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携帯の着信音が、わたしを夢の中から引きずり出す。僅かに開いた瞼からみえた部屋は薄暗くて、まだ朝の早い時間であることをぼんやり理解すると、未だ鳴り響く携帯へ布団に入ったまま手を伸ばした。


「……もしもし…」
『おはようなまえ!!俺だよー!』
「…息子なんて産んでない…」
『オレオレ詐欺じゃないから!及川だよ、愛しの及川徹くん』
「……」
『……うん?え、なまえ?』
「………」
『起きて!起きてー!!』
「ん…起きてる、起きてる…」
『本当かなぁ…まぁいいや。俺今なまえの家の前にいるんだけどさ、ちょっと出かけない?』
「あー…ん…?……え、は?」
『あ、起きた?』
「え、家の前?…家の前ってなに」
『窓の外みてみて』


半信半疑でカーテンを開けて、少し視線を下ろすと、見慣れた車と人の影。手らしきものがゆらゆら揺れて、それが電話の相手だと認識するのにそう時間はかからなかった。


「…いま何時」
『えーっとね、五時過ぎ』
「うわ…え、なに、なにするの」
『だからさ、出かけようよーって』
「えー……」


当然断る、朝五時に突然出かけようなんて。普通なら、彼以外の誰かなら間違いなくそうする。覚めきっていない頭で気持ちが揺れるのは、やっぱり相手が彼だから、というところにあるのだろう。


「…うーん………」
『……なまえに会いたくて来たのになぁ』


それが粗方、わざと発せられた言葉だと長い付き合いだからわかってはいたのに。わたしは観念し、一つため息をついて、寒さに縮こまりながら布団から抜け出していた。




「なに、俺の横顔に見惚れちゃった?」
「ドライブなんて珍しいよね」


寒さを凌ぐための流行もかわいさもない服に、顔だってすっぴん。今更そんなことに対しての恥じらいなんて持ち合わせているわけもなく、自販機で買った缶コーヒーを冷たい指先で弄びながら聞き飽きた冗談をスルーする。


「昨日マッキーの家でちょっと飲んでてさ」
「うわ飲酒運転」
「二本しか飲んでないですう。それにもう十時間くらい経ってるもーん抜けてるもーん」
「もん言うな。で、飲んでてどうしたの」
「ああ、それでさ、ベッドの下に雑誌があるの見つけちゃって」
「エロ本?」
「と思うじゃん、期待するじゃん?全然違うの、ただのタウン誌だった」
「はは、残念だったね」
「なんか悔しかったから読んだんだけどさ」
「読んだんだ」
「デート特集にドライブデートのススメみたいなの載ってて。女の子はドライブデートでイチコロって書いてあったから」
「わたしをイチコロにさせてどうするの」
「…そっか、なまえはもう俺にメロメロだから必要なかったね!」
「前みて運転してよ」


こんな馬鹿げた会話ももう数えきれないほど交わしてきた。体もわたしたちを取り巻く環境も変わったのに、話すことはいつもこんなことばかり。それがなんだかおかしくて、窓の外でまだ暗いままの空を見上げた。そういえば徹とドライブなんて、いつ以来だっけ。


「ちょっと前はよくドライブ行ったよね、俺たち」
「徹が免許とったばっかの時はいつもドライブデートだったもんね」
「十代の頃は地味に夢だったんだよー、助手席に彼女乗せてドライブとかさ」
「へえ、そのわりにはすっかりご無沙汰じゃないの」
「叶っちゃうと案外大したことなかったりするんだよねぇ。学生の時はめちゃくちゃかっこよく思えたんだけどなぁ」
「やあね、大人は」
「ねー」


初めて徹が運転するところをみた時はどんなだったかな。柄にもなくどきどきしたり、横顔をみてときめいたりしたような気がする。それももう何年も前の話。今はこんなにくつろいじゃって、これも大人になったからってことなのかな。大人って結構つまらないな、なんて苦笑すると、車が止まった。


「着いた!」
「……ねえ、この辺り何もないけど」
「え、あるよー」
「海しかないよ」
「海があるじゃん」


シートベルトを外しながら、さも当然のことのように降りるよう促してくる。真冬ですよ、死んじゃうんじゃないかな。そんなことを考えていると早く早くと急かす声が聞こえて、仕方なく車から降りた。


