもしれない。だからこそあの家族にそれを求めたのだろう。人として、本来あるべきはずである幸せを。
それなのにこの様だ。
どうやって慰めてやれば良いのだろう。中在家は逆に、人の感情に鈍感であった。過去はあまり関係ない。こうした環境の中で生きていくうち、自然とそうなったのだ。それはきっと、中在家だけに言えることではないだろう。
「長次」
名を呼ばれ、なんだ、と返す。少し冷たい言い方になってしまった。
七松は続ける。
「辛い」
ざあ、と一際大きく風が吹いた。七松の長い髪が揺れる。それに隠れて、彼の表情を確認することはできなかった。それでも何となく、今の彼がどんな顔をしているのか、鈍感な中在家にもわかったような気がした。
幾分か背の低い彼の体を抱き寄せ、そっと片手で目を覆い隠す。体は興奮からか熱を持っているかのように温かいのに、そこだけは何故か、少しだけ冷たかった。
「長次」
「ああ」
「辛い」
「ああ」
「辛い、辛いな」
夢現のまま、彼は暫く同じ言葉を吐き続けた。そして中在家は返答の代わりに優しく頷き、彼を強く抱き締める。伝わる体温が、腹から流れる血によってか、少しずつ冷たくなっていく。
死体は眠ったまま何も言わない。ただ悔しげな顔をしてそこにあるだけだった。






やがて彼が意識を失ったころ、中在家は彼の体を姫抱きにして抱え上げ、ひょいと飛んだ。
噎せ返る血液の匂い。それに僅かに混ざる、お日様の匂い。
目元についた涙の筋をそっと唇でなぞり、切なげに眉を寄せ、愛していると囁いた。








[ 4/7 ]

[*prev] [next#]
[戻る]


「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -