「くっ…」
「だいじょうぶ?」

ゴールポスト近くに転がったボールを拾いながら、彼女は穏やかに笑いながら白咲にそう問い掛けた。静かな声色とは真逆に、シュートは恐ろしく速く、強力であった。なんとか弾き返すことは出来たものの、衝撃で吹っ飛ばされた。まるで若かりし頃の吹雪士郎が再来したかのようだ、と白咲は思った。プレイスタイルどころか、顔まで吹雪士郎に似ていた。なぜなら彼女が吹雪の母親の年の離れた妹の娘、つまり血縁だからだった。血は争えないことを白咲は知った。
たれ目気味な彼女の目は士郎、桃色の髪はアツヤの面影を残し、彼女のことを吹雪はさながら本当の妹のように可愛がっていた。私生活もさることながら、サッカーという競技にまでその愛は及んだ。愛というのはスパルタ、という意味も含まれる。お陰で彼女はあのころの吹雪と同じような実力を持つ選手へと成長していたのだ。

彼女は白恋中よりも都会の学校に通っている。そこのサッカー部はとても小さく大会に出場するほどではない。だが、サッカー好きが集まっていて楽しいサッカーが出来ていた。ひたすらに純粋だった。フィフスに支配されずサッカーを楽しんだ彼女は、純粋だからこそ強い。白咲は愕然としていた。化身を使って負けるならまだしも、これは本当に技術の勝負であった。いちおう鉄壁を誇るセービング率にも関わらず、女子に吹っ飛ばされたとなれば白咲のプライドはずたぼろだった。
(なんなんだこいつは………)
相変わらずにこにことなまえは微笑んでいる。さっきの、ウルフレジェンド………あれは元イナズマジャパン吹雪士郎の必殺技だ。教えてもらったのだろう、それを完璧に習得していた。雪村もエターナルブリザードを伝授して貰い、より強力な自分の必殺技へと昇華していたが彼女も同じような技を隠し持っているかもしれない。…ウルフレジェンドを打ったのは小手調べのつもりだったのだろうか。

「どうだよ白咲」

いししと歯を見せながら笑い、雪村は得意気な顔を向ける。雪村こそ、このPK対決をけしかけた張本人である。無駄にプライドの高い3本前髪野郎白咲に嫌がらせをしたかったようだ。結果は大成功だった訳だが、なまえの方は少しつまらなそうであった。強いゴールキーパーとPK対決ができると喜んでいたのにも関わらず、小手調べで勝敗が決まってしまったようなものだ。
白咲は絶望感に蝕まれながらも、雪を指先で削りながらなんとか立ち上がった。いつまでも地面に突っ伏していては、それもプライドに関わるのだ。

「ああ、素晴らしい才能の持ち主だ。それも雪村と同じぐらい……………かそれ以上のな」
「なァにぃ?!お前は一言余計なんだよ」

二人がギャンギャン言い争いをしているのをよそになまえはふぁあ…と白い息を吐き出しながら大あくびをこぼした。PKの続きをしたかった。ノーマルシュートをゴールネットに叩き込む。白咲は雪村と喧嘩しながらその様子を見てなんとなく問い掛けた。

「君…化身は?」
「化身?」
「シードでもシードにそそのかされた訳でもねぇのに化身なんか出せるかよ」

ケッ、と雪村は皮肉混じりにいい放った。白咲もそう言われてなんだかカチンと来たが、それもそうだ。ゴットエデンでの特訓のような、厳しい特訓の末生み出されるのが化身なのだ。精神的にも強くなくてはならないし、発動するにはトリガーが必要なのだ。例えば、雪村が吹雪から見放されたと勘違いをして生まれた復讐心。松風天馬のサッカーを守るという情熱や、剣城京介の兄に対する思いといったように。
化身、とぽつりと呟いた彼女は一度目を閉じて深呼吸をした。そうして刮目すると突風が吹き荒れ始めた。風が雪村のもみあげをゆらし、白咲の前髪がぶわっと浮き上がらせるのつかの間。