「うわ、さっむ…」


海辺の風は予想通り冷たく、頬がぴりぴりと痛んだ。早朝だけあって、風と僅かに波の音が聞こえるだけで、この静けさはなかなか心地いい。だけれど、やっぱり寒い。隙を盗んで車に戻ろうか、とも一瞬考えたけれど、目の前を鼻歌交じりに歩く背中をみていたらそんな気も失せてしまう。できる限り寒さから身を守ろうと肩をすぼめながらついて行くと、何時の間にか砂浜にまで来ていた。


「…よし、なまえ座ろう!」
「え、やだよ汚れるし」
「まあまあ、ちょっと待ってて」


徹はバッグから何やら取り出して、ばさっとそれを広げた。振り向いた顔は何故か自慢げで、広げられた何かを覗く。


「…それ、レジャーシート?」
「俺ってばできる男でしょー。さ、座って座って、間に合わなくなっちゃう」


半ば強引に腕を引っ張られて徹の隣に座らされる。座ったところで、辺りはまだ薄暗いし寒いし、何もすることがないわけで。だんだん眠くなってきたんだけど、ちゃんと生きて帰れるかな。波の揺れをみながらぼーっと考えた。


「(…というか、間に合わないって何にだ)」


ちら、と左側を向くと、徹が何かみつけたみたいに目を見開いて、それはそれは嬉しそうにわたしをみた。


「ねえなまえ、ってなんで俺の方みてるの、あっちあっち!」


興奮気味に指差す方向をみやると、海のずっと向こうから光がこぼれ出てくるのがみえた。それから暫くは時間の感覚がよくわからなかった。数分だったかもしれないし一時間くらい経っていたのかもしれない。時間が止まったみたい、なんてよく言ったものだ。ただ会話もなく、二人でずっと日が昇る様をみていた。


「……あー寒い!なまえ、手かして」
「ん」


太陽を反射した海を眺めながら左手をぽいと差し出すと、てっきり握られるのかと思ったのに、徹の指先が不自然に触れる程度。


「はい、返す」
「? どうも」


返された自分の左手に慣れない感触。その正体を探るために目の前に手を広げると、薬指がきらきらと光った。


「……え、なにこれ」
「気に入った?」
「いや気に入るもなにも…え、なんで指輪?」
「えー、鈍いなぁなまえ」


心底呆れたようにため息をついて、徹はわたしの左手をとった。それは宛ら、小さい頃夢みた王子様か何かのようで。


「俺と結婚してください」


エコーでもかかったみたいに頭に響き続ける言葉の意味を完全には理解できないまま、体が勝手に頷く。ほんの少し不安そうな顔をした徹が、口元を緩ませてわたしを抱き締めた。それでようやっと、その言葉を噛み締めて笑いがこみ上げたわたしの頬を、同時に涙が転がり落ちていた。




「寒いわ。殺す気か」
「感極まって泣いてたくせにー」
「泣いてるわたしみて号泣したくせに」
「水も滴るいい男!」
「鼻汁滴る及川さん」
「やめて!鼻汁はやめて!」


慣れない指輪の感触ごと包み込むように繋がれた手が、さっきまで冷たかったはずなのに何時の間にか熱くて。


「あと及川さんも他人みたいだからやめて」
「はいはい」
「これからはなまえも及川さんになるんだからねー。…ちょっと、どうしたの」


急に立ち止まったわたしの顔を覗き込んだ徹は、ぷっと噴き出して愉快そうに声をあげた。


「なまえ、顔真っ赤っか!変なとこで照れるよね、かわいいなぁもう」
「…うるさいバカ徹」
「及川なまえさーん」
「まだみょうじだから」
「でももうなるんだよ、及川なまえにさ」


ね、と首を傾げた徹自身が一番喜んでるくせに。うまい反撃の言葉も今のわたしには思いつかず、仕方なく力一杯手を握れば、馬鹿らしくなって二人して笑いが止まらなかった。

若い頃みたいな楽しさも騒がしさも今はないけれど、突然すぎるデートの誘いも、ドライブも、この時間も全部大人の特権なわけで。ああなんだ、大人も案外、悪くない。


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芹沢様
及川徹の場合