「父さんも母さんも、大嫌い」

夜、たまになまえから掛かってくる電話に出た。話すなまえの声の遠くで、汚い罵り合いが聞こえてくる。何と言ってるかあまり聞き取れない。
俺には両親と言うものがない。なまえにはある。のに、何故彼女は幸せそうではないのだろう。

「どうして喧嘩ばかりするの?どうして陰口を言うの?どうして知らない女の人が家に来るの?どうして母さんは知らない住所にプレゼントを送るの?」

ごちゃごちゃした質問攻め。言葉が耳から入って脳で暴れまわる。文字と考えが絡まって溜まる。あぁ、頭の中が散らかってきた。

「…分からないよ、そんなの。大人にならないと分からないよ」
「大人になったら分かるの?」
「多分」

ヒロトは何でも知っていてすごいな、となまえは呟いた。携帯を耳に当てたままベッドに寝転んだ。暗い天井に、流れ星のシールが蛍光色に光っている。

「早く喧嘩終わらないかな。うるさくて眠れない」

なまえが膝を抱えて、小さくなる姿が想像できた。ちりり、ちりりとケータイに付いている鈴が鳴っている。それを掻き消す食器が割れる音が聞こえてきた。確かにこれじゃあ眠れない。たまにおひさま園で夜中暴れる子達よりもうるさそうだ。

「家のどこに居ても聞こえてくるんだ。それに、お腹も空いた」
「ご飯食べてないのかい?」
「だってご飯食べる前に喧嘩始めたんだもの」

一際大きな破壊音が聞こえた。

「…そうだ、なまえ、今外に抜け出せる?」



駅前で待ち合わせ、午後十一時。町の明るさに負けて星は光らない。

「夜はなんだかドキドキするね」

「静かにしないと怒られちゃうよ」

必要最小限の物が入っているなまえの荷物を片手に、もう片方の手で名前の手を繋いだ。なまえは横で歩いているのに、まるで幼い子の手を引いているようだ。

「ここから二駅、それからちょっと歩いて、おひさま園だよ」
「うん」

切符を買って電車に乗る。ここまで誰も子供の俺達に声を掛けなかった。掛けて欲しかった訳じゃないけど、最近の大人なんてこんなものか。
電車の中は、外の喧騒と違って静かだった。みんな寝ている。いつもなら騒がしく化粧を直しながらケータイをいじっている女子高生も今は大人しい。なまえの横顔は、全く眠そうではなかった。俺はそろそろ寝てしまう時間だけど、今日は眠くない。

『××駅、××駅です。お降りの方は…』
「行こうか」

アナウンスを聞いて立ち上がった。ここで降りる人はあまりいない。静かな駅を抜けた。ざわざわと黒く影になった木の葉の擦れる音が聞こえる。

「ヒロト、お腹空いた」
「もうすぐ着くよ」

おひさま園に着くと、瞳子姉さんが腕を組んで玄関に待ち構えていた。しまった、バレた。バクバクと心臓が動く。もう隠せない。思いきって訳を白状した。すると瞳子姉さんは目を伏せて今日だけよ、となまえが泊まることを許してくれた。それから、こんなに夜更けなのに、レトルトのカレーをなまえに食べさせてもくれた。なまえを見る瞳子姉さんは、複雑そうな表情をしていた。両親がいる、でも喧嘩が絶えない。そんな境遇のなまえに感じる感情はやはり、可哀想、なのだ。だからきっと、俺もここに連れてきた。
瞳子姉さんは風呂になまえを向かわせ、あとは他のところに見回りに行ってしまった。

部屋のベッドに寝転んだ。目が冴えて眠れなくて、流れ星のシールをぼおっと眺める。隣のなまえは石鹸のいい匂いがした。ドライヤーで乾かしたけれど、まだ髪の毛はしっとりしている。

「…喧嘩してても何をしてても、なまえには両親がいるだけいいなぁと思ってたんだ」
「私もそう思う」
「でも、そんなの違ったんだよ。どう考えても両親がいない僕らの方が幸せの度合いが大きい。おかしいよ」
「ヒロト達の小さい頃の不幸が、私の場合は中学に来てるだけ。おかしくなんかない。きっと次は私にも、ヒロト達の幸せに負けない、幸せが来るはずだから」
「そうだと、いいけど」

重なる手がくすぐったい。
毎日喧嘩する両親が、これからすることは別居に、離婚。あんなに凶暴な親なら最悪虐待だってされてしまうかも知れない。もっともっと、不幸がふりかかるような気がするんだ。
何も言えなくなった。一回り小さななまえの体を抱きしめた。

「ヒロトあったかい…」
「ゆっくりお休み。明日はなまえにいいことがありますように」

なまえは目を閉じてすぐ、眠りに落ちた。頭をゆっくり撫でる。

お星様、どうかなまえが幸せになれますように。


110814 蛍光色の星に祈り



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