*穢れを知らぬ
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*ほんのりモブ要素とちはしろ



 「・・・さまっ!舞白様!!」
眼前で弾けた声に驚いて、意識が一瞬でクリアになった。目の前にあるのは、弟のボディーガードをしてくれている彼の顔。
「あれ?やまと、くん?」
・・・だと思うのだが、混乱のせいか上手く焦点を結べず、きちんと見えない。
「大丈夫ですか?いや、この状況で大丈夫も何もなさそうですけど」
「え?この状況?」
記憶が完全に飛んでしまっていて、何が起きたのかも、今自分がどんな状況であるのかも分からない。慌てて自分の姿を見て状況を把握しようとするが、相変わらず目はきちんと機能してくれていなくて、仕方なく、手で顔をこする。
「こすったらダメです。顔が赤くなりますから」
やまとが制止の声をかけるが、それよりも何やら自分が心配されているらしい状況が落ち着かなくて、一刻も早く現状を知りたかった。
 ようやく晴れた視界に映ったのは赤と白と黒。赤はどうやら自分の血らしいということが分かる。やけに腕や足が重いのはそのせいだろうか。続いて、白は、・・・それが何かに気づいた瞬間、舞白は全てを理解した。そして、急いで黒・・・やまとがかけてくれたのであろう黒い上着を脱ごうとする。
「舞白様!無理に動いたらダメです。そのまま、それかけててください!」
「でも、汚れるから。もう、汚れちゃったかもしれないけれど」
「いくら汚しても問題ないものです。そのまま被っていてください。せめて、屋敷に戻るまでは」
「・・・分かった。ごめんね?後できちんと綺麗にしてから返すから」
舞白は困ったように微笑んだ。その顔を見て、やまとは胸が締め付けられるような思いだった。

 とある廃工場の一角で、赤と白に染まって倒れている舞白を見つけた時はそれこそ心臓が止まるかと思った。普段の和服ではなく、見慣れないラフな洋服姿だったのだが、それは無残に裂かれ、真っ白な肌が露出している。そして、同じくらいに血で赤く染まっていた。特に捌け口となったのであろう下肢はその度合いが大きく、もはや服という服は見あたらない。おそらく、手首を拘束していた布きれがその末路というところなのだろう。

 「・・・やまとくん」
「はい」
小さい呼びかけにやまとは落ち着いて返事をする。今、一番、精神的な負担を負っているのは間違いなく舞白なのだから。
「本当にごめんね。だけど、1つだけお願いしてもいいかな?」
「もちろんです」
「その、・・・そろそろ、律さんを止めた方がいいと思うんだ。死んじゃったら大変だから」
舞白の視線の先には、少し離れた所で数人の男を1人で伸した上に、私刑にかけている律の姿。加害者である彼らの心配をするとはなんと慈悲深いことか。
「そうですね。急いで終わらせてきますから、もう少しだけお待ちくださいね」
やまとはにこりと微笑み、律の方へと向かった。舞白を1人にするのは心配だったが、この距離だし問題はないだろう。それよりも舞白からの願いだ。さっさと律に協力して終わらせて、屋敷へ戻らなければ。


 「舞白くん。大丈夫?」
なぜかやまとまで加わって一方的な展開になった乱闘はあっという間に幕を下ろした。そうして、傍まで戻ってきた律が聞く。
「大丈夫です。すみません。迷惑をかけてしまって」
「迷惑だとはまったく思ってないから大丈夫。夜中に誰にも言わずふらっと散歩に出ちゃったのは舞白くんが悪いけれど、それ以外の悪いやつに関しては今、地面とこんにちはしてるから大丈夫。・・・さて。さっさと屋敷に帰ろうか。早くお風呂入りたいでしょ?傷には滲みちゃうかもしれないけど」
「そうですね」
あっさりとそう告げる律に舞白は内心、少しだけほっとした。ほとんど無意識な行動であるとはいえ、夜の散歩についてもっと怒られるだろうと思っていたのだ。
「あ、もちろん、屋敷に戻ってさっぱりしたら、散歩の件については話をするよ?」
そんな舞白の思考を読んだかのように律が言う。さすがというかなんというか。
「・・・はい」
困った顔で小さく返事をしていると、
「舞白様。失礼いたします」
という、やまとの声。
「うん。・・・って、え?」
思わず驚きの声が漏れる。事前の声かけはあったといえど知らされずに横抱きにされれば、驚いても仕方ないだろう。
「動かないでくださいね。危険ですから」
「いや、大丈夫だよ。自分で歩けるから」
「念のためということでおとなしくしてなよ、舞白くん」
慌ててした反論は律にあっさりと切り捨てられる。どうやら逃げ場はなさそうだ。仕方なく、舞白はそのまま目を閉じた。



