車田剛一が雷門中学に入学してまもなく。柄にもなく廊下で盛大に転んだ朝のこと。人間の反射神経がしっかり働き、二本の腕の活躍で廊下とキスすることはどうにか免れた。が、転んだことには変わりはない。何より恥ずかしい。早く起き上がろうと腕に力を込めた。そこに「大丈夫ですか」と声をかける人影が現れた。視界に入ったまだ真っ白い上履きが、きゅっと小さな音を立てた。この年になって同情なんていらないと、怪訝な顔をして見上げると少女が心配そうに手を差し出していた。同情ではなく、純粋に心配している様子、それが車田には輝いてるように見えた。輝きに見惚れたまま、無意識のうちにその白くて小さな手を握ってしまった。

「怪我は、ありませんか?」
「あ、あぁ。ありがとう」

転ぶときに付いてしまった手は少しひりひりと痛んだが、皮も剥けていないので次期に痛みは治まるはずだ。「よかった」と少女は微笑み、車田は照れたように頬を掻いた。端から見れば告白のシーンに見えなくもない。

「あ…お鼻の絆創膏はどうしたんですか?」

車田の鼻に貼ってある絆創膏を見付けると、自分の鼻を指さしてまた心配そうな顔をした。

「これか?小さい頃作った傷跡隠すために貼ってるんだ。あとトレードマークみたいなもんだし…」
「ふふ、やんちゃさんだったんですね」

その笑い方と振る舞いは間違いなくどこかの育ちのよいお嬢様だった。車田はふと入学式のことを思い出した。色が白くて具合が悪そうだと思ったのが、この少女だった気がする。ただ、具合が悪いのではなくて箱入り娘なのだろうと推測した。「お…」何が聞こうとして声を発したところで朝のHRのチャイムが見事に遮ってくれた。遅刻を免れようと遅刻常習犯候補の生徒が忙しなく走り去る。

「遅れちゃいますね。またゆっくりお話しましょう」

ひらひらと手を振りすぐ近くの教室にゆったりと入って行った。それを最後まで見送った後も、車田は片手を挙げたまま暫くぼんやりしていた。

「おい車田、遅れるド」

走ってきた遅刻常習犯候補の天城に背中を思い切り叩かれて覚醒した。やばい、遅刻する。こうやって全速力で走っているとさっき何故転んだのか分からなくなる車田であった。

white.1
A white girl.




- ナノ -