【願求環】8


続.

と俺は嘘を吐いたのだった。
理由は何でもない、‘当主’に命じられたからだ。
俺はあの方に仕えているのではない。
‘当主’を通して、あの方に使役されているに過ぎない。
だから、彼は死んだことにする、弟にはそう振る舞えと言われればそうする。
せざるを得ない。
どんなにあの小さな肩が震えても。
黒真珠が濡れても。
俺はこの家に仕えているのだから。俺は‘当主’に仕えているのだから。

「だけどお兄様が亡くなって……この家が、私のモノになって。それで、今、話せるのね」

怒るわけでもなく嫌悪するわけでもなく、ただただ悲しそうに寂しそうに、悟ったように諭すように、言う。
俺は頷く。

「‘当主’は亡くなった。次期当主の筈だった彼は追放された。今、この家の総てが貴方のものです」

「だけど貴方はもうこの家のものではないのでしょ」

俺は返事をしなかった。きっと言葉が続くと思った。その通りに小さな唇が開く。

「いいの。わかってるのよ、もう。使役するのと愛し合うのは違うわ。所有するのと愛し合うのも違う。わかってるの、だから大丈夫」

美しい花が夜に咲いて朝までに枯れるように笑った。薄暗闇の中でそれはよく映えた。

「随分冷えてきました。そろそろ、」

「なら貴方が温めて。私はまだ聞いていたいの」

刺繍の花を掻き寄せて言う。我儘だ。だけどあの頃とは違う。我儘だとわかっていて言っている。俺はコートを脱いでサイズの合わない肩に掛けた。そしてまた話し始める。

「彼は死んだ。俺は嘘を吐いた。その証拠に貴方は彼の後姿を見ている。彼が追放された時のことだ。その話をしましょう」

話はまだ続く。



彼を棄てに行かなければならない。
裁判傍聴者共に「彼は死んだ。次期当主は死んだ」と告知したからには、彼を棄てに行かなければならない。彼はこの家にいてはならない。
追放だ。

「貴方は、向こう側でしょう?」

尚も彼は言った。変わらない笑顔で。

「そうです」

俺は返した。変わらない言葉で。俺は貴方を処刑する側だ。俺は貴方を追放する側だ。俺は貴方を殺す側だ。変わらない。何も変わっていない。

くたくたの体をだるそうに横たえて、彼は喋る。昏い部屋に彼の白が浮かぶ。

「ヤマトさんが、連れて行ってくれるんですか?」

「……俺が、棄てに行けと。命を受けています」

「では、最期に一緒なのはヤマトさんなんですね」

仄かに咲った。そんなことを言って。
そんなことを聞かれたら。本当に殺されてしまうかもしれないのに。

「いいのです。僕は兄さんに殺されたかった。もう、ずっと、前から」

だから、あんなことを?だから、実兄の目玉を穿り出して犯すなんてことを?俺は訊けないことを訊きたくなった。だけど訊けない。

訊いてしまったら、俺はこちら側ではなくなる。

「立てますか?行きましょう」

「はい。ヤマトさん、左側に立たれると、姿が見えないのですが……」

「ああ、はい」

彼のぽっかりと空いた眼窩。左側だけ。俺の恋人なら、好きな人とお揃いになって嬉しい。なんて言うかもしれない。
彼は左手を前に突き出して探りながら歩きだす。

「どこに行けばよいのでしょう?とりあえず、玄関かな……」

「その格好で?」

彼は白い長襦袢しか身に纏っていない。それを指摘すると、彼は振り返って咲った。

「だって、死にに行くのでしょう?」

俺は頷いた。

「だったら格好なんてなんでもよいではないですか」

そう言って彼はするりと背筋を伸ばした。行きましょう、と言っているように見えた。

玄関まで行ったところで、‘当主’に呼び出された。

「ひとりで行け」

あまりにも酷だろう。しかし彼は艶やかに咲う。

「はい、にいさん」

「兄さんなどと呼ぶな。気持ち悪い」

にやにやと笑いながら嬉しそうに、‘当主’は言った。後は酒を呷るばかりで何も言わなくなったので、俺と彼は並んで部屋を出た。

「では」

そう言って一礼して、彼はひとりで家を出た。

「さようなら、ヤマトさん」

最期にひとひらの咲みを遺して。

俺は末弟のもとへ行き、彼の後姿を見せた。
これが狙いだったのだろうと思ったからだ。
震える小さな肩を後ろから眺めながら、その肩越しの白い後姿を見つめながら、俺は考えに耽った。

実兄を慕う弟。弟を追放する兄。
どちらも正しくない。
愛し方も愛され方も。突き放し方も受け入れ方も。
拗れ拗れて、片方の退場が決まってしまった。
なのにどちらもまだ終わりを感じさせない。まるで遊びの延長だ。
まるでぐるぐる廻るメビウスだ。矛盾の輪はいつまで続くのか。
矛盾の輪はいつまでも続く。それを眺めているのは誰だろう。
末弟か、俺か、他の誰かか。焦点を目の前の黒い後姿に合わせる。
泣いているのだろう、肩の震えが止まらない。この方なのかもしれない。
矛盾の輪に入れずに、眺めているしかない哀れな存在。
かわいそうに。かわいそうに、



なんて思っている俺はどこにもいないのだろうが。






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