あちこちに痛みを感じながら、とりあえず風呂に入る。洗っても洗っても汚い気がして、しばらく擦っていたら、風呂場に慌てた様子の使用人が飛び込んできて止められたのでそこで手を止める。
 風呂上がりに自室へ戻れば、急な呼び出しに応じてくれたらしいいつもの医師がいた。診察を受けて大げさに足や腕へ包帯が巻かれた。
 急に呼び出すようなことになって申し訳ないと詫びれば、子供の気にすることではないといつもの優しい笑顔で言われた。
 医師が退室するのと同時に人払いがされ姿を見せたのは千羽陽。舞白は布団の上に正座をして、千羽陽は少し離れた場所に腰を下ろす。なんだか自室だというのにひどく落ち着かない。
「・・・申し訳、ありませんでした」
沈黙に耐えかねて謝罪を口にする。
「そう思うならもっと行動を考えろ。・・・しばらくはこの部屋から出るな。何かあるときは部屋の前に1人待機させるからそいつに言え。仕事の方も病欠として俺が処理する」
深々とため息をついて、早口でそう言った千羽陽はさっさと部屋から出て行く。
 怒っているのと同時にどうやら心配されていることも分かってすごく申し訳ないと気持ちになる。あの散歩癖も覚えがないとはいえど、『自分』がしたことに間違いはない。だから責められても当然だった。
 しばらく自責の念に刈られていた舞白はふとあることを思い出す。そう言えば、兄は自分に触れなかった。風呂に入ったとはいえ汚れてしまったのは確かだし、きっと触れられそうになったら『汚れてしまうから』と拒絶するだろうにそんなことを考えるなんてどれほど浅ましいことか。
「あぁ、汚い」
小さく呟いてみると急激な吐き気に襲われる。このままでは布団を汚してしまうとなんとか立ち上がり、外にいる使用人に袋を持ってきて欲しいと頼む。


あぁ。嫌われていないと良いな。今更かもしれないけれど。



 腹の中を空っぽにしたのに、それでもまだ吐き気がする。背中を摩ってくれようとしたのか伸ばされた使用人の手を拒んで蹲る。
「ごめん。汚いから触らないで大丈夫。食欲もないし、少しそっとしておいてもらってもいいかな」
休みたいんだと申し訳なさそうに言うと、使用人は少し困った顔で一礼してから部屋を出て行った。その様子を見送って舞白はそっとため息をつく。
「ダメだ。・・・汚い」
手を広げて見れば、もうそこにはないはずの白が見える。いつもならそんな風に感じないものなのに、他人のものというだけでこんなにも気持ち悪くて汚い。左手で右手を握り込むようにして手の甲に爪を立てる。せめて自分の赤で染めれば少しくらいはどうにかなるだろうか。いや、自分自身も汚れているのだから変わらないか。そんなことを考えながらも手は無意識に動いて手の甲をガリガリと引っ掻く。
「やっぱりダメかなぁ」
そう呟いて布団の中に潜る。闇の中はいつもと同じ黒で、何も見えないその空間はどこか安心できた。


 律は深いため息をつく。あれから3日経つのだが、舞白が食事を摂ろうとしないのだ。一応、水分だけはなんとかして摂らせているが、それだって足りていない。食事に至っては拒否が強すぎて、ほとんど何も食べていない。後で吐き出してしまっても構わないからと勧めてみても、口に物を入れたくないと困ったように返される。
「どうしたもんかな」
一日のほとんどを布団の中に籠もって過ごしているようだということも、他の使用人から聞いているし、このままにしておくわけにはいかない。しかし、おそらくこれは律が説得にあたっても好転しないであろう事態だ。仕方ないかとため息をついて、律は立ち上がる。足を向けた先は離宮。おそらくこういう問題は長引かせる前に直接けしかけた方が早い。

 「そんなわけでさっさと行ってこい、馬鹿兄貴」
「突然現れてずいぶんな物言いだな。一体何事だ?」
がらっと襖を開けて中で寝っ転がって酒瓶を傾けている千羽陽に言うと、いつものペースで返事が返ってくる。弟が拒食中だって言うのにつまみ片手に昼間から酒呷ってるんじゃねぇよ。
「分かってるだろ?舞白くんのことだよ。このままにしておくつもりか?」
「俺が言っても、汚れているから触るなというだけだ」
面白くなさそうに言うそれは拗ねた子どものようで、だからこの兄弟は面倒くさいのだとため息をつく。
「本当に汚れていると?」
「・・・どういう意味だ?」
「本当に舞白くんが汚れているとでも?」
こんなに簡単なことだというのに気づかないから、それを可能性として思いつくことができないからこんなにも拗れるのだ。
「そんなはずがないだろう。あれは綺麗な白のままだ」
「だったら、それをきちんと言葉で言ってやれよ。『汚いから来ないで』って言葉のまま放置したら、他人にも『汚い』って言われてる気分になるだろ。綺麗なままだっていうなら、抱きしめてそう言ってやればいいだけの話」
即答するくらいならさっさと行けよと思わずにはいられない。せっかくなので、捨て台詞にもう1つ。
「あぁ、・・・今なら、甘やかすチャンスだろうし、甘やかしても逃げないかもな?」
言うことを言ってすっきりしたので、律はすたすたと母屋のキッチンへ向かう。後で、さっぱりで温かいうどんを届けてもらおう。きっと、食べさせてくれるだろうから。


