誰だって、悪い事をしているつもりではないんだ。その行動は自分が良かれと思ってやったこと。罪悪感というのは後からやってくるものだろう。つまりその時は行動は善であり、悪ではなかったんだよ。だから誰が何と言おうとも、私はこれを悪い事だとは思わなかったんだ。



「私が太一のプリンを食べたこともね…」
「そんなこと格好つけて言われても」

三国のプリンを食べてしまい、しこたま怒られている途中でなまえは車田オートに逃げてきたらしい。シャッターの前でしゃがみ込んでいた彼女を、ランニングに行こうとしていた車田が発見したのだ。まるで珍獣だ。無駄に格好付けた言い訳も、プリンの一つや二つ食べられたぐらいで怒る三国も、死ぬほどどうでもいいと車田は呆れすぎて笑っていた。それでも彼女はしゃがんで頬に手を当てたままむすっとしている。笑う車田にへそを曲げているようにも、今日はここから動きませんと頑固な意思を示しているようにも見える。

「今頃、心配してチャリで探し回ってるんじゃないか?」
「プリンを?」
「アホか、お前をだよ。幼馴染みだろ」
「まあ、ねー」

手持ち無沙汰に足元の小石を弄り、道の向こうに投げる。幼馴染みの切っても切れない縁というものがある。三国がいくら怒っててもこんな陽が沈み掛けた夕方に失踪したとなれば、心配になるのも当然だ。

「帰ってやれよ」
「嫌だね。あんな心の狭い男には会いたくない」
「元はといえばお前がプリン食っちまったのが原因だろうが」
「私は悪くない」

変わらずむすっとしたまま己の罪を認めようとしない。急に家出をしてきた子供のようだ。いや、実際そうなのだが。車田としてはここのシャッター前に居座られては非常に困った。このまま無視してランニングにも行けないし、放っておいてここに居させたと知れれば、三国に叱られる。二人とも閉口した、停滞した雰囲気のなか、ぐぎゅるる…とそぐわない音が響いた。

「…おなかすいた」
「とりあえず家入れよ。メシ、母さんに頼むから。なんなら泊まっていけ」

まだ夕御飯を食べていないようだ。車田はこれを切っ掛けに、放っておくよりも泊まらせた方が断然マシだと考えた。今一人で無理矢理帰したところで、家には帰らずまたふらりと失踪するに違いない。珍獣は保護しておこう。ぱくぱくと何か言いたそうにしている彼女を家に半ば無理矢理押し込み「母さんコイツに夕ご飯!」と叫んで車田はさっさとランニングに出掛けてしまった。あっと言う間に車田母の元に一人取り残されたなまえは、ぽかんと開いたままの口を閉じることが出来なかった。

一方の三国と言えば、車田の予想通りに自転車に乗って彼女を探し回っていた。流石にプリンだけで怒りすぎ、大人げないことをした。折角夕御飯をこしらえてくれた彼女になんという仕打ちをしてしまったのかと、罪悪感に打ちのめされそうになっていた。全く以て二人の考えは真逆だ。
失踪した彼女、思い当たるところは全て探したが見付からない。その他の行き先がさっぱり思い付かないのだ。きょろきょろ見回しながら一本道を走り続けていると見覚えのある後ろ姿がランニングしているのが見えた。

「車田!」
「三国…」

チリンチリンとベルを鳴らして現れた三国に車田は足を止めた。体力を消耗した車田の鍛えられた厚い胸板が上下に動いている。自分には無いものだと三国はちょっと関係無いことを考えていた。車田はじっとりと額にかいた汗を手の甲で拭ったが、顎から汗が地面に落ちて行った。帰ったら一応三国に電話するべきか思っていたのでなかなかのグッドタイミングだ。一息置いて三国はこう聞いてくるのだろう。

「なまえを見てないか?」

やっぱり。
答えようとして口が閉じた。言おう言おうと思ったが、本能がそうさせなかった。今ちょうど三国に会わなくても、苦手な携帯電話を無理矢理開いて連絡する手前で車田は躊躇っただろう。何故か、彼女を庇いたかったのだ。普段なら決して三国から逃げなどしない彼女を。きっと俺を頼りに車田オートの前でうずくまっていたのを、誰がわざわざ引き渡したりするものか。

「…いや、見てない」

首を振って、人生最大の嘘を吐いた。少し残念そうな顔をした三国は「ランニング、邪魔して悪かったな」と言うとガシャンとペダルを踏み直してまた自転車をとばして走り去った。どれだけ心配しているのか、その必死な後ろ姿を見送った車田はやっぱり悪いことをしたなぁ、と思うのだった。

『誰だって、悪い事をしているつもりではないんだ。その行動は自分が良かれと思ってやったこと。罪悪感というのは後からやってくるものだろう。つまりその時は行動は善であり、悪ではなかったんだよ。』

