「僕の髪の毛触って楽しいかい?」

その問いになまえちゃんは笑顔で頷いた。ふわふわ、と小さな桃色の口が動いたのが読み取れた。彼女と遊んだり、他の患者を見たりしていると俺の足が動かない程度はまだ幸せなように思える。話せない、声を出して笑えない。そんなことが、もし俺に降り掛かってきたら気がおかしくなりそうだ。伝えたくて、伝わらなくて、暴れて。どれだけ迷惑をかけるだろう。だが、幸いにもなまえちゃんはスキンシップが得意だった。よく抱きつくし、挙げ句この前はくんくんと犬のようににおいまで嗅がれた。この子が感情を伝えるには、表情とスキンシップしかないのだ。嬉しければ手を握って上下に振って、滅多に無いけどなまえちゃんが機嫌が悪ければ触ってこないし、目を合わせすらしない。手話が出来たらもっとスムーズなんだろうけど、俺には出来なくて。それに紙に書いて会話をするのはとても面倒だ。

「弟の京介ね、あいつのモミアゲはすごいぞー。今日は来てくれるみたいだからなまえちゃん会えるかも」

ふわっ、と顔を輝かせて頬をぺたぺたと触ってきた。

「あ、ほら来た来た、あの学ランの子」

窓の外を指差すと、開いた窓から落ちそうなほど身を乗り出して京介を見ようとしていた。危なっかしくて見てられない。車椅子を動かし近付いて服の端を引っ張り、こっちに引き戻すと不満そうな顔をした。しかしそれをすぐ笑顔に切り替えて、病室の出口に走った。一旦立ち止まり、わたわたとジェスチャーをしてまた病室の外に走って行った。どうやら京介を迎えに行ってくる?ようだ。うん、大体分かってきた。





すぐにでも兄さんに会いに行こうと思ったが、病院の入り口付近で走ってきた妙なやつにいきなり抱き付かれた。

「なんだお前…」

ポケットに手を突っ込んだまま首だけ動かした。女からはふわりと病院の染み着いてしまったにおいがした。入院患者のようだったのでどうにも抵抗はし難い。

「おっ、おいどこ行くんだよ…」

ぱっと離れたかと思うと、ポケットに突っ込んだままだった俺の手を引き出して引っ張った。どこかに連れて行こうとしているらしい。

「おい!」

どうしたの、と言いたげな顔で振り向いた。

「なんか答えろ」

ふるふると首を振った。

「お前には口があるだろうがよぉ」

これも首を横に振る。

「もしかして、喋れねぇのか」

ニコニコしながら小さく頷いた。どうも嘘を吐いているようには見えない。暫く病院に通ってはいるが、喋れない病があるなんて知らなかった。どうして喋れないのに明るくて元気なのだろう。
ぐいぐいと手を引っ張る感覚にはっとした。どうやら連れて行こうとしているのは俺の目的地の方向だった。

「やぁ京介」
「やぁ、じゃねぇよなんだコイツ」
「驚いたでしょ。もしかして抱き付かれたり?」
「した」
兄さんは大爆笑しそうに声を震わせていた。やっぱり兄さんの知り合いだったのか。
「お前は早く手を離せ!」
「こらこら、乱暴にしないの」



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