朝のにおいにつられて、にわとりよりも早くめがさめた。いろりの火はすっかり消え赤く色付く程度になっている。二人が寒くないように数本枝を投げ入れた。寝息をたてているみなみさわのうでをぬけ、霧がたちこめている外へでた。ひんやりとした空気がここちよい。まっしろな霧といっしょに空気を肺いっぱいに吸い込んでから、あしは森に向かっていた。
わたしが住んでいた森はいま、どうなっているだろう。人食い鬼がいなくなってへいわになっているだろうか。樹に触れていると、ときたまおもいだす。土と、こけのにおい。葉にうずまってねたときもある。ここの村のちかくの森はちいさかった。さほどおおきな樹もみあたらないが、いっとう背のたかい樹に登ればわたしのすんでいた森がみえるかもしれない。幹のふとい樹をさがして、いちばんしたの枝へとびうつる。そうしてどんどんのぼっていく。陽を反射して森がきらきらひかる。朝日がのぼってきている。ひゅう、とつめたい風がふいたらてっぺんの合図。つらなる山とぽつぽつある家、ぐるりとみわたしてもわたしの森はどこにもなかった。

…いいや、もうわたしの森ではないか。

みなみさわに連れられて、とてもとても遠くにきてしまったようだ。ひかる朝日があまりにまぶしい。のぼりきるまえにはさんごくの家にかえろう。しんぱいかけるのはいやだ。雌鹿か、キジをてみやげにしたらよろこぶかもしれない。じめんにおりると、すっかり霧ははれていた。獲物をさがそうと一歩踏み込む。そのとき、

ひゅっ、

となにかがほおをかすめた。いきおいよくガツンと樹にささったそれは、矢だ。矢が飛んできた。

「動くな」

びりびりとひびく低い声。ずっと遠くにみえる弓をひきしぼるその姿はしろく、目だけがあかくひかる。矢がささるだけではなく、しろい風が身をきりさいてくるようだ。さっきの矢で、かすっただけかとおもっていたが、頬の傷はぱっくりくちを開けてしまっていた。これは、にげなければ、不死ではないわたしを待つのは、死だ。樹の上へ、それから跳ぶようにじぐざくに逃げた。弓はまっすぐにしかとばない。それに、走りながらではねらいもさだまらないだろう。





白の少年は引き絞っていた弓を降ろした。もう見えなくなった姿を、鋭い目付きで睨み付ける。
「ふん………人殺しめ………」
「少し焦っちゃったね」
悔しそうに下唇を噛む白い少年、白竜の隣に、一人黒い少年が影のように静かに現れた。体格に似合わない大きな斧が背負われている。
「シュウ…」
「でもこれで案内になるだろう。南沢くんにも話があるからね」
シュウと呼ばれた黒の少年は空を見上げて目を細めた。





「いたい…!」
「こら、逃げるな」
またもや怪我をして帰ってきたヒメを三国に預けた