*逆転ウロボロス Part.R
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*逆転ウロボロスでちはしろ。ウロボロスはこっちでもウロボロス。





 チャイムの音で授業が終わり、周りの生徒たちが昼食のために席を移動していく中、千羽陽はぼんやりと机に頬杖をついたままでその情景を眺めていた。女子棟と男子棟が分かれた学園生活では、行事でも無い限り、周りは男子ばかりだ。
 しかし、男女の交際や接触が禁じられている訳ではないので、女子棟と男子棟の間にある特別棟(特別教室や講堂が集まっている)では、この昼休みにも逢瀬を重ねるカップルが数多くいることだろう。そして、このようなタイプに多いというべきか、同性カップルも多く存在するので、彼らは男子棟の空き教室などで逢瀬を重ねている。女子棟も同様なのかどうかは知らないが。
 教室にすっかり人がいなくなるのを待って、千羽陽は小さめのバックを手に席を立つ。向かう先は校舎の屋上・・・に続く階段の途中にある部屋。元々は倉庫であったというその部屋は、昔、千羽陽の真ん中の兄である舞白の逃げ場所だったという。
 持っている合い鍵で扉を開けると、中には小さいながらも快適な空間がある。空調完備で、ソファーとローテーブルがあり、小さな洗面台もある。この部屋を用意したのは、長兄の椿で、理由は舞白が落ち着いて昼食を食べる場所がなかったから・・・らしい。今でも伝説として残っている兄2人に関してはもう常識が通用しないので言及しても無駄というものか。
 そんな風に舞白のために用意された部屋は、長らくそのままになっており、千羽陽が同じ校舎を使うに辺り、教師から鍵と使用許可をもらって千羽陽のものとなった。
 洗面所で手を洗い、ソファーに腰掛ける。持ってきたバックをローテーブルに置いて、中から取り出すのは弁当箱と水筒。弁当の蓋を開ければ、食べ盛りの高校生に合わせて作られた肉主体の中身が見える。昔から変わらず、弁当を作ってくれるのは舞白だ。あまり寄り道をしない千羽陽なので、おそらく小さい頃から一番食べているのは舞白の料理だろう。
「いただきます」
食べ始めの挨拶は食材というよりも舞白への感謝をこめて。言い忘れると、椿にかなり怒られた覚えがある。そうでなくても感謝を忘れたことはないが。
 もぐもぐと弁当を食べながら、午後の授業について考える。今日は早く終わる日だから、早めに帰宅できるだろう。そう思いつつ、行儀が悪いと知りながらもスマートフォンを取り出して、通信アプリの新着を確認する。すると、舞白から買い出しのお願いのメッセージが入っていた。そういえば、今日は担当編集者が来るのだと言っていたから、買い物に行くのが難しいのかもしれない。そんな日くらい適当で良いのにと思わなくもないが、それを良しとしない舞白の性格は千羽陽も十分に知っているし、千羽陽としてもインスタントやレトルトより絶対に舞白の手料理の方が良いので、そんなことは決して口にはしない。
 買い出しの件に関して、了解と返事をする。弁当箱と水筒をきちんとバックに仕舞い直してソファーの背もたれに寄りかかって目を閉じる。しばらく休憩でもしよう。そう思ったのに、外から聞こえてきた声はそれを許してはくれなかった。
 声に気づいてしまったせいか、意識がそちらへいってしまい、話の内容が明瞭になる。どうやら、先輩後輩の同性カップルのようで。
「だめだって。人が来たらどうするんだよ」
「いいじゃないですか。最近、大会前だからって冷たいんだし。ここならこの時間は誰も来ませんって」
別に同性であることへの偏見は父親の仕事の関係もあってない。むしろ、女性に対する小さい頃からの苦手意識が手伝って、構わないと思っている。しかし、だからと言って他人様の情事を聞きたいわけではないので、ポケットからウォ−クマンを取り出し、イヤホンをつけて音楽を流す。ついでにスマートフォンで授業開始10分前にアラームをかけて目を閉じた。