「んな…………」

淡桃色と雪色の顔を持つ狼の化身が遠吠えした。びりびりと耳に響く低音。一つの体に二つの顔、まるでキメラだ。なまえはそれぞれの狼に名前を付けているらしく、淡桃色をスコル、雪色をハティと呼んだ。白咲は狼、スコルとハティの神話を聞いたことがあった。スコルは太陽を追い掛け、ハティは月を追い掛けており、そうして太陽か月が捕まったときに日蝕や月蝕が起こるのだという。ところが彼女の化身は二匹がまとまって一匹になってしまっている。それがなにを現しているのか、分からない。なまえはにたりと笑った。

「いくぜぇ白咲!!取ってみな!!」



そのあとのことは、よく覚えていない。目が覚めると見えたのは部室の天井がだった。手を出し、クリスタルバリアを張って止めようとしたが、どうやら止めきれずに頭を打ったらしい。後頭部がズキズキと痛んだ。

「あ、起きた。気分どう?」
「へっ、そんな心配いらねーよ、こんなザルに」
「………………………うるさい雪村」

こぶができてるからどうたら、と喋るなまえを眺めながら白咲は考えていた。化身を出した瞬間性格が豹変した。穏やかな表情は影をひそめ、狂暴な顔が姿を見せた。明らかな二面性を持っている。また、自分がフィフスにいた時代、吹雪士郎について調べていたときに知ったのだが、彼も一時期穏やかなディフェンダーと攻撃的なフォワード、両極端な性質を持ったプレイヤーだったようだ。そして同じく、彼女も、である。いわゆる二重人格と呼ばれるものだ。

(吹雪さんの二重人格の原因は弟の死によるものらしいが………こいつは……?)

ズキッ、と頭に電流が走ったような痛みを感じて手を当てる。確かにそこの部位はこぶが出来上がっていた。しかも案外でかい。雪村にバカにされるのがオチだろう。

「雪村、氷持ってきてよ。やっぱ冷やした方いいと思う」
「えー」
「いいから」
「へいへい」

こいつあっさり言うこと聞きやがって………ま、それもそうか、大好きな吹雪先輩の妹みたいなものだからな。腹が立つような、微笑ましいような。いや、やっぱムカつく。雪村が出ていったのを見送ったあと、なまえはこちらをゆっくりと振り返った。吹雪さんと似たたれ目に、攻撃的な金色の光を宿して。

「白咲はアツヤにいさんを知っているんだね?」

寂しそうな、嬉しそうな問い掛け。キラキラと輝いたその目は美しく感じられたが、謎の恐ろしさに身体中に悪寒が走った。まるで、二人の人間がそこにいるようだったのだ。

「士郎にいさんは…自分の中からアツヤを消え去らせても、無意識のうちにアツヤを強く望んだ………私はその期待に応えて………どんな手を使ってでもアツヤに……… ならなきゃいけねぇんだ」

…本当に、これはなかなかの二重人格、だな?いまにも泣きそうな顔をしている。どうしたらアツヤという人間になれるのだろう、何年も試行錯誤してたどり着いたのが吹雪さんと同じ二重人格という道だったとは。なかなか皮肉なものだ。

「……自分は誰であるのか、誰のものであるのか、よーく考えてみろ。アツヤか?吹雪さんの言いなりのおもちゃか?」
「………なにを……」
「吹雪さんが君にサッカーを教えた理由はアツヤが欲しかったから?いや違うね、自分が大好きなサッカーを知って貰いたかったからさ。それぐらい俺にも分かる」
「……白咲はなにもわかってない!アツヤにいさんを思い出したときの士郎にいさんの表情も!感情も!」
グルル、と牙を剥いて二人が反論してくる。可哀想な生き物だ、としか思えなかった。
「なくなった人を思い出せば………悲しいさ。誰でも、いつでもな。それでも吹雪さんは乗り越えたんじゃあないのか」
そうだ。もう吹雪さんは二重人格ではない。『アツヤ』がいなくても大丈夫、もう一人で立っていられる。少なくとも10年前の彼はそうして克服した。『アツヤ』を望んでいた訳ではない。…………『アツヤ』さんがいたころのように、楽しいサッカーがしたかったんだ。



- ナノ -