「………」
「どうした?」
「なんでもない」

雨の日は古傷が痛むのか、右目を隠した長い前髪をうつ向きながらくしゃりと握っていた。正しく言えば右目ではなく傷跡を隠しているのだ。大丈夫じゃないくせに、嘘を吐いて無理矢理笑う。心の傷さえ隠していた。顔の傷は眉から頬にかけて縦一直線に入っており、前髪で覆わない限り隠せるものでは無かった。彼女の傷跡は、俺のせいだ。助けられなかった俺が悪いんだ。
それは小さい頃、公園で遊んでいたときに遡る。その時のことを何よりも鮮明に覚えていた。





「のりひと、パス!」
「えっ…」
「こっちにけって!」

サッカー初心者だった俺は、一足先にサッカーボールに触れていたなまえに指南してもらっていた。もちろん上手くはないので、パスのつもりで蹴ったボールは大きく逸れて別のところに行ってしまった。なまえが「へたくそ!」と文句を言いながら転がってしまったボールを追いかけて行く先には、いつの時代にもよくいる不良というものがいた。小さかった俺達はそれが危ないものだとは理解できていなかった。不良は何故か知らないが相当苛立っていたらしく、ボールが足元に当たるなり恐ろしい表情でなまえを睨み付けた。ボールばかりに目が行っているなまえはそれに気付いていない。不良はなまえに何かを怒鳴って掴み掛かった。足が空中に浮いている。あれは危険だと本能で察知した俺は、走ってなまえのもとに向かった。間に合いはしなかったが、助けようと思ったんだろう。俺が助けに入ったところで何も変わらなかったかもしれないが、助けたかった。次になまえが地面に落とされた時、何かがぼたぼたと地面に垂れて赤黒い染みになっていた。

「なまえっ、なまえ!」
「い…」

顔の右側を押さえてうずくまる。地面どころか服までもが赤い斑点を作っていた。不良を睨み付けると手に持っていた刃物らしきものを持ったまま逃げていった。不良を追うよりも、なまえが心配で傷を押さえている手に更に手を重ねた。生暖かくぬるぬるするそれは、間違いなく血だった。

「いま、だれか呼んでくるから…」

荒い息を繰り返すなまえはこくりと頷いてさらに小さく縮こまった。強い彼女は泣いてはいなかった。何針か縫う大怪我だった。運良く眼球は傷を免れ、失明はしなかった。目撃者はおらず、結局犯人の不良も見付からなかった。

時は流れたが、刃物によって付いた傷跡は消えない。小学校上学年のころに、特に気にしていなかった傷跡を前髪を伸ばして隠し始めた。お年頃ってやつだ、顔に傷跡があるのは恥ずかしいと思ったのだろう。不良がもし捕まったとしても「むしゃくしゃしてやった、反省している」で、あいつの人生は曲がりなりにもやり直せる。だがなまえの傷跡は一生残って、人生をやり直せやしないのだ。そんなの理不尽じゃないか。恨んでも恨んでも、恨みきれない。
恨みきれないのは自分自身にもだ。あの時俺が正しい方向に蹴ることが出来たなら、なまえは怪我をしなかった。年月が経った今もなまえは「典人は悪くないよ」と言うばかりだった。あの事件から、俺を遠ざけて守ろうとしてくれている。そんな彼女に何が出来るのか考えた。すぐに答えは出た。

「典人、その前髪…」
「俺がなまえの右目になる」

左目を隠した。本当なら不良に傷付けられるべきだったのは俺の方だ。それを忘れないためにも、なまえの欠けている部分を補うためにも。

「…それなら、私が典人の左目になる」

二人で一人になろうと思った、中一の春のことだった。





「痛いなら鎮痛剤あるぞ」
「大丈夫…」

自分の体に言い聞かせるようにそう呟いた。雨が降る外を見てなのか、窓に映る自分の姿を見てなのか、憂鬱そうにため息をついた。そして筆箱を漁るとどこにでも売っていそうなハサミを取り出した。両手で握ったまま、ハサミとにらめっこを開始する。何をするのかと思えば、思い立ったように前髪を掴んで横一直線にじょきんじょきんと乱雑に切り始めた。

「お、おい、何やってるんだよ!」
「…ふふ、すっきりした」

慌てて引き止めたところで、もう遅かった。傷跡を隠していた前髪は眉の辺りから切られて、残骸は役目を終えたように無惨に床に散らばっている。

「欠けた人間じゃなくて、一人の人間として、典人と生きたいと思った」
「馬鹿なまえ…」
「隠すのは卒業」

前髪をはらうとぱらぱらと何本かまた床に落ちた。申し訳なさそうに笑って、俺の前髪を掻き上げる。

「切る?」
「いや、いい。俺のトレードマークだしな。…それに戒めでもある」
「そう…」
「それより、隠してきたのに誰かに馬鹿にされたりしたらどうするんだよ」
「その時は、その時だよ」

傷跡に触れて、目を閉じる。どれだけの残酷な思い出がそこに詰まっているのか。なまえを馬鹿にするやつがいたのなら、俺が許さない。今度は俺が守る番だ。
ふと開いたなまえの透き通った両目が真っ直ぐこちらを見つめていて、胸がどきりとした。そういえば素顔は一年以上前に見たきりだった。

「…綺麗になったな」
「傷物だけどね」
「いいや、全部引っくるめて綺麗だ」

右頬に走る傷跡にキスを落とした。

「恥ずかしい人」
「るっせ」

全て受け入れて生きようと思った、中二の春のことだった。


111126




幼なじみというおいしい設定が…大変なことに…もし書き直し要望ありましたら受け付けます。
花桜さんさんリクエストありがとうございました!




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