金糸雀とベリアン



 


『お前、今のままじゃ埋もれるよ』

 ヘッドセットから響いた言葉を聞いて、反射的にわたしは「はぁあ?」とガラの悪いヤンキーみたいに相手を威嚇した。

『いや、なまえって大体ガチャめのロックで支配からの解放叫んでるじゃん? 言いたいことは分かるんだけどお前の声って絶対ロックボーカリストではないと思うんだよね』
「え、まって、まって、オブラートに包むって言葉知ってる? ちょっと言い方えぐない?」
『事実じゃん。もーちょい可愛い声でラブソングとか歌えよ。お前の曲なのにお前の声が浮いてんだよ』

 通話越しの彼は、春まで同じ音大に通っていた友人だ。
 わたしは声楽科、彼はピアノ科であったが、今は同じシンガーソングライターという肩書きで活動をしている同志である。自分で曲を作って歌詞を書いて歌えば誰だって名乗れる肩書きだからこそ、彼のように同じ熱量で創作に臨む友人の存在は大きく、卒業後も月に数度は連絡を取り合っていた。

「そも、わたしの声に合う曲ってなんなん。オペラまたやれとかそういう話?」
『ちげーわ。ちゃんと曲調選べばいいじゃん』

 例えばこんな感じでさあ、と彼が即興で紡いだのは、わたしが普段書く曲とはかなり雰囲気が異なったアップテンポなメロディだった。今風の転調を織り交ぜた明るい曲がヘッドフォンの向こうでハミングされて、『あっごめんコレ俺が使いたいわ』となんとも調子のいい言葉に笑った。

 彼も、わたしも、売れてはいない。お互い奨学金の返済にヒィヒィ言いながらその日暮らしをする身だ。そんな相手から唐突に下されたアドバイスにどれほどの価値を見出すかは、わたしの受け取り方次第である。だが、自分の世界に没頭しがちな創作活動において第三者の意見というのは結構重要なので、彼に限らずもらった意見はとりあえず頭の隅に留めておくというのがわたしのポリシーだ。
 可愛い声で歌うラブソング。今書きたい曲があるわけでもないし、挑戦という名目でやってみるのもアリかもしれない。

 お互いの進捗を報告しあって、音大出ても虚無しかないだとか、音楽教室のバイトで楽器を生徒に買わせろって言われただとか、連絡の付かない友達がまた増えただとか、そんな愚痴めいたやりとりで一頻りガス抜きをしたら、ハマっているスイーツの話でもして気持ちよく締める。それが彼と話す時のお決まりの流れだった。今日は最近コンビニにあるマカロンが案外美味しいという話をした。
 最後はおつー、またねーと挨拶をして、パソコンを落としたらあくびをひとつ。

 気がつけばもう20時を回っていて、窓の外はすっかり真っ暗だった。
 ちょっと焦って、わたしはマウスのすぐ横に放っていた金の指輪をはめた。


 少しの浮遊感を覚えたら、そこはもう別の世界だ。


 この世界はわたしの世界よりも文明的に遅れている部分が多いが、こと『自室』においてはわたしの部屋よりも、よっぽど『人間が住む部屋』として上等である。
 住む場所は防音性が抜群で誰にも歌を邪魔されなければ後はどうでもいいと思っているタチなので、ずぼらを極めたわたしが季節ごとにインテリアを整える丁寧な『自室』に慣れるまではかなりの時間を要した。

「主様、お帰りなさいませ」
「ただいま、ベリアン」

 ベリアンはわたしが今日もキャミソールと短パン姿なのを見るとぴくりと眉尻を跳ねさせて、薄手のガウンを羽織らせた。視線が合わない。「ごめんって」と手早く袖を通して、やっと彼の視線がこちらを向く。ピンクダイヤモンドみたいな煌めきを秘めた瞳がすぅっと眇められているので、今度はわたしが視線を外した。ごめんってば。
 貴族の前に出ても恥ずかしくない程度のマナーを覚えたい、なんて言ってから、ベリアンはわたしのだらしない部分に対して厳しい目を向けてくるようになった。けれど、その時を除けばベリアンはいつもふわふわの砂糖菓子みたいに優しいし、わたしをたっぷりと甘やかしてくれるので、多少凄まれたってへっちゃらなのだ。

