「出会い頭で泣いててびっくりしたぜ?」
「それに関してはお恥ずかしい限りで…」
「泣くぐらいなら、新しいの買ってやろうか?」
「いいえ、大丈夫です。これがいいんです」

ふふふ、とファーと同じように柔らかく笑った。「ふわふわー」と呟きながら頬を擦り寄せる姿は車田にとって筆舌に尽くしがたいものがある。やはりプレゼントして間違いはなかったと珍しく自己満足するのだった。

もうすぐ午前の勉強時間なので、千切れてしまったところは帰ってから直すことにし、二人はいそいでミーティングルームに足を向けた。鼻唄を歌いつつ上機嫌でミーティングルームに到着したなまえだったが、席についている紫色の頭を発見するなりはっとした。あの重大な問題を思い出し伏し目がちになってしまう。ストラップをなくしたショックのお陰で頭の隅に追いやられていた大問題。昨日の南沢の行動を思い出すだけで耳が熱くなる、なまえの友人なら卒倒もののアレだ。教科書を読みながら南沢もなまえを黙認していた。
車田と南沢から見た三人の関係は取り合いという、多分わかりやすい関係だった。だがなまえは二人が競い合っていることなど全く知らないため、南沢の告白どうするべきか一人悶々と悩んでいた。車田に相談することも考えたが、車田くんに相談してどうする!と目の前の机を思い切り叩きたくなっていた。しかし、悩まなくてもとっくの昔に車田は宣戦布告を受けてる。…と、まあ南沢のお陰でなまえの視点からすると非常に面倒くさい状況になってしまったのだ。

「なあ名字、この辺の答えが合わないんだが、ちょっと見てくれないか」
「あっ、はい」

兎にも角にも、今は色恋で悩んでいる場合ではなかった。重要なテストのことさえ頭の片隅に追いやっていては救いようがない。
三国の質問に我に返ったなまえは机を叩く想像をやめた。自分の解いてみた解答と受け取った三国の解答を照らし合わせる。不親切なことにこの問題集には解法は記されておらず、自分達で解法を見付けてみろと言いたげに解答だけ示して堂々としている。初めて見たときはみんなで苦虫を噛み潰したが、早くも慣れてしまった。慣れとは本当に怖い。

「うっかりミスみたいですね。マイナスとマイナスを掛けているのでここはプラスになって…あとはこのまま計算していって大丈夫です」
「うわ…こんな簡単なことだったのか。やっぱり人に聞くと見付かるな。ありがとう」
「こちらも確認になりました、ありがとうございます」

三国は物分かりがよくて助かる。
たしか授業中、マイナスとマイナスを掛けるとプラスになるのは何故かと例のお調子者の友人に散々聞かれて戸惑った。そうなるものはそうなるのだと納得させようにも、非常に難しかった。授業中うんうん唸り声を上げていた友人だったが、休み時間お菓子を与えるだけで「プラスになるものはなるんだね!」とケロッと納得して美味しそうにお菓子を頬張るのだから憎めない。「昔からこうなのよ…」と、非公式南沢ファンクラブ1号を名乗る面食いの友人は、お調子者2号を呆れたように笑っていた。

(それにしても南沢くんファンいるぐらいモテるんだから、私じゃなくて…)

結局、思考は南沢大問題に戻るのだった。横目でおそるおそる南沢を見るとがっちり目が合った。南沢は気まずさに負けてなまえが目を逸らす前に、細身のシャープペンを置いて頬杖をついたまま口許を綺麗に歪めた。さらに小首を傾げる。色気のスリーコンボ。

「どうだ、路線変更する気になったか?」
「ろっ路線って」

そんな電車みたいな…と言った困り顔のなまえに南沢は思わず小さく吹き出した。髪をかき上げて色気のフォーコンボ目を決めると、返答を待たずにまた勉強に戻ってしまった。どうやら99.9パーセント路線変更の可能性がないなまえの意志の、0.1パーセントの可能性にカマをかけてみたかったようだ。底意地の悪い南沢の性格からすると、ついでにいじめの意味合いもあるに違いなかった。

「無理です…」

それから、否定的な呟きには聞く耳持たずなのだった。南沢らしいと言えばらしい。





最終日はお昼過ぎに散開となった。翌日に疲れを残さないための久遠監督なりの配慮だった。
それでは何故このような疲れる勉強合宿したのかと一年生には疑問だが、経験済みの先輩たちに聞けば一発でその答えがでてくる。
「お前らがランドセル背負ってるころから言ってる部活と勉強の両立って大層なやつ、実際どれだけ大変か分からせるためじゃね」
しかし、先輩に聞いたところで残念ながらこの答えは与えてくれない。自分達で考えろ、の久遠監督思考は先輩たちに確実に引き継がれているのであった。そうして一年生は暫くすると自力で答えを引っ張り出すのである。引き出せないひねくれ者はいつまでも二軍、よくてベンチウォーマーだ。
管理サッカーの世界に取り込まれても、進路が気になっても、いくら仕方がないとため息をついて態度がひんまがっていても、心底にある真っ直ぐは、変わらないのだ。

そんなことを今は毛ほども知らないなまえは、帰ってくるなり疲れた体をベッドの海に沈めた。一人になると溜まっていた疲労が一気に溢れ出してきた。疑問を考える余裕はなかった。それどころか、あの大事なストラップのことさえ後回しになってしまうほどに眠かった。
うつらうつら目を閉じようとしたところで、マナーモードを解除した携帯の着信に邪魔された。不機嫌そうな濁った呻き声を上げる。蝶よ花よと育て上げた両親が聞いたら嘆くであろう。
もし迷惑メールだったら携帯電話を折ってやろう、そう決めて開いてみると例の面食いの友人からだった。どうやら携帯電話の安全は確保されたようだ。
あの面食いさんのことだ、どうせ南沢くんのことなんだろうと偏見を持ち本文を読み進める。

車田くんとどうだった?
なんかあったよね?ね!

南沢関連ではなかったが。まず偏見を持ったことを心の中で謝った。
有無を言わせず、ある前提のようだ。女の勘は伊達じゃない。あることにはあるのだが、抱き締められたことを思い出すだけで顔の温度が急上昇するのだから、文面に書き表すにも容易ではなかった。せいぜい誤魔化すことしか出来ない。

ないしょ!

ふむ、つまり何かあったってことね。ま、あんたのことだから明日言っちゃうだろうし、楽しみにしとくわ。

なんでこう彼女は鋭いんだ!自室で隠す相手もいないのに真っ赤な顔を枕に押し付けた。
メールが届いた画面の向こう側で『ないしょ!』の文面を見た彼女は爆笑だっただろう。なぜなら内緒とは何かを隠すために使う言葉であり、つまりはなまえ自身で既に半分何かあったことを白状していることに気が付いていないのだから―。

white.19
The Final day.




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