 あえて声はかけずにそっと襖を開ければ、正面に布団の塊。きっと、あの中に舞白がいるのだろう。ゆっくりとその塊に近づいて、横に膝をつく。そして、・・・一息に布団をはぎ取った。
 まさかそんなことをされるとは思っていなかったのだろう。急な明るさに目が上手く焦点を結ばないらしく、舞白は、呆然として瞬きを繰り返している。空いていた布団の端に胡座をかいて座り、強引に舞白を引っ張って、その上に乗せて後ろから抱き込む。
「え?あ、兄さん?ダメです!汚れちゃいますから!」
「何で汚れるんだ?血か?」
慌ててじたばたともがく舞白の脇の下に腕を通して腹の辺りを抱き込み、肩に顎を乗せる。そのままの姿勢でこちらへ伸ばされていた手を捕まえれば、その甲は痛々しいほどの爪痕で覆われていて、今もまだ血を流していた。
「そうじゃなくて、・・・その」
いざ言葉にするとなると言い淀む舞白の顎を捕まえて引き寄せて体をずらして唇を重ねる。
「んっ、・・・ぁ」
咄嗟に押しのけようと動いた手はそっと握って無効化し、長い長い口づけを交わす。角度を変えて何度もその呼吸を奪いながら、代わりに唾液を流し込んでやる。少しして、白い喉が嚥下の為に動いたのを確認して、唇を離す。ぜぇぜぇと荒い息を繰り返す舞白はくったりと千羽陽に体重を預けた。
「お前はどこも汚れてないだろう。お前の白は他に負けるほど淡くはない。それにまぁ、汚れたところで消毒すればいいだけだ」
体は後でだなと言って、廊下にいるであろう使用人を呼びつける。すると、ちょうど良いタイミングで律の料理が届いたようで、すぐに布団の横に小さな机が用意される。その上には美味しそうなうどん。
 千羽陽は舞白の体を左側へずらして、胡座の上に横向きで座らせるように体勢を変える。そして、空いた右手で器用にうどんを盛りつけて、ついでに人払いもしておく。左手に器を持ち替えて、少量のうどんを箸でつまみ、息を吹きかける。腕の中の舞白は未だに混乱状態なのかおとなしい。
「ほら、口を開けろ」
十分に冷まして、舞白の口元へとそれを持って行く。
「あ、あの。兄さん」
「口移しがいいか?」
「あ、いえ、そうではなくて」
「それならとりあえず食え」
反論はさっさと却下して、もう一度うどんを差し出せば、おずおずと舞白が口を開けてそれを口の中に入れ、咀嚼し、飲み込む。しかし、すぐに気持ち悪くなったのか、はたまた数日ぶりの食べ物に体が驚いたのか、口元を押さえる。
「大丈夫だ。さっき、上塗りをしたし、汚いことなんて何もない。ゆっくり落ち着いて食え」
そんな舞白の耳元でそう言いつつ、自分もうどんを口にする。
薄めだがしっかりと出汁のきいたうどんは相変わらず美味だ。どうせなら肉をつけてほしいと思うのだが、それは舞白の状況にふさわしくないので、黙っておく。
「もう一口」
落ち着いた所で、またうどんを口に運ぶ。そうすれば、舞白が口に入れ、咀嚼し、飲み込む。
「・・・あの、自分で、食べられますから」
しばらく繰り返したところで、だいぶ精神的に落ち着いてきたらしい舞白が言う。しかし、こんな楽しいことをやめる気など千羽陽には全くなく、
「やらせろ」
一刀両断される。そんなこともしつつ、ゆっくりゆっくり時間をかけて、舞白はうどんを完食した。
 一緒に運ばれてきたお茶も、千羽陽が湯飲みを持って、舞白の口元まで運ぶので、舞白は湯飲みに口をつけて飲むだけという状況だった。しかも、口の端から零れる分は、千羽陽が楽しそうに舐めとっていく。
 なんというか全てが恥ずかしすぎて、どれもが嬉しすぎて舞白の頭はパンクしそうだった。しかし、千羽陽の手は相変わらず舞白の腰の辺りをしっかりとホールドしているので逃げることもできない。もういっそ、誰かこれが夢だと言ってくれと言いたいくらいには幸せな時間だった。

 やがて腕の中ですぅすぅと寝息を立て始めた弟の顔は、隈の出来た目ではあったけれど、穏やかな表情をしていて、気持ちよさそうだ。せっかく『消毒』という大義名分があるのだし、今日はゆっくり時間をかけて甘やかしてみるのもいいかもしれない。起きた時が楽しみだなんてことを考えながら、千羽陽も1つ欠伸を落とす。


汚れたら上書きすればいい。最も、お前にはそれすら必要ないだろうけれど。


 

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