 聞く気がなかったとはいえ、そういう場面に遭遇してしまったからだろうか。思考がそちらへ流されていく。食欲と同じようにそちらの欲求も強まるらしく、教室内でもそういう話題がでたりする。そんな時には、まず相手が同性か異性かから話が始まり、タイプやらオカズやらへと話が進んでいくのだが、千羽陽はたいていその話に参加しない。
 近くで話が聞こえていたり、対象が同性寄りでタイプが年上というところ辺りまでは参加するというよりも巻き込まれることがあるが、それ以上は口を出さない。周りも無理に詮索したりはしない。それは世間に比べて特殊な空間であるということもあるだろうし、伝説となりつつある兄2人を持つ千羽陽への気遣いでもあるのだろう。
 そんな千羽陽の対象はまさしくその兄2人であった。一番近い場所にいる美人2人だからというわけではなく、反応するのがそこだけなのだ。上の兄である椿は千羽陽にとって絶対の存在で、不可侵な気がしてしまい、そういう想像はあまりしない。しかし、一番、『美人』なのは間違いなく彼だと思っている。
 そして下の兄である舞白はまさしく性欲の対象だった。本人は椿と比較して何かと自分を卑下するが、舞白も整った顔立ちであることには違いない。さらに、その性格からか凛とした椿とは対照的に柔らかな雰囲気がある。
 椿が海外を飛び回って活躍している関係で家に帰ると、千羽陽はそんな舞白と2人きりになることも多い。衝動的に舞白を押し倒そうと体が動きそうになったことだってないわけではない。しかし、舞白の気持ちを考えずに先へ進めることはできないし、何よりも舞白に嫌われてしまったらと考えて自分を抑える毎日なのだった。

 そんな千羽陽にチャンスというかピンチが訪れたのはその数時間後だった。
買い物をして帰宅をすると、担当編集者の女性を舞白が玄関まで見送りにでていたところで、会釈と軽い挨拶でそれを見送り、舞白と千羽陽は中へ入る。買い物のお礼を言われて、舞白が夕飯の準備をしている間に風呂に入って、上がってきたらちょうど夕飯で。2人で夕飯を食べ終えて、舞白が片付けをするのを手伝い、終わった後で舞白が風呂に入って。そんな割とよくある夜だったはずなのに。どうしてこうなったのだろうと千羽陽は自分の下にいる舞白を見て思う。
 千羽陽の部屋に敷かれたラグマットの上に舞白が仰向けて寝ていて、その上に自分が覆い被さっている。その事実に頭が真っ白になりそうだが、弁解をさせてもらえるのならば、『事故』だ。千羽陽が押し倒したわけではない。
「あ、えっと。・・・千羽陽?」
固まったまま動かない千羽陽に舞白が声をかける。上目遣いで見上げるその表情は驚いたせいか恥ずかしさのせいか、頬に朱がさしている。
「・・・ごめん」
ぽつりと零れた声は何への謝罪か。千羽陽の手は、舞白の頬に添えられる。
「千羽陽?・・・もしかしてと思うけれど」
「ごめん。ダメなのは分かってる。けど、嫌わないでほしい」
抑えきれない衝動に流されるように唇を合わせ、呼吸を奪う。舞白の目が見開かれ手が藻掻くように動く。
 唇を離すと荒い呼吸音が重なる。息の仕方ってどうやるんだっけ。いっぱいいっぱいで頭が真っ白になる。
「・・・千羽陽」
同じように呼吸を乱したままで舞白が千羽陽を見上げる。片方の手を自分の頬に添えられた千羽陽の手に重ねて、もう片方の手は千羽陽の頬へと伸ばす。
「僕は男で、君の兄だよ。そのことは分かってる?」
諭すような質問に千羽陽は小さく頷くことしかできない。・・・嫌われてしまっただろうか。
「そんな顔しないで。別に嫌うとかそういうのはないよ。僕も学院の卒業生だから、偏見はないし、自分が対象にされることもあった。言いたいのはそこじゃないんだ」
そこで一度言葉を切って、舞白は目を伏せる。
「千羽陽。あのね、後悔をするようなことをしちゃダメだよ。優しい千羽陽のことだから、今まできっと抑えてたんだろうね。でも、それはきっと後悔の種だ。一番、近くにいたから少し勘違いをしちゃってるんだと思うよ。初めての経験を僕なんかで済ませちゃダメだよ」
「違う」
気づいたら遮るように声が出ていた。
「え?」
「舞白兄だからだ。2人がいればそれでいいし、こういう風になるのは舞白兄だけだ。それを、否定しないでくれよ」
椿には抱かない性欲。それは、舞白が一番近くにいたからというよりも、愛すべき対象である兄であるからだ。椿へのそれは崇拝で、一方で舞白へのそれはどうしても俗世的な汚い表現しかできないけれど。
 否定しないでくれ。でも嫌わないでくれ。そう繰り返す千羽陽を見上げて舞白は苦笑いを浮かべる。
「僕が千羽陽を嫌うことはないよ。大事な大事な人だから。もちろん兄さんもそうだけど。だから、・・・したいなら進んでもいいよ。ただし、千羽陽が後悔しないと誓えるのなら、ね」
想像していたよりもずっと舞白は優しすぎた。

