なまえは陸上部員だった。昨日も今日も、一心不乱にグラウンドを走る。風を感じるのが好きだった。一等速い、と言うわけでもなかったが、サッカー部員にスカウトされるほどの俊敏性と反射神経を持ち合わせていた。彼女はサッカー部からのしつこい勧誘を「走りたいだけだから」とその能力を使うかのように、見事にくぐり抜けていた。そしてまた、今日もグラウンドを疾走する。

「サッカーやりましょう!一回やれば楽しさが分かります!」
「うるさい」

ほぼ全てのサッカー部員がなまえの勧誘を諦めて一年が過ぎた。が、新学期になってまた、何故かなまえは勧誘されていた。二年が一年に勧誘される、なんとも奇妙な光景である。それがとてつもないスピードで走り抜けながらのものだったので、奇妙さを更に掻き立てていた。この天馬という少年もなかなかどうして足が速い。

「ねー!」
「うるっさい」

あっと言う間に廊下はレース会場と化した。引き止める人はいない。もとい引き止められる人はいない。
最初のうちは振り切れていたが、最近は時間が掛かるようになった。なまえのスピードが落ちたのではなく、天馬のスピードが確実に上がって来ているのだ。スタミナはまだなまえの方が上なのでぎりぎり逃げ切れる範囲にある。しかし、スタミナも追い付かれるのは時間の問題であった。

「はぁ…」

外にまで飛び出して逃げ込んだのは校舎裏。影になった部分を壁を伝いながらよろよろと歩く。

「なまえ先輩!」
「うげ」

もう声どころか、足音で天馬だと分かる様にまでなってしまった。なまえはもう逃げる気など失せたらしく、下を向いてうなだれたままだった。

「あの、サッカー…」
「やらない。絶対」
「なんでそんなにやりたがらないんですか?」

さぁ、どうしてだろう。なまえはそんなこと深く考えたこともなかった。…そうだ、球技は苦手だった。それから集団で協力してゴールを目指すなんて、自分が失敗したら責任を問われるような気がしてならない。なんだ、ちゃんとした理由があるじゃないか、となまえは自分の中だけで納得した。この理由を一年生には言いたくない。説明するのも面倒で「やりたくないから」とだけ質問の答えを返した。「答えになってませんよ」天馬は頬を掻いて苦笑いをする。

「私は、走るのが好きなの」
「サッカーも走ります」
「ボールを蹴りながらね。私は無理」
「………」

天馬は手に持っていたサッカーボールを軽く蹴った。それは地面を転がり、避けもしなかったなまえの足にトスンとあたった。

「俺に返してみて下さい」

返したのは気紛れだった。なまえは爪先で、軽くボールをつつくように蹴った。天馬が蹴ったのと同じコースを辿り、持ち主へ帰って行った。天馬はそれを押さえて満足そうに笑う。

「じゃ、思いっきりパスしますよ!」
「えぇ?」

大きく振りかぶった足になまえは動揺した。初心者にそんな強いボールが受けれるはずがないだろうと。「えいっ!」と天馬により思い切りよく蹴られたボールはなまえの身長よりも高く上がった。

「まったく、どこ飛ばしてんだか!」

目的地を大きくずれたボールをなまえは追い掛けた。落下地点で急ブレーキ。落ちてきたボールを捉えた。

「はー…」
「…すごい…!すごいですなまえ先輩!速いです!風になってます!」

天馬はオーバーなぐらい跳び跳ねた。ボールに夢中だったので気付いていなかったが、彼女はいつもより速く走っていた。なまえは自分が走った距離を見て唖然とした。あの一瞬で、ここまでこれた。天馬があんなに遠い。

「…なんなんだ、サッカーってのは…」

白と黒のボールは何も答えなかった。


110904 そよ風と疾風



- ナノ -