境界線のトーテムポール


「…………ん、」

どれくらい寝て――正確には気を失って――いたのだろうか。
微睡む意識の中でぼんやりそんなことを考え、薄く目を開く。窓から漏れ入る明るい光に、ああ、そうか、朝か、と夜が明けたことを認識する。
起きなければ、と身を起こそうとしたが、それは腰に回された腕と、下腹部に走る鈍痛によって阻まれる。
再びベッドへ倒れ込み、腕の伸びている方へ視線を移せば、さらさらとしたグレーの髪からあどけない寝顔が覗いていた。昨夜の様子とはまるで違う彼の表情に、少し面食らう。

「やっちまったんだなぁ……」

決して後悔しているわけではない。それでもある一線を越えたのだという、ある種の感慨のようなものに襲われる。
まさか、出会った当初はこんな日が来るなんて思っちゃいなかった。ただの姉弟のような関係だったのが、いつの間にかそれ以上になってて。
傍にいることができる、ただ、それだけで幸せだったのに。
怖くなかったと言えば、それは嘘になる。でも、それ以上に彼と一つになれるのだという幸福感の方が何倍も大きかったように思う。
震える自分の肩を、落ち着くまで抱いていてくれた彼の心臓もまた、早鐘のように鳴っていた。そのことに何故か妙に安心したことは、ぼんやりした記憶の向こうで憶えている。
そんなことを考えながら、再び彼の寝顔に視線を向ける。

(こいつ、睫毛、長ぇんだ……)

普段は気恥ずかしくてなかなか正視できない彼の目元に新たな発見をして、少し、嬉しくなる。すよすよと気持ち良さそうに寝息を立てる彼の寝顔に、何ともいえないいとおしさを感じる。それは、彼と出逢わなければ恐らく知ることのなかった感情。

(――オレらしくもねぇな)

そんな自分にくつくつと苦笑を漏らし、再び視線を彼の方へと向ける。ばちり、と、視線が合った。

「おはよう」

視線の先、ぱっちり開かれた深い湖の色をした双眸。

「お……ま、?!」

まさか、起きているなんて思っていなかった。
いつだ。いつからだ。咄嗟に三依は彼に背を向けようとするが、ゆるく腰を抱いたままの腕によって阻まれる。ならばせめてもの抵抗にと、顔を見られぬようベッドに顔を埋める。

「こっち見んな」

さっきまで散々彼の寝顔を見ておいて理不尽なことを言う。

「それは無理」

「……、てめぇ、いつから起きてた」

「やっちまったなぁ、辺り」

「ほぼ全部じゃねぇか……」

がくりと脱力し、うなだれる。

「……なあ。本当に、後悔してねぇの?」

恐らくさっきの発言を聞いて、彼なりに考えていたのだろう。その声から伝わる緊張。
そんな彼の問いに、三依は小さく溜息をつき、口を開く。

「……今から、オレらしくねぇこと言うから。聞かなかったことにしろよ」

そう言って三依は一呼吸置く。
昨夜の情景、触れ合った肌の体温。さほど身長は変わらないのに、明らかに自分のものとは異なる逞しい体躯。声を出さないよう噛んでいた手を握ってくれたときの安心感。
少しずつではあるが、おぼろげだった昨夜の情事を思い出して、顔に熱が集まるが、幸い、顔は枕に埋まっている。

「……、すっげぇ痛ぇし、ハズいし、なんかもう、わけわかんなかった、けど。お前とだから、したいって思ったんだから。……あんま、そういうこと、言うな」

後半はほとんど聞き取れないほど小声ではあったが、それでも、彼にはちゃんと届いていたのだろう。緊張が安堵に変わる。

「そっか……、よかった」

ほっと一息ついて安堵した気配が、背中越しに伝わる。触れられた箇所を中心に、心地よい体温がじわりと広がるのを感じる。

「三依」

「…………、」

ちらり、と枕から顔を上げると、小さく笑う彼の顔が正面にあった。

「おはよう」

「……おはよ」

ようやく顔を上げた彼女の額に、そっと唇が落とされた。


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