翌日、なまえは久遠監督から入部届けに判子を押して貰おうとサッカー棟を訪れた。担任に判子は貰ったので、あとは久遠監督のを貰えば校長先生に提出出来る。見たところ久遠監督は部費の計算をしているらしく、電卓と数字がたくさん並んだ書類が広がっていた。忙しそうだったが相変わらずの無表情で入部届けを受け取り、まじまじと眺め始めた。もちろん入部届けにはありとあらゆる個人情報が詰まっている。誕生日、年齢、身長、さらには体重。乙女的にはりんご三つ分などとぼやかして書きたかったが、そこで真面目に書かなくて入部を断られたらどうすると諦めて正直に記入した。その正直な体重が書かれた入部届けをじっくり見られているのだからたまったものじゃない。

「あの…何か問題でも」
「特にない」
「………」

じゃあ何故そんなにじっくり見ていたんだと言いたいところだが久遠監督に口出し出来るほどの勇気はなかった。机の引き出しから朱肉が必要ではないタイプの印鑑を出し、担任からの判子の隣に軽く押した。押され立てのせいか綺麗な赤い丸の中に久遠と書かれた判子がやけに目立って見える。軽そうな音を立てて差し出された入部届けを「ありがとうございます」と大事そうに受け取った。

「ところで、名字。細かい作業は得意か」
「は、はぁ。人並みには」

久遠監督は机の上の小さく細々と数字が書かれている出費表にぽんと手を置いた。頭の上にクエスチョンマークを浮かべるなまえに、またぽんぽんと出費表を叩く。質問の意味もジェスチャーも分からず、なまえはさらにクエスチョンマークを増やした。

「…計算しておいてくれ」

なかなか伝わらず遂に諦めたのか普通に仕事を頼んだ。なまえはまだ正式に部員として認められた訳ではないのだが、久遠監督にそんなことは関係無いらしい。昨日木野と冗談で話していた「お手伝いする久遠監督」が逆になって現実になったとなまえは思い出し笑いをしそうになった。今すぐにでも校長室へ向かおうとしていたのだがなまえは快く引き受けた。ここで印象を悪くしてどうする、というのと「久遠監督の歳分かんないけど老眼なのかな…」という哀れみの気持ちからであった。口に出してしまったらアウトだろう。
全ての計算を手早く済ませ、校長室に急いだ。廊下は走らないという基本的なルールはもちろん完全無視だ。とは言え、走るスピードがあまり速くないので教師は叱りたくても叱れなさそうだ。そして既に息も上がっていた。雀の涙ほどの体力になまえは情けなくて泣きそうになる。これからは朝ジョギングしよう、と決心するのだった。





「名字さんが?」
「あぁ…」

今日の部活はまずミーティングルームに集まれ、という連絡が回ってきた。ということはもしかして仲間が増えるのではないかと一年生内ではあいつだこいつだと予想が立てられていた。誰の意見も聞かずとも車田はすぐになまえではないかと勘づいていた。渋い顔でそれを三国に話す。昨日は車田を怒らせたまま、今日はどうなることかと心配していた三国だったが、車田は案外落ち着いていたので安心した。しかしなまえが新入部員、マネージャーになったのかもしれないと知り、また南沢が何か煽るような言動をして短気な車田を激怒させるのではないかと三国の悩みは尽きない。車田と三国はそれぞれ悶々としながらミーティングルームに到着した。

「車田、三国。遅い」

南沢が一年生のくせに堂々と椅子にふんぞり返っている。自分よりあとに来たやつは全員遅い!と言いたげな態度だ。まだ先輩は誰も来ていないので大丈夫と言えば大丈夫なのだが、ふてぶてしい南沢を三国は立ち上がらせた。その次の瞬間ぞろぞろと上級生が入室してきた。三国は胸を撫で下ろしたが南沢は顔色一つ変えなかった。三国に後で胃薬でも渡すか、とひっそり天城は思っていた。
上級生が着席して間もなく、久遠監督がやって来て車田の勘が当たっていたことが証明された。口を一文字に結び、緊張した顔で部員全員の前に立っている。なまえは久遠監督に促されずに自分から口を開いた。

「今日からみなさんのお手伝いをさせて頂きます。名字なまえです。マネージャーとして素人なのでご迷惑を掛けることもあるかもしれませんが、よろしくお願いします」

昨日部員の勢いにに押されていた弱々しさはなく、意志の強そうな凛々しい口振りだった。ばちりと車田となまえの目が合う。決意を固めた顔が一瞬緩んで微笑んだ。車田の心配は軽減された。が、案の定三国の胃はキリキリ痛み始めていた。

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