また君に恋してる


「足し算じゃなかったんだ。引き算でもない。視えないところこそ重要だったんだ。人は……ヒトは、心臓を抜かれた時こそ美しい」

それは乗算。それは余剰。それは、……なんでもいい。なんでもいいよ。見た目は何も変わらないんだ。ヒトは見た目だけは完璧に出来ていたんだ。

「それが朱織の答えなの」

20年近く聞き続けてきた、耳に優しい声が頭に響く。

「……にいちゃん」

振り返る。誰もいない。がらんどうの冷たい空間。ここは僕の家の地下室。にいちゃんと僕の、秘密の部屋。たくさん、他人の血を吸ってきた部屋。

「朱織はそれでいいんだね」

棒読みの声。筋繊維の切れたような顔が浮かぶ。にいちゃん、ともう一度呟く。それから、うん、と頷く。いいよ。僕はこれで。僕の答えは、これだ。僕は答えを出した。永い永い、自問自答の出口を見つけた。
僕は振り返るのをやめる。僕の正面にはひとりの男。にいちゃんじゃない。僕の大好きな人。にいちゃんじゃない。僕とずっと一緒にいてくれた人。僕を何度も何度も助けてくれた人。僕をいつも守ってくれた人。にいちゃんじゃない、僕の愛しい人。
僕は新品のメスを手に取った。

最高に興奮している。息が荒くなって肩が上下する。
顔全体が紅潮しているのがわかる。頬にあたる空気が冷たい。
脇に汗がじっとりと張り付いて、嫌な感じ。だけど気分は最高だ。
握りしめていたメスを床に落とす。新品だったけれどもういい。
きっとこれから使うことはないから。足の裏を切らないように、けれど強く力を込めて、床のメスを踏み躙った。それからまた視線を最愛の人に向ける。ああ、涙が出そう。大好き、大好き、大好き。切り開かれた真っ赤な胸から、宝石のようなごみ屑のような、無機物のような生き物そのもののような、肉塊を取り上げる。目の高さまで掲げて、まだ熱く波打つそれに口付ける。さようなら、無用の長物。お前はただの生ごみだよ。間違って蛇に付いた足と同じ。本来付いてちゃいけないものだから、取り除かなきゃ。僕はそれも床に落とす。ぼと、だか、べちゃ、だか、鈍い水音をさせて無様に転がるそれを、素足の裏で優しく撫でる。さ、よ、う、な、ら。声は出さずに唇を動かして、ぎゅ、と踏みつけた。熱い。ぐじゅっ。流石筋繊維の塊。踏み潰せないや。でも、気が済むまで踏みつける。ぐじゅっ、ぐじゅっ、ぐじゅっ、ぐじゅっ、ぎゅっぎゅっぎゅっぎゅっ、ぎゅる。自然、僕は笑っていた。楽しくって仕方ない。わくわくが止まらない。どきどきが果てしない。まるで恋してるみたい。

「あははっ」

僕は確かに恋してるんだろう。かつての恋人を思い出す。あの時よりも胸が高鳴るなんて。こんなことがあるなんて。僕は確かに恋してる。僕はやっと作り上げた完全体に、恋してる。

「あははっ」

もう一度笑ってみた。
冷たいタイルに音が染み込んだ。
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