なまえの馬鹿みたいに感じた言い訳が頭の中でリピートした。今の自分の状況にぴったりと当てはまる。彼女の言ってることはあながち間違いではなかったと、今更ながら感心していた。やっと彼女の考えを飲み込むことが出来たが、やはりプリンを食べてしまった罪は認めた方がいい。運動を止めて少し冷えた背中に汗が一筋流れて、中のタンクトップに吸収された。





「馬っ鹿じゃないの!頭沸いてるんじゃない?!」

自室に戻ると飛んでくる枕、座布団、クッション、それから罵り声。一応他人の家なのだが。力一杯全て投げ終わると罵り声も止んだ。ふーふーと興奮した珍獣は息が荒い。顔も赤い。帰った途端こんな反応をされては車田も訳がわからないし、三国に会ったことを伝えるタイミングも逃した。散らばったもの拾い集めていると最後にくるまのぬいぐるみが飛んできた。それをぼふんと受け止める。

「どうした」
「どうしたもこうしたも…!と、泊まっていけとか…」

狂暴な珍獣はうううと唸り声を上げ車田を睨み付けた。どうやら察するに、三国以外の男子の家に泊まることが恥ずかしいようだ。いくら珍獣でもまともなところで女子は女子だった。

「ああ、別に変なことはしねぇよ。寧ろかくまってやってるんだから感謝しろよな」
「わ、分かってるけ、どっ!」

勢いよく投げ返されたくるまのぬいぐるみが顔面に当たった。そのままバランスを崩し後ろのベッドに少し派手な音を立てて倒れ込む。仰向けに引っくり返ったまま何か文句を呟いていたが気にしないことにした。いい加減汗でベタベタになった体を汗臭いと言われる前に流しに行ってしまおう。長年使っている棚から着替えを引き出した。

「メシ食ったか?」
「車田が帰って来てから頂きますって取り合えず遠慮した」
「別にそんな遠慮しなくてもいいんだぞ」
「初めて来た家で遠慮しない人はいませんー。そんなこと言ってる暇あったらさっさと風呂入ってきてよ、あ・せ・く・さ・いー」
「今行くところですー」

結局汗臭いと言われてしまった。分かっていたことをわざわざ言われたため多少頭に来た車田の眉間には若干深いシワが出来ていた。こんなムカつく珍獣、泊めずに帰せば良かったのだが夕方のあのシーンを思い出す度に何ともいたたまれない気分になるのだ。三国と同じように車田も大概彼女に甘かった。三国と言えば、ランニング途中に三国に会ったことを伝えそびれていたことに気付いた。

「さっき三国とすれ違ってな。居場所は教えなかったが、必死そうにお前のこと探してたぜ。プリン食った罪はささっさと認めて謝れよ」
「……明日になったらね。あーもー!汗くさいから早く行って!」

しっしっと手首を何度か上下に動かして猫を追い出すような素振りをした。一々癪に障るやつだ。誰の家だと思ってるんだとぶつくさ言いつつ、猫ではないが車田は部屋を後にした。ばたんと扉が閉まった音を聞いてから、なまえはやっとのそりと起き上がった。

「車田…太一にチクらなかったんだ…」

車田はすぐにでも謝れと言ったのに居場所を言わなかった。庇ってくれた。短気なあの車田としては珍しい。たかがプリン一つ、されどプリン一つ。軽そうな内容だからこそ謝るのは難しい。

「………」

一応持ってきていた携帯電話を開いた。マナーモードで気付かなかったが着信が五件。予想通り全て三国からだった。掛け直す勇気はないが、『明日になったら帰ります』と一行だけ打ち込んでメールを送信した。送信中…と小鳥が手紙をくわえて運んでいる。探さないで下さいなんて家出名言を送ったら三国はもっと躍起になって探すに違いないのだから、これぐらいがちょうどいい。携帯電話を投げ出して、ベッドに背中から倒れ込むとスプリングが何度か跳ねた。瞼を手の甲で隠すと容易に三国の心配そうな様子が浮かんできた。必死に名前を呼んで、自転車を漕いで…。それからメールを見てどう思ったかは分からないけど、明日になったら絶対謝るから、とりあえずは時間を下さい。





「おーい起きろ。飯だぞ」
「……あ」

どうやら眠ってしまっていたらしい。風呂上がりでタオルを首に巻いている車田が覗き込んで来たので、さほど時間は経っていないことが分かった。欠伸をしながら大きく伸びをして、勢いを付けて起き上がった。

「…おんなの寝顔見て、デリカシーのないやつ…」
「だったら遠慮なく人の部屋で気持ち良さそうに寝るな」

行くぞ、と歩き出した車田の背中を寝起きで動かない足で追い掛けた。酒は飲んでいないが千鳥足である。まだ回らない頭で、車田に問い掛けた。

「ねえ車田」
「ん」
「なんで庇ってくれたの?」
「あー…お前、何があっても三国からは絶対に逃げないだろ。なのに逃げてきたから。それだけだ」
「…そう。ありがと」

礼なんて柄じゃねーだろと照れ隠しに言った車田の背中を、なまえは思いっきりひっぱたいた。

111219 悪いことはひとつも



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