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「それでね、わたしの指示がなくとも周りを見て行動してほしいの。だってもう入社して1年経つんだよ?」



 ジョッキに入っていた最後の一杯を惜しげもなく口に放り込んだ。「おい、もうその辺にしておけよ」向かいに座る一からは若干引き気味の声が聞こえてきた。それに従うかのように、すぐに店員さんを呼ばずに、代わりに先ほど頼んだ氷がすでに溶けきっている水を一口、口に運ぶ。
 …こんなはずじゃあなかったんだけどな。
 お互い社会人ということもあって、日にちだってお互いの日程を合わせないと滅多に会えないし、一は仕事人間だから常に残業しているし、かくいうわたしだって残業ばっかりで、定時に帰ったのなんて何か月前の話なんだろうか。だからこそ、こうやってお互いの顔を見て話す機会は本当に少なくて、だからこそ何気ない話で盛り上がって、楽しくお酒を飲んだりしたかったのに、お酒が入るとすぐにわたしが仕事の愚痴を喋り出すのだ。たぶん、わたしは一のやさしさに甘えている。なんでも「うん、うん」って頷いて聞いてくれる一に、頑なに仕事の話は話すまいと決めていたわたしも決意が緩くなって、現にこうしてみっともない姿を自分の彼氏に曝け出してしまっている。



「一はさ、そういうのないの?」
「ないっていうわけじゃねえけどよ…、話すほどのことでもねえ」
「たまにはさ、仕事のことも忘れてぱーっと遊びたいよね、仕事のことなんて一切考えられなくなるくらい」
「……」



 一は頬を掻いて、なにかを言いたげにしているように見える。急に黙り込んでしまったのを不思議そうに見ていると「行くか?」と、照れ隠しでもするかのようにビールを一気に飲み干している。行くって、どこへ。言い出しっぺのくせに一の行くか?の意味がよくわかっていないのは、酔いがまわっているせいだと思いたい。



「無反応だと困んだけど」
「ご、ごめん、…休みとか、どうすんの。ってか一の会社土日休みだったっけ?」
「土曜は出勤する日とかあるけど…日曜は休みだから、お前は?」
「わたしも大丈夫…予定とか全然、入れてない」
「じゃ決まりな」
「待って!ねえ、どこに行くの?場所とか…それに交通機関は?バス?新幹線で東京…とか?」
「お前がそんなこと心配すんな」
「えっ、ええ〜…?」
「昼の2時に家まで迎えに行くから、それまでに身支度済ませておけよ」



 わたしがどんなに聞いても、一はそれ以上なにも教えてくれることはなかった。









「一が運転してくれるの?」
「それ以外に誰が居んだよ」



 わたしの家の前に止まっていたのは、見たことがない一の車だった。車を持っていたことは知っていたし、車通勤していたことも知っている。けれど、デートではそういえば一度も一の車に乗ったことなんてなかったな、とふと思い出した。会えるのも平日の夜のほんの数時間だし、大抵は次の日はどちらかが仕事で遅くまで一緒に居ることはめったにない。決まってわたしたちのデートといえば「ごはん」だったし、こうして昼から一と一緒に居るというのもいつぶりだろうか。



「一ってタバコ吸ってたっけ?」
「…悪ぃ、嫌いだったか?」
「ううん、平気」
「昨日後輩と飲んでてさ、そいつ平気で人の車でタバコ吸いやがるから」
「後輩って?」
「高校んときの」
「後輩とまだ仲良いんだ、人脈広そうだもんね」
「まー…悪くはないとは思うけど、っつかシートベルトしろよ」



 はーい、返事を返してシートベルトをしっかりしたのを確認して、車のエンジンを入れた。一の車を見たのは初めてだし、もちろん一が運転している姿を見るのも初めてだ。車が動き出して、広い道路を走りだす。さすが手慣れているだけある一の運転はとっても乗り心地が良い。適当にかかっているラジオも、ぽかぽかと暖かくてちょうどよい日差しも、全てが好条件に感じた。



「そういえばさー」
「おう」
「一の高校んときの友達、たまに会ったりしてんの?」
「おー、この前4人で宅飲みした」
「本当仲いいね、及川くんの家?」
「花巻ん家」
「へえ、みんな彼女居んの?」
「なんでそんなこと聞くんだよ」
「妬いてる?」
「……ちょっと」
「一かわいい」
「かわいくねー」



 耳まで真っ赤にしている一は「こっち見んじゃねえよ」と視線を感じ取ったらしく、わたしのほうを見ずに言っていた。照れる一はなんだかかわいくて、そして何気なく聞いた言葉に妬いてくれているのが嬉しかったり。一の高校時代の友達には実際に会ったことはないけれど、よく話を聞かせてもらっていたし、写真でも見たことがある。特に一と仲の良い及川くんは、一の携帯のポップアップ画面にしょっちゅうLINEが表示されている。「みんなで集まったら何話すの?」と一に何気なく質問してみた。わたしも何か月かぶりに友達に会うっていうときには、決まって恋愛話になることが多いけれど、男同士だとなにを話すのか純粋な疑問だった。



「…大体あの3人は彼女自慢とかしてる」
「みんな彼女居るんだー!」
「松川に至っては女子大生と付き合ってっから」
「松川くんやるね!花巻くんは?」
「花巻は会社の同僚っつったっけな」
「及川くんは?」
「長年付き合ってる彼女と続いてる」
「一は参加しないの?」
「……しねえ」