「本日のお戻りは遅かったですね。お疲れではございませんか?」
「んー、ちょっと疲れちゃった。ご飯とお風呂ってまだ大丈夫?」
「はい、もちろんです。ロノくんとフェネスくんに伝えて参りますね。お紅茶の用意もいたしますので、準備が整うまで一息ついてください」

 いつも18時には指輪をつける事が多いから、2時間も遅くなったら執事たちの入眠時刻にも影響が出てしまいそうだ。そう溢すと、ベリアンはわたしをふかふかのソファに座らせて笑った。ロノもフェネスも、わたしが来るのを楽しみにしていたらしい。あとで会ったらお礼言わなきゃなあ。ツートンカラーの燕尾服を見送りながらぼんやり思った。
 わたしがうつらうつらしていると、5分と経たずワゴンが床を滑る音が聞こえた。「お待たせいたしました」という声に入室許可を返せば、開いた扉から紅茶の甘い匂いが香る。小さくお腹が鳴った。あっという間にわたし好みの甘さに調整されたミルクティーが用意され、口に含むとさっきまで喋り通しだった喉がじんわりと内側から温まっていく。

「これってアッサム?」
「正解です。もうルフナと間違えなくなりましたね」
「いっぱい飲んだもんねぇ」

 この屋敷にきて間もない頃、ベリアンに紅茶の好みを尋ねられたことを思い出す。『そういうの分かんないけど、よく飲むのはミルクティーかな』というふわふわ回答に対し、ベリアンが勧めてくれた茶葉がアッサムだった。ストレートでも甘みが強く、ミルクの中にあってコクを感じる味わいは初っ端に出されたダージリンよりも味覚に心地よく、ああ、わたしの好きな紅茶ってコレなんだなと印象深く脳裏に刻まれた。
 ベリアンが淹れたお茶の味を覚えてからというもの、わたしの選択肢は随分と狭くなってしまった。もうパック飲料の紅茶なんて飲める気がしない。仮歌やコーラスのバイトで細々食いつないでいる身だというのに、財布に大打撃である。

 紅茶をいただきながら最初にすることは、天使が現れなかったかの確認だ。襲撃はなくトラブルもなかったと報告を受けて、執事たちが無事平和な一日を過ごせたことに心底ほっとする。
 緊急事態であれば指輪を通して呼びかけられるけれど、彼らは極力わたしの日常を乱さないようにと過剰なまでに気を遣ってくれるから、そんな呼び出しを受けたことは片手で数えられる程しかないのだ。わたしを呼ばなかったせいで怪我人が出た時は『ヤバい時はちゃんと呼んでって言ったじゃん! 主の言う事聞けよ!』なんて怒ったこともあるが、日頃しっかりとトレーニングを積んでいる執事たちは結構頼もしくて、以降同じような事態は起こっていない。

 ベリアンから報告を聞いた後は、デビルズパレス宛に送られてきた手紙に目を通すのがわたしのルーティンだ。
 悪魔執事の主に課せられる仕事といえば有事の際に力の解放をする程度で、貴族社会で大切だとされる社交からは遠ざけられることが多かった。まあ、別世界出身故の価値観の違い、訳もなく向けられる嫌悪の視線なんかを感じてしまうと、そうされる理由も理解できる。
 けど、パーティや茶会、時折会議に参加する機会もあるのだから、やり取りがあるならその内容と相手の名前くらいは一致させたいと思ったのだ。主様、主様と持ち上げられるのなら、それに見合う面目も立たせたい。なので何回かグロバナー家に呼ばれた頃、ベリアンに急ぎの用件でない場合はこちらに手紙を回して欲しいと要望を出した。
 それから結構経つので、わたし個人に宛てた手紙もこの頃増えてきたように感じる。

