朝早くに学校に行くと大体ろくなことがない。先公に捕まったり、車に水を掛けられたり。別に朝が早いから、という理由でもない災難ばかりだ。どうもシードらしくない。今日こそいい加減このジンクスを打ち破ろうと、早く家を出た。そして、何事もなく生徒玄関が見えてきた。先公に会わなかったし、水もかけられなかった。それに加え信号が全て青で通りすぎた。よし、大丈夫。これでこのジンクスにはさようならだ。よくやったぞ俺、と気持ち良く空を見上げた。

「……は?」

なんだこれは。なんなんだよ。夢か。夢か。夢であってくれ。やばい、やばい!なんで人が屋上から飛び下りようとしているんだ!
この時ばかりは自分の非常に良い視力を恨んだ。今にも落ちそうな屋上の縁に立ち、真っ直ぐに前を見詰め、そよぐ風が髪と短いスカートを揺らす。スカートの中が見えるが、そんなことはどうでもいい!

「おいいいい!なにやってんだ!」
「…あ!ひできくんだー。おーはーよー」
「お、おはよう」

思わず挨拶を返した。
下を向いたので顔がはっきり見えた。あまり目立たないし、いまいち覚えてはいないが、同じクラスのいつもぼんやりしてるなまえと言うやつだ。

「いまねー、わたし飛ぶんだー」

ま、まさか本当に跳ぶところだったのか!こいつはそんなに死にたいのか!

「止めろ!こんなところで俺に死体を見せるな!」
「死なないよー」
「そっから跳んだら死ぬに決まってんだろうがあ!」
「だって飛ぶんだよー。ジャンプじゃなくてフライ。ひできくんのファルコみたいにー」

ファルコって飛ぶっけ?自分の化身がよく分からない。それ以前になまえはファルコを知っていたのか。

「そっちの飛ぶか!でも人間は飛べない!」
「やってみないと分からないよー」
「やらなくてもわかる!」

両手を広げるなまえ#にそう言った。こいつは馬鹿だ。ぼんやりしてるだけだと思っていたが、正真正銘の馬鹿だ。「常識の二文字はわたしの辞書にはない!」の台詞さえぶっ飛んでそうだ。「じょうしきってなに?」だ。辞書さえ持っていない。
両手をたたんだなまえが、地面に近付くように座り込んだ。

「ねぇ…飛びたいよ、ひできくん」
「な…」

小さくて聞き逃しそうになる声量だった。悲しそうに、苦しそうに眉をハの字にした、その表情が心臓を締め付けた。

「わ、分かった!から、そこで大人しくしてろ!今行ってやるから!」
「わっうれしいなー。ほんとー?」
「ああ!絶対に動くなよ!」

ああああ、なんで朝っぱらから疾風ダッシュしてるんだ俺は。やっぱりあのジンクスは打ち破れないのかよ。もう占いしか信じねぇ!
手すりを乱暴に掴んで階段を二段飛ばしで駆け上がる。目指すは屋上。立ち入り禁止と書いているが、鍵すらかかっていない。

「なまえ!」
「ぶべっ」

ドアを思いっきり開け放つと、ごちんと誰かにぶつかる鈍い音がした。

「ひできくん…いたいよ…」
「なんでこんなところにいるんだよ…」

額を押さえて尻餅をついているなまえを引っ張り上げた。またパンツが見えるがどうでもいい。星柄だが。

「大丈夫か?」
「うん。石頭だから」

赤くなった額が少し痛々しい。これで常識の二文字が帰ってくるといいが。

「なんで飛ぼうとなんかしたんだ?」
「あのねー鳥が好きなの」
「鳥?」
「可愛いでしょ?ひできくんのファルコ可愛いよね」
「まさか鳥になりたかったとか…」
「そーだね、なりたいって言うよりは一緒に飛びたいんだ。…飛びたい…。飛びたい!飛びたい!飛びたいっ!」
「落ち着け!」

はっとした表情で自分の目的を思い出したように叫びまくるなまえを肩を掴んでなんとかなだめた。今にも飛び下りてしまいそうな勢いだった。

「でもね…人間と鳥の体の構造は違うんだ。鳥は飛ぶために少しでも体を軽くする。脳は小さいし、骨の中はスカスカ。人間の骨粗しょう症みたいにね。そんなんじゃすぐに折れちゃう。そもそも羽がないと飛べない。無理なことは分かってるよ」

無理矢理合わせた目をなまえは少し逸らして、小さくそう言った。分かっているなら何故飛ぼうとしていたのか謎だ。

「それでね、今考えたんだけど無理なら私にもファルコみたいなの出せるかな?」
「…はん、お前みたいな奴に出せるわけねーだろ。じゃあな」
「ま、待ってよひできくん!」

踵を返した瞬間、がばっと腰の辺りに抱き着かれた。回された腕はなかなかほどけない。

「出せないならひできくんのファルコ私にちょうだい!」
「馬鹿か!」
「それも無理ならひできくんと一緒にいる!」
「はぁああ?俺はシードだぞ?」
「しーどって…なに」
「ファルコを知っててなぜシードを知らない!」

肘で頭を殴った。びりびりと肘が痺れる。まったく、呆れた。鳥の話といい、こいつは知識が片寄り過ぎている。

「うぅ…ひどいよひできくん…」

やっと腰から離れて涙目で石頭を擦った。

「いちばんくんに言い付けてやるんだからぁあああ!」
「ちょ、なまえ!」

伸ばした腕が虚しく空を切る。さっき俺が入ってきた出入り口から、あっと言う間にいなくなってしまった。吹き付ける風が妙に冷たい。

「…足、はえー…」

化身出せるんじゃないか。チーターとかダチョウとかの。

教室に戻ると、案の定喜多に「ファルコぐらい貸してやれ」と叱られた。理不尽な気がした。


110821



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