 ちょっと期待してしまった自分がいることに恥ずかしくなった。…「しねえ」と言われたことに少なからずショックを受けたのかもしれないけれど。「確かに一がそういう風に言ってるの、想像できない」と苦笑いをすれば、胸が痛んだ。









「ここって…わあ、最近できた水族館じゃない?行ってみたかったんだよね!」
「電車でも行けるみてえだけど、結構歩くっぽいしな」
「一ありがとう!」



 一に連れてきてもらったのは、最近オープンしたばかりの新しい水族館だった。何度か仙台ローカルテレビで特集が組まれていたこともあって、行ってみたいと思っていたから素直にうれしかった。さっきまで落ち込んでいたわたしの心は一気に晴れやかになる。…単純だっていうことは自分が一番知っています。駐車場は、やっぱりオープンしたばかりということもあってほぼ満車の状態だった。なんとか一台分スペースを見つけたのを一に教えて、一がすぐに駐車しようと車を動かす。



「ちょっと悪ィな」
「うん?」



 と返事をしたのも束の間、一の手が助手席に伸びてきた。ハンドルを片手に車をバックさせている。途端にこの狭い空間の中で距離が縮まって、それに一切気付いていないで一発駐車を決める一の姿にものすごくドキドキしてしまった。車のエンジンを切って、ドアを開けて出たあともドキドキしっぱなしで、なんだか一が余計にかっこよく見えて仕方がない。「どうした?」と一に言われて、すぐになんでもないと返したわたしの顔はきっと真っ赤に違いない。一瞬にして熱を帯びたのがすぐにわかった。

 水族館に入ったあとも一はさりげなくわたしに気を遣ってくれていた。「お前は財布出さなくていいよ」と言われるがままに入館料は一があっさり二人分支払ってくれた。オープンしたばかりで人が多かったこともあって、「はぐれんなよ」と一言言ったあとにわたしの手を恋人つなぎでギュッと握ってくれる。水族館を回るペースもわたしに合わせてくれていた。



「わ〜、こんな色がきれいな魚もいるんだね!」
「青一色って、そうそう見ねえよな」
「クラゲもさ、こうしてみるとすごくきれいだね」
「…連れて来て正解だったわ」
「え?」
「今日くらい仕事のこと忘れてもいいんじゃねえのってこと」
「うん、…ありがとう一、だいすき」



 やっぱりわたしは単純だよ。ホント、さっきまで落ち込んでいたのがバカみたいに思えてくるし、今日は一日一とこうして一緒に居られるんだもん、仕事のことなんて考えている暇なんて全くない。一とこうしてドライブデートしていられるだけで、それだけで十分幸せなんだよ。
 イルカショーがこのあと始まるという館内放送がなって、わたしたちもせっかくだから行ってみようということになった。全体を見たあとのイルカショーだったからちょうどよくって、ショーを見たらお土産コーナーに行ってみようと一に提案すれば頷いてくれた。イルカショーの会場へ向かう途中、歩いていると突然横から子供が走って飛び出してきて、わたしに軽く当たってしまった。ビックリして「わっ、!」と声を出したあとに、すぐに屈んで「大丈夫?」と声をかけてみる。子供は軽く頷けば「危ないから走んなよ」と隣から一の声が聞こえて来て、わたしと同じように屈んで、子供の頭を優しく撫でていた。「うん」と小さい返事が聞こえて、その場を去っていく。




「子供好き?」
「嫌いじゃねえ」
「今の、なんかお父さんぽかった、いいお父さんになりそう」
「なんだそりゃ」



 わたしが笑えば一のつられたように笑いだす。一が高校の後輩と今でも仲の良い理由がわかった気がする。慕われてるんだろうな、今も昔も。




「イルカショー楽しかったね」
「前の列だったら水ぶっかけられてたな」
「今度前の列行こうよ」
「濡れんだろ」
「カッパ持っていこう」
「っつうかお土産買いすぎじゃねえ」
「いいの、友達に自慢するから」



 ショーもお土産も見て、車に戻ると荷物の多さに一は呆れていたけれど、わたしは十分に満足した。友達と遊ぶときだって決まってごはんを一緒に食べるだけだったから、こうしてなにか形に残るようなものを買ったのは久しぶりだった。友達にはイルカ型のクッキーとか、チョコクランチとかをあげる予定。会社には…一とデートなんて言ってないし、このまま内緒にしておこう。



「一、今日はありがとうね」
「おう、俺も楽しかった」
「一が水族館連れていってくれるなんて思ってもみなかったよ」
「花巻の家でたまたま見たタウン情報誌に書いてあったからよ…」
「そうだったんだ」
「彼女と行こうかって呟いたら3人してすんげえ反応されて、もう絶対言わねえって思ったわ」
「もしかしてそのノリで彼女自慢になったの?」
「…まあ、そんな感じ」
「そっか、そうだったんだ」



 一って照れ屋だもんね、きっと3人にからかわれてたりしたんだろうな。想像したらちょっとおもしろいかも。わたしが落ち込むことなんて全然なかったじゃんか。一はちゃんと、わたしのことを大事にしてくれてるよ。



「一、また助手席乗せてくれる?」
「いつでも乗せてやるよ」
「約束ね」



 最後は一がわたしの家まで送ってくれて、そのまま家に泊まっていってもらった。明日の朝も目覚めたら隣に好きな人がいる。そう思うと、仕事のことなんて考えている暇なんて全くないよね。



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さわだ様
岩泉一の場合