「ねえベリアン、この『金糸雀をお迎えできれば』ってのは、この人が鳥を飼いたがってるってこと? 森で探してプレゼントした方がいいかな」
「いえ、これは主様を金糸雀に例えた恋文ですね」
「……お、おー……そうなんだ」
「こちらで処理をいたしましょうか」
「待って、ちょっと興味ある」

 一歩踏み出したベリアンを拒むように手のひらを向けると、彼は「へ」と声を漏らして目を見開いた。
 初めて見る表情がおかしくて「なにそれどういう感情なん?」とけたけた笑うと、彼はいくらか血色の良くなった肌を隠すように俯いて即座に佇まいを正す。次に顔を上げたらいつもの優しい微笑みが浮かんでいるのだから、つくづくベリアンは完璧という言葉が服を着て歩いているような男だ。顔も美しいけど、あらゆる所作もたおやかで、非の打ち所がなく、時折作り物かと疑ってしまう。
 なのでさっきの人間らしい表情はレア中のレアで、わたしはこの世界にスマホを持ち込めないことをこっそり悔やんだ。

「別にね、この手紙に思う所があるわけじゃないの。今度ラブソング作るから資料にしたいだけ」
「ラ、ラブソング、ですか」
「そー。新ジャンル開拓するの」

 改めてラブレターを広げた。参考になるワードはないかなとしげしげ眺めたけれど、とにかく言い回しがくどい。わたしが貴族のパーティで披露したオペラを小難しい表現で難解に褒め散らかしてくれている。アップテンポな明るい曲には到底合いそうもなかった。
 ああそうだ、とこちらの世界で使っているメモ帳を引っ張り出して、『可愛い声でラブソング』と書き留めた。とりあえずこのテーマに合う言葉やリズムを集めて、イメージを固めていこう。

「ベリアン、この人って本当にわたしのこと好きだと思う? それとも悪魔執事の主を利用したがってる?」
「後者の可能性も否定はできませんが、恐らく前者でしょうね。差出人の方はフィンレイ様を支持している派閥の方で、私たちに対しても友好的です。先日お茶会でお会いした際も主様にお声をかけていらっしゃいましたよ」
「えー、覚えてないなあ……」
「では、主様であればどのようなご返事をいたしますか?」

 隙あらばなんだってわたしの教育の材料にしてくるんだから、この執事は余念がない。わたしは「ん゙ー……」と唸った。

「……お茶会の時から素敵な人だと思ってましたー、けどわたしは天使との戦いに生きるからもっといい人を見つけてねー、みたいな?」
「素晴らしいです。後ほどこちらで文面を整えてご返事いたしますね」

 及第点をとれてよかったとほっとしたのも束の間。ベリアンはわたしの手から手紙をするりと抜き取って、にっこりと、それはそれは綺麗な微笑みを浮かべた。
 ふと思う。これだけ綺麗な顔をしているのだから、悪魔執事とはいえ恋愛のひとつやふたつ経験があるのではないだろうか。疼いた好奇心のままに「ねえ!」と呼びかけると、ベリアンは「なんでしょう?」と首を傾げた。

「ベリアンの初恋っていつ?」
「おや、それも資料になさるおつもりですか?」
「た、ただの興味だよ。嫌ならいいんだけど」
「嫌というわけではないのですが……その、少し恥ずかしいですね」

 先程の余韻と言うには色づきの濃い頬が、彼の抱いた羞恥を物語る。よく見れば耳まで朱に染まっているではないか。わたしはついにんまりと悪い笑みを浮かべてしまいそうになるのを抑えながら、「教えてよー」と袖を引いた。
 きっと彼は今、どこぞの麗しい令嬢との甘い思い出でも反芻しているのだ。どんな時でもその場に適した振る舞いができるベリアンの仮面をここまでひっぺがせたなんて、楽しくて仕方ない。
 対面のソファを勧めて「ご飯できるまでだから」としつこく恋バナを強請ると、ベリアンは観念したように腰を下ろした。よっしゃ。

