「なまえ、練習試合勝ったらなにくれるんだ?」
「は、はい?」

南沢の問いになまえは困惑した。たしか、勝ってもご褒美というルールはないはず。だが、もしかしたら雷門の伝統ある脈々と続く暗黙のルールであるのかもしれない。本当はそのような事実はないが、珍しく南沢の目が期待に満ち溢れているのを見るとなまえはそう思うしかなかった。南沢の上手い演技にすっかり騙されてしまっていたのだ。

「俺はご褒美にデー…」
「名字、南沢の言うこと鵜呑みにするなよ。ご褒美はいらないぜ」
「え?」

ひっくり返った声で車田を見る。南沢はいいところまで騙したと思っていたのに、邪魔されたことにちっと舌打ちをして腹を立てていた。車田はなまえを後ろに隠すように立ち塞がり、南沢の視界を遮断する。こうなったらもう騙せないと南沢は諦めたようだ。

「あーそうそう、冗談だよ」
「あ、冗談ですか」

なまえは冗談を本気にした自分が恥ずかしいらしく顔を赤く染めていた。いっそのこと、ちょうどよく目の前にいる車田の背中に顔を埋めて隠した方がいいのではないかと言うぐらいには赤い。実際そんなことしたら車田もなまえもどちらも嬉し恥ずかしで気絶してしまいそうたが。

「帰るぞ」

車田はこんなやつと同じ空間に置いておけないと言わんばかりの強い口調で後ろのなまえ振り返った。そこには顔を赤くしたなまえがすぐ後ろに突っ立っているのだから、車田はぎょっとした。いつもより顔の距離が近いこともあり更になまえは頬を染める。そんな反応をされた車田も顔が熱くなるのを感じずにはいられなかった。

「か、帰りましょうか車田くん」
「おっ、おう…」

なまえは熱い頬を両手で包みながら、鞄を取りに急いだ。周りに人さえいなければその辺でしゃがみこんでしまいたい気分だった。
南沢は相変わらずなまえが自分と車田に扱いの違いがあることを不服に思っていた。自分が少し話し掛けても普通の反応しか返してこないのに、車田となるとすぐ慌てて頬を赤くする。逆転を狙うには、これを大きく改革する何かが必要だ。常に勝ち組に居たい南沢の脳はフル回転を始めていた。





今日も急ぐことなくのんびりペースの歩みで帰路に着く。暫くの間忘れていたがお嬢様を思い出させた。今日のみなさんの調子はどうでしたか、とか先輩にキツいこと言われなかったか、とか会話の内容は毎日代わり映えはしなかったが二人は定番になってきたそれが好きだった。なまえがまた何か話そうとするとどこからか着信音が鳴り始めた。バラード系の着信はどうやらなまえのバッグの中からのようだった。今の時間帯電話をかけてくる人といえばあの人しかいない。車田に一言断ってから通話のボタンを押した。

「秋さん?」
「もしもしなまえちゃん、今どの辺?もしかしてお邪魔だったからしら」
「そそそそんなことないよ!えっと…今はスーパーの近く」
「ちょうどいいわ!ケーキ作ろうと思ったら無くてね、だから小麦粉買ってきてくれない?」
「えー」

話の内容よりも白い手にあまり映えない白い携帯電話を車田は気にしているようだった。出会った当初もストラップは付いていなかったが、今になっても付いていない。女子中学生ならば少しぐらいごてごてした携帯電話になってもいいのではないかと思うが。

「うん、うん、分かった。そのメーカーのね。はーい」

道路を挟んで向こう側にあるスーパーを眺めながら、仕方ないなぁというようにため息をついた。パチンと独特な音を立てて携帯電話を閉めると、車田に向き合った。その顔は残念そうに笑っている。

「ちょっとそこのスーパーでお使い頼まれちゃいましたので、今日はこの辺で…」
「なんだ、それぐらい付き合うぞ」
「い、いえそこまでして頂かなくても。明日練習試合ですし…」

明日は練習試合で、早く帰って休むべきところを車田は今日も木枯らし荘へ律儀に送ってくれているのだ。これ以上車田にどうしても迷惑は掛けられないとなまえは身振りも交えて遠慮する。

「俺が行きたいから行くんだ。ほら早く行こうぜ」

無意識に車田はなまえの手を引いていた。渡ろうとしていた横断歩道が赤信号になり、立ち止まってはっとした。手が。あんなにも気にしていた、ロココ事件から触れてもいなかった、なまえの手を握ってしまっている。

「あっ、す、すまん」

慌てて手を離すと、ぽかんとしていたなまえも何が起こったのかようやく理解したようだった。赤信号並みに耳まで赤くなった車田の横顔。自分の手がそうさせたのだろうかと開いたり閉じたりしてみたが、やはり何の偏屈もない自分の手だった。そうしている内に信号は青に変わり、再び歩き出した。照れている時の車田は歩くのが早い。なまえは小走りで車田の後を追った。

スーパーは夕方の買い物に来た客で溢れていた。そこを手慣れた様子でなまえはすいすいと進む。今度は車田が遅れていた。目的の小麦粉を持つと、寄り道をすることなくレジへ一直線。これ以上車田の時間を奪う訳にはいかないという一心だった。だがレジはどこも混んでいて、並ばなければ会計が出来なかった。中学生の男女がスーパーのレジに一緒に並ぶ光景は主婦から見れば微笑ましい。その間、なまえはレジ手前に売ってあるストラップに釘付けだった。ウサギの尻尾のようなふわふわは、どうにも興味をそそる。

「きもちいいですよ、これ」
「マリモみたいだな」

なまえは楽しそうにファーを触る。車田はなまえもストラップも白くてふわふわとしていて似ているとこっそり思っていた。彼女は携帯電話にストラップは付けてはいないがストラップを嫌ってはいないようだ。白い手が持つ白い携帯電話に付いているのは、白いストラップがいいのではないか。

「これ好きか?」
「はい、とても」

会計している途中のなまえにそう聞いた車田はストラップを一つ手に取った。車田が何か購入すると気づいていなかったなまえは後ろを振り返って驚いていた。

「あの、車田くん」
「明日練習試合、頑張って仕事したらご褒美にこれやるよ」

馬の前にニンジンを吊るすように、なまえの前にそのふわふわのストラップを吊るした。一瞬嬉しそうに顔を輝かせたが、それはすぐに疑問の表情に変わる。

「ご褒美って…いらないものじゃないんですか?」
「いいんだよ、個人的にだから」

そう言って車田はストラップを鞄の中にしまった。彼はなまえがマネージャーの仕事を真面目に成し遂げることを知っていて先にストラップを購入したのだ。ご褒美を貰うにしても立場が逆じゃないかなど色々疑問に思うなまえだっが、あのふわふわの誘惑には勝てない。

「がっ頑張りますよ!えっと…み、みなさんのためにです!」
「ああ、ほどほどにな…」

頑張りが空回りしないか非常に心配になる車田は、普通にプレゼントすればよかったと微妙に後悔していた。

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A white strap.




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