 初めてのことで右も左も分からない千羽陽に舞白は1つ1つ教えていった。色々と抑えきれなくなってしまったせいで、きっと普通よりも舞白に強いてしまった苦痛は大きかっただろうに、舞白は、
「後悔しないといいけれど」
とばかり繰り返していた。何故、やり方について詳しかったのかは、友人に相談されて一緒に調べたことがあるらしい。ちょっとその友人とやらに嫉妬したが、随分と前のことらしいし、役に立ったので見逃すこととしよう。
 その日は2人で舞白の部屋で寝た。こっそりと布団に潜り込み(ベッドを譲られてしまった)、背中にくっつくように抱きしめてみたら、腕の中に舞白の体が収まってしまって、もっと自分が守らなくてはいけない存在なんだなと思った。

 それから数日が経ち、舞白と千羽陽は今までと変わらず生活をしていた。千羽陽が舞白に触れる回数が増えたり、少しばかり距離が近くなったりはしているが、概ね今まで通りだ。
 そんな中、椿が帰宅した。千羽陽には事前の連絡なしに帰宅した椿は、それでもしっかりと舞白には連絡を入れていたようで、千羽陽が帰宅すると、舞白が嬉しそうに夕飯を用意し、椿がリビングのソファーに座ってスマートフォンをいじっているという状況だった。
「・・・ただいま」
なんとなく気まずくて、しかしながら、帰宅の挨拶をしないわけにもいかないので、リビングに入ったところで固まってしまっていた顔・・・主に口を動かす。
「あら。おかえりなさい」
「おかえり、千羽陽。夕飯の支度もうできるから、先に着替えておいで」
「分かった」
変な緊張を感じながら、舞白に返事を返して、自室へと向かう。
 制服から部屋着に着替えて、ため息をつくと同時にノックの音と扉が開く音。
「ため息をつくと幸せが逃げるわよ。・・・あぁ、逃しても余りあるほどに幸せってことかしら?欲深い青少年?」
ドアの所に寄りかかり、こちらをちらりと見たその姿さえ絵になる長兄だが、その目は明らかに笑っていない。
「あ、いや・・・」
「弁明があるなら一応は聞くわよ。反映はしないけれど」
あの様子だと舞白は最近あったことを椿には話していないだろう。そして、千羽陽も恐ろしくて報告していない。しかし、さすがは長兄というべきか、雰囲気の違いで全てを察したらしい。
「・・・ない、です」
全ての非が自分にあることは十分すぎるほど自覚しているので、弁明することなどなく、自然とその場で正座をして椿に向かう。
「・・・そう。まぁ、あの子のことだから、『後悔しないなら』って受け入れちゃったんだろうし、仕方ないわね。ある意味で、予想はしていたし」
椿が深々とため息をつく。
「自己評価が低すぎるのも困りものね。自分の大切な物は自分を犠牲にしないと守れないと今でも思っちゃってるみたいだし」
だから、大切に守っていたっていうのに?と、椿の冷たい笑みが千羽陽に向けられる。それに対して、千羽陽は固い声で
「ハイ」
と返すしかない。
「一応、黙認はするわ。同意の上でしょうから。ただし、少しでも舞白が嫌がるようなことをしたら、いくら可愛い弟でもちょん切るから覚悟しておきなさいよ?あぁ、大丈夫よ。そこが機能しなくなってもしっかり可愛がってあげるから」
椿の目の奥に氷河期が見えた気がした。



 

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