真っ暗な空間の中にあるそれは、まるで世界で唯一の色のように思えた。
この桃花を見たのは二度目であるにもかかわず、圧倒的な存在感を放つそれから千夏は目が離せずにいた。
見惚れていて──だから、気づかなかった。
「おやめくだ……ひゃ、ん!」
突然響いたあられもない声に、どきりとした。
千夏は弾かれるように顔を向ける。
そこには昨夜と同じくふてぶてしくふんぞり返る来栖刀護と、その彼の腕の中には、お盆を抱えてふるふると震える小柄な人がいた。
学ラン姿から少年だと思われるが、少女のようにも見える。
性別を逸した美少年の大きな黒瞳が、恐怖に揺れていた。
その様子をまるで楽しむかのように、来栖刀護は魅惑的な笑みを浮かべ──かぷり、と少年の耳に噛みつく。
「はうっ」
(な……!?)
鼻から抜ける甘い声。
視点が定まらない朧気な瞳が宙を泳ぎ、顔を真っ赤にしてぶるりと震える少年は酷く儚げで、サディスティックな感情を引き出す。
ごくり。
千夏は生唾を呑み込んで──ぶんぶん、と頭を振った。
「ちょ、ちょっと!」
直視出来ずに顔を逸らして、小動物に襲いかかる猛獣へ声をかける。来栖はつまらなさそうに一瞥をくれ、千夏の存在を認めると、にまりと口角を釣り上げた。
「後ろが好きか?」
「は?」
眩しいものでも見るかのように細められた瞳に見つめられ、千夏ははたと気づく。
四つん這い──尻を突き上げた姿のままだったことに、今更ながら気づいて慌てて立ち上がる。
「な、わけがないでしょう!」
来栖はくつくつと喉を鳴らして笑う。
興味が千夏へ向かったことで、来栖の束縛から解放された少年はうわーんと泣きながら、頼りない足取りで駆け寄ってくる。
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