神威大門のメカニックの朝は早い。ペリカン荘の一室、二人部屋のところ最近相方がLOSTしてしまい事実一人部屋となったなまえもそのメカニックの一員であった。そもそも自分の所属している小さな仮想国に所属した時点で仲間内のLOSTは覚悟している。実際何度か相方は入れ替わっている訳で、メカニックとしてはなかなか心が痛いものがあった。メカニックは戦わない、つまりLOSTもしない、退学はないのだ。
部屋いっぱいに転がっているLテクや工具に脚を引っかけながら窓際の作業台にたどり着くと小隊のLBXをいじり始めた。昨日も何回か被弾している。甲装の傷だけはなまえの美学に反した。LBXはいつだって綺麗なものでなければ。いくら強くても、傷だらけのLBXは弱く見えて襲われる確率も高い。まぁそれは予算のない小国に限って言えることかもしれないが。CCMには残り少ない予算の表示がある。自分のこづかいも充ててはいるのだが足りない。とにかくLOSTを最小限なくそうとは努力していることを分かって頂きたい。隅々まで見渡したところ、目立った傷はないようだ。塗装が剥げているだけだ。やすりをかけて塗り直しすれば問題ない。そんなことよりも、前から頭を悩ませているのはこのアームである。一度ヒビが入ってからというもの、度々ヒビが現れてしまう。パーツ交換したいのだが、やはり予算がない。本当に壊れてしまわないかぎりは使い続けたいのだが戦闘中に壊れてしまってはなぁと、悩みは尽きないのである。
そうして早目の朝は過ぎ、朝御飯に遅刻して小隊のみんなに怒られるのがセオリーだった。

ふあぁ、と欠伸を何度も繰り返しながらの登校、やっと門をくぐった。頭の寝癖はまるでなおっていない。相方が寝癖を直してくれるのは好きだったのになぁと相も変わらずぼんやり歩いている。前方5メートル前、右斜め5.5度先、紺色の制服がふらふら歩いている。紺色の制服は1年下のジェノック、こちらも私と同じく小国である。ジェノックといえば、昨日2機がLOSTしていたな。退学が二人か、なかなかきつい。いまは遅刻ぎりぎりの時間、もしかしてショックで立ち直れないその小隊のメンバーだろうか。ははあ、自分の頭にしてはなかなかいい推理だ。
可哀想には思うが、お互い違う学年、違う国、関わりもない。話し掛ける義理もない。あまりにも歩みが遅いので横を通り抜けようとした、そのとき。黒い髪がふらりとよろめいて地面に崩れ落ちた。………マジか。周りには誰もいない、お関わりにならないといけないパターンになってしまった。倒れる、というよりは座り込んでから横倒しになったようで頭は打っていないらしい。顔色をうかがうと血色がなく真っ青で、貧血を引き起こしたようだ。厄介なことに気絶までしている。校舎まではあと数10メートル、保健室直行が決まった。左腕を持ち上げ肩にまわし、脇を支え、片手で両足を抱える。いわゆる「お姫様だっこ」の体勢をどった。細くて軽いのだか、意識がない人はどうしても重く感じる。教科書類がはいった鞄は投げ出し、保健室までの道を急ぐ。階段を登らなくてもいいのが救いだな。
保健室の手前で黒髪の少年は目を開けた。気が付いたようだ。しかし顔はまだ本調子の色ではないのだろう。顔面蒼白である。うう、と呻き声をあげて身動ぎをする。むむ、落としそうだ。手が塞がっていて開かないので通行人が保健室のドアを開けてくれた。保健の先生は、まだいないか。 ベッドの上に横たわらせた。きちんとしまってているネクタイを緩め、シャツのボタンも二個外した。服装からみてもガチガチに真面目系の奴だな。考えすぎ、悩みすぎ、という言葉が頭をよぎった。

「とりあえず先生呼んでくるから大人しくしてて。じゃあね」

さっさと職員室言って保健室に先生を召喚して自分は教室に行こう。廊下の途中で女の子の視線とヒソヒソ声が聞こえてくる。一体感なんなんだ。そんなに寝癖がついているだろうか。あー、相方戻ってきてくれないかなぁ…。職員室にたどり着き、あらあら大変と保健室先生は抜け出して行く。随分軽いノリだな…。ミッションコンプリート、遅刻3分前。教室には校門前に放り投げてきた鞄が机に上がっていた。そうだ、すっかり忘れていた。だれか届けてくれたんだなぁ。ありがたやありがたや…。ぐだぐだ机につっぷす前に、クラスの数少ない女の子が駆け寄ってきた。

「ちょっとちょっと!みたよ!」
「ってー、なにを?」
「あんたに惚れそうになった!王子!」
「あん?」
「だーかーら、お姫さまだっこしてるの見たって!みーんな窓から見てた!」
「…あー」

