ナイフとフォークと空の皿の続きです。




「このエスバーカ!」
「馬鹿って言う方が馬鹿なんだよバーカ!」

なまえは今日サンダユウの部屋に来て声を出さずに驚いていた。全校生徒から尊敬と畏怖の目で見られているミストレとエスカバの二人がいたのだから。彼らは成績優秀で、それからこれは噂だったが何か特殊な任務にも当てられ失敗し、謹慎処分を受けてもいた。色々なところで良い意味でも悪い意味でも目立っていた。
その人達が今椅子に座りながら殴る蹴るの激しい喧嘩をしている。しかしサンダユウはそれを意に介することなく、至って普通に料理を続けているではないか。彼らの喧嘩はそれほど日常茶飯事なのだろう。
空気に馴染めなくてサンダユウが料理をする様子をなまえはひたすら見ていたのたが、視線に気付いたサンダユウが顔を上げて目が合う。咄嗟に目線を逸らしてしまった。料理を期待してるのかと思われてしまえばこちらが恥だとなまえは更に黙り込む。

「ああー!もうあったま来た!こんのアライグマモドキぶっ殺す!」
「はっやってみろよカマ!お前の小綺麗な顔ぎったぎたにしてやるよォ!」

急に立ち上がった二人にびくりと肩が震えた。殺気垂れ流しのその姿は同年代とはまるで思えない。どす黒い気が部屋に充満して皮膚がぴりぴりする。いつか部屋のものが発火してしまうのではないかという、そんな刺激だ。

「はいはいはい、そこまで」

お皿を持ったサンダユウが現れるとどす黒い気は一瞬で消えた。皿の中にはお得意のカレーが入ってるようだ。唸り声を上げていた二人は睨み合いながらも大人しく着席する。怒るでもなく必死に止めるでもなく、よく普通にこの中に介入出来るなとなまえは感心した。皿をテーブルに置くと喧嘩で出来たエスカの鼻の傷に絆創膏を貼り、乱れたミストレーネの髪をほどいて後ろで軽く一纏めにする。どちらも大人しくされるがままだ。

「いただきますは?」

がっつこうとしていた二人は「いただきます」とさっきの殺伐とした空気はどこへやら大人しく食べ始めた。

「ほら、なまえも」
「…いただきます」
「どうぞ」

エスカバとミストレがいい見本になったのか、いただきますと言ってくれた。大分進歩したことにサンダユウは冷静に喜んだ。
二人の殺気ではないが舌の上がぴりぴりするほどカレーは辛い。サンダユウもなまえの隣に座り、いただきますと呟いてから食べ始めた。暫くするとなまえはミストレがこちらに視線を向ける気配を感じた。ミストレはにへらにへらと笑い、スプーンを口から離す。

「君、本当に美味しそうな顔出来ないんだ」
「………」
「サンダユウの言ってた通りだね。これじゃこっちが滅入る」

やれやれ、と大袈裟な身振り手振りで首を振る。なまえが何も反応を返せずに食べ続けているとミストレは機嫌悪そうに口をへの字に曲げた。

「なんか喋ってよ。これじゃこっちが悪役だよ」
「そりゃあお前となんか話したくねぇだろうな」
「はぁあ?エスカバ、君には言われたくないね!」

ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃんまた口喧嘩を始めた。ここまでくるとよく飽きないものだとなまえは思う。この騒がしさが彼らの普段のBGMなのかもしれない。サンダユウが慣れているのもよく分かる。二人の喧嘩を眺めながらまたカレーを一口すくった。

「…今日はどうしてエスカくんとミストレーネくんがいるの?」
「あ、ああ。こいつらカレー作れって言ってきてな…食堂のカレーは不味いから嫌だって。俺もあれは食わない方がいいと思う。自分の作るカレーより不味いって言えるぐらい不味い。あ、そうだ今日のカレーどうだ?甘口が好きだったか?あいつら辛口派で…」
「美味しい」

なまえが珍しく話し掛けてきたことが嬉しくてつい長話をしてしまったが、あっさりした答えが返ってきたことで我に帰った。べらべらと話し続けていたのが恥ずかしくなるぐらい短く単純な返答だった。サンダユウの顔が少し上気している。何事もなかったようにまたなまえは黙々と食べ始めた。
エスカバとミストレの口喧嘩のBGMも収まりつつある。まだぶつくさ言いながら二人は水の入ったコップに手を伸ばした。その様子をじっと見ていたなまえはまた自ら重い口を開く。

「…ミストレーネくん、エスカくん、辛いなら甘口にしてもらえば?」
「ぶっ」

コップから水飛沫が上がった。形のいい顎から水をぽたぽた垂らし、あんぐりと口を開けている。サンダユウは静かに食べ続けているなまえの横顔を見た。ミストレとエスカバの呆然とした表情がだんだんと赤く染まって行く。

「あ、甘口なんか俺は食べねーぞ!」
「俺甘口は食べないよ!」

二人がテーブルを叩いた衝撃で食器が一瞬浮き上がった。ギッと睨む二人の敵意は完全になまえへ向いている。必死になっているところを見ると、どうやら辛口が食べられると見栄を張っていたようだ。サンダユウは必死に笑いを堪えながら次は甘口にしようと決めていた。さて、なんと反応が返ってくることやら。まだ彼らの弁解は続いている。なまえはもう聞いてはいないが、いくら美味しいものを食べさせても笑わなかった彼女の口元が笑っていた。エスカバとミストレが彼女を一瞬で変えてしまったのだ。

「みんなで食べるから楽しいってやつか…盲点だったな」

呟いたそれはエスカバとミストレの声に掻き消された。



111120 楽しい食事のために



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