「まず……私の初恋は最近なのです」
「えっ、もしかして現在進行系?」
「ええ、まあ、はい」
「うわうわうわ、めっちゃ聞きたい! 皆には内緒にする! どんな子? 好きになったきっかけは?」

 有事の際は執事たちに指示を出すことが多いからか、柔らかな印象とは裏腹にベリアンの声はよく通る。けれど今やそれはすっかり潜められていて、返事の歯切れもこの上なく悪い。
 対象的にわたしはワントーン高い声でキンキン騒いで質問攻めの構えだ。内緒にするって言った割に誰かが部屋の前を通れば丸聞こえになりそうだが、ベリアンが何も言わないので良しとする。

「その……出会ったばかりの頃は余りに奔放な振る舞いに戸惑うばかりでしたが……ふとした時に彼女の高潔さに触れたことが、気持ちに気づくきっかけだったかと存じます」
「はーん。おてんば娘のギャップに撃ち抜かれたと」
「高潔であったから好きになったかというと少し異なりますので……えっと、ギャップというよりは隠れた一面を私に見せてくれたことが嬉しかったのかもしれません、ね……」
「ほー、いいねぇ!」

 はにかむベリアンを見て、ああこれが恋をしている顔なんだと思った。いつも浮かべる精巧な笑みよりずっと人間らしい。見ているわたしまで幸せな気持ちになる。「他には?」とぐいぐいせっつくと、ベリアンはやけに真剣な顔で悩んでから、こちらをじっと見て口を開いた。

「向上心を持ち、日々研鑽を怠らない姿には尊敬の念さえ覚えます。叶うならお側でずっとサポートをさせていただきたいですね」
「えっ、ならわたしの担当執事やってる場合じゃなくない?」
「ふふっ、それはそれです」

 ベリアンはほっそりした人差し指を口元にやって「他の方々には内緒にしてくださいね」と続けた。わたしは首を縦に振ってそれに応える。
 ばらすものか。絶対墓まで持っていくと誓う。かみさま……は、なんかこの世界だと天使の親玉みたいで嫌だから、閻魔様に誓う。はいもう誓った。

 だってあのベリアンが!
 近頃はわたしの無作法を遠慮なくずばずば指摘してくる彼が。個性の爆弾みたいな執事たちの指導係として絶大な信頼を寄せられている彼が。貴族相手にも毅然とした対応のできる彼が。こんなにも瞳を輝かせて愛らしく笑う。そうさせるのが恋だ。
 その衝撃たるや凄まじく、余りの眩しさに目が眩みそうだった。

「落ちる、ていうより……気づくのか。そこから視線が奪われて、見る部分が増えて、どんどん相手のことを知っていく感じ……?」
「おや、やはり資料にしてしまうのですか?」
「こ、これはイメージを膨らませてるだけだからセーフなの!」
「お役に立ててなによりです」

 くすりと微笑んで、ベリアンは不意に扉の方を見て「夕食が出来上がったようですね」と立ち上がった。確かに、扉の向こうでロノのちょっと煩い足音が聞こえる。調理係の接近を察知して、わたしのお腹がご飯食べたさに鳴いた。まるっきりパブロフの犬である。

「主様、お手をどうぞ」

 手を重ねた瞬間、ふと彼の熱さに気づく。わたしはそれに気づかない振りをしながら礼を述べてソファから立ち上がった。
 恥ずかしかったろうに、わたしがねだったばかりに胸の内を晒すことになってしまったベリアンにほんのちょっぴりの申し訳無さが募る。そして、ロノに夕食の時間が遅くなったことを詫びながらこっそりとお願いをした。かみさま……ではなく、やっぱり閻魔様に。

 ――早くベリアンの恋が叶いますように。





2023/09/23(Sut)




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