今度こそ鞄に突っ伏した。みんな見ていた、あのヒソヒソ声はつまりそういうことなのだろう。少なからず注目の的だったわけだ。あー、もう、これは困った。いやでも、自意識過剰なだけかもしれないしな、昼頃には落ち着いているだろう。

期待半分、お昼にカフェオレを買いに出掛けると背後に気配を感じた。それも女の子ばかり。うーむ、私を追いかけなくてもにかっこいい人は腐るほどいるだろう、特に2年生の北条ムラクとか、風陣カイトとかよく聞くイケメンなのだが。ちなみに私は年下には興味がない、歳上派だ。その辺の椅子に腰かけてパックのカフェオレを啜る。これだけで歓声が上がるのだからいっそ笑えた。もう教室に戻ろうかと考えていたところに、大きなゴーグルが印象的な男の子があらわれた。ふむ、メカニックだろう。

「あの、なまえさんですか」
「そだけど」
「僕は2年生の細野サクヤです。朝はうちの隊長が大変お世話になりました。どうも体調がすぐれなかったようで…」
「ああ、気にしないでいいよ。恩を着せるつもりはないし」

でもなにかお礼しないと、とあたふたしている。こんなしっかりした子が世の中に生き残っていたなんて驚きである。その様子をひとしきり眺めたころにはパックのカフェオレの中身はなくなっていた。そろそろ教室に戻ろう、女の子の視線もいたいし。

「隊員のメンテナンス、頑張ってね」

小さなホソノサクヤくんの頭をぐりぐりなでた。で、まぁ案の定キャーキャー周りから聞こえてくる。撫でてくださーいと追いかけられる前に走って教室に逃げた。サクヤくんはポカンと口を開けたまま取り残されたのだった。

◆◆◆◇

あんたってば急にモテはじめちゃってー!
ハイハイ女子にね、じょ、し、に。と受け流すのもそろそろ飽きてきた。
数日経っても勢いは収まることなく、むしろ増してしまった。そしてあらぬ噂も立ち始める。不良を何人も打ちのめしたとか本当はLBXプレイヤーでものすごく強いとか。言っておこう、そんなことは一切ない。不良に関わったことなんてないし、LBXの腕はからっきしダメ。それはもう泣きそうなぐらいにね。
口が寂しい開発作業のために飴を一つ含んだ(ちなみに下足棚に入っていた飴だ) 。本当はポテチが食べたいが作業台の上で食べるのはご法度なのだ。新しい武器開発を命じられてしばらく経つ。今のところ設計止まりだ。言うまでもなく予算の問題で材料が買えないのだから。買えたとしてもうまく作れるかは分からない。ラボがあればなぁ…。設計の紙をウンウン眺めていても仕方がない。お買い得の材料を探しに行きますか。ゴリゴリと飴を噛みながら上着を持ち上げた。棒つきの飴を数本ポケットに突っ込み、商店街に向かった。
商店街の入り組んだところの中古屋は意外と穴場で、たまに掘り出し物があったりする。するのだが、材料の形状がバラバラでなかなか削り出しが難しい。ま、よく言うと技術屋の腕のみせどころですよね。CCMの表示の残金を確認して、厳選した素材をレジに通す。これでジュースはしばらく我慢だな…。トホホ。中古屋を出ると陽が沈みかけていた。ここの島のいいところ一つは夕焼けが綺麗なところだと思う。そんなことより夕飯の時間だ。色気より食い気。早くかえろう。ポケットの棒つきの飴の包装紙をべりべり向いていると隣の店から見覚えのある人が現れた。

「あ…」

えっと…………………。

「…前日はご迷惑をおかけしました」
「ああ、思い出した。きみか貧血ボーイ」

あだ名が不服なのかちょっと眉間にシワがよった。すみませんね、名前知らないもんで。

「……出雲ハルキです」
「ハルキくんか、よろしく」

握手をしようと右手を差し出したがハルキくんはうつむいて小刻みに震え出した。え、なに、どうした?話しかける前に絞り出した小さな声が聞こえてくる。

「あなたにお礼を言おうと何度も何度も教室を訪ねているのにいつも人の壁ができていて顔すらみえないし昼休みに探してもいないし下校中もいないし寮に押し掛けるのもおかしいしそれに本人に名前も、それどころか顔も覚えられていないなんて……!」
「お、いおい大丈夫かハルキくん…」
「触らないでください!」

肩に置こうとした右手はばちーん!と弾き飛ばされた。いたたた、恩人になんてことを…。驚いているうちにハルキくんはボロボロ泣き出してさらに驚かされる、というかぎょっとした。考えすぎに加え、隊長がこんなに紙メンタルなんて聞いていないぞサクヤくん!だっけか?ちゅーか、これは完全に逆ギレではないのかね。

「俺だって、俺だって一生懸命やってる。仲間にだって指示はちゃんと出した………なのになんで…!」

歯を食いしばって頬を赤くして泣く子供っぽい表情は、普段の彼とはキャラが違うのだろうな。なんとなくだがこれは裏の顔ではないのだろうか…。感情の爆発が一気に起こったようだ。…まぁ、気持ちは分かる。でもな。

「おいこら、勝手に一人でキレて泣いてんじゃねぇよ出雲ハルキ」

頬をガッと掴んで口に飴を差し込んだ。不意討ちを食らって丸くなった瞳の、深淵を見詰める。涙は止まった、と同時に口から飴が地面にこぼれ落ちた。あーあ、勿体無いがもう食えんな。まったく世話の焼けるやつだ。ハンカチを取り出してゴシゴシ顔を拭いてやった。本当に情けない顔で見ていられなかった。人気のないところで本当によかったな。

「なんでもかんでも人のせいにしない」
「うっ…うぅ…」
「わかったらハイ」
「ふぁい…」
「泣くのは仇を討ってから」

息を飲み込んでこくんと力強く頷いた。でも今だけは泣いてもいい。溜め込むと体に悪い。大声で泣き散らすハルキくんの顔を肩口に埋めて存分に泣かせた。どれだけ酷い顔をしているのか私にも分からない。結局ハルキくんは、私の制服が色んな液体でぐしゃぐしゃになるまで泣いた。落ちついた頃には、商店街の街頭がぼちぼち点き始めた。そう時間は経っていないのだろう。
ハルキくんをスワン荘まで送ろうとしたが断られた。また女の子に囲まれるから、とハルキくんはうつむき加減に言った。

「じゃあ約束しよう。仇を討つまで、泣かないことをね」

私のハンカチと飴を一個、右手に握らせた。約束の証として君にそれを譲るよ。ハルキくんは本調子の真面目なお堅い感じに戻って「はい」と返事をした。 はは、あの泣き声を聞いてからでは少し違和感だな。濡れた制服のクリーニング代弁償しますなんて言われたが、他の色の制服を持ち帰ったらどんな顔をされるか分からない。年下から金を奪うつもりもない。丁重にお断りした。
また会おう、と指切りげんまんをしてそれぞれの帰路についた。上着を脱いだせいで少し肌寒い。ふと見上げると星がちらちら瞬いていた。綺麗だ。

そんなことより………おなかすいたなぁ。


◆◆◆◇


「あー!ハルキまたそのハンカチ見てるのかぁ?」
「あっ、触るな!」

普段は冷静なハルキが声をあらげた。ジェノックの新人、アラタは驚いて思わず一歩引いた。そのようすを呆れた顔でヒカルが眺めている。とはいえヒカルもハンカチの正体が知りたいらしく、サクヤに小さな声で話し掛けた。

「サクヤはあれがなにかしっているのか?」
「それが分からないんだ」

ふーん、とヒカルは返した。返事は適当だがそれなりに気になっているようだ。ハルキとアラタのハンカチの壮絶な取り合いに顔を向けた。アラタはかなりしつこく食いついた。サクヤに制止を掛けられる前に、ついにハルキの手からハンカチが奪われてしまった。「かえせっ!」と叫ぶがあっという間に
丁寧にアイロンが掛けられ、几帳面に四角く折り畳まれたハンカチが開かれてしまった。端の方に、だれかの名前があった。しかもハルキの文字ではない。誰かの文字だ。

「なまえ…?」
「いい加減にしろアラタ!」
「あっ!」

やっとの思いでアラタの手から奪い返した。しかし中が見られてしまったのが相当不服だったらしく、ずかずかと教室を出ていってしまった。

「お、おれなんか酷いことしたのかな…」
「ほんとデリカシーのないやつ…」

ため息混じりにヒカルは言った。サクヤも苦笑いを浮かべている。しかしハンカチの中身を知った今、やっとその正体が発覚した。アラタとヒカルが来る以前の事件。あの時助けてくれた人の名前が書いてある。その人に関わりがあることは間違いないが、何があったかまで予測は出来なかった。タイミングよく廊下を通る女子の取り巻き、その前方数メートルになまえの相変わらずな姿があった。きっと彼女は自分のことさえ忘れかけているのだろうとサクヤは思った。整備や開発のことで頭がいっぱい、取り巻きさえ気にかけない。それがメカニックだ。


あの人はメカニックだ。自分の関心のあるもの以外は忘れっぽいし、覚えようともしない。どうでもいいことは放置する効率主義者だ。でも、今すれ違ったときにほんの少し口角が上がった。眠そうな目は緩く細められる。取り巻きに飲み込まれてすぐいなくなってしまうけれど。彼女は俺を覚えていてくれている。
それだけで俺は胸が痺れるぐらい幸せだった。



130609
あの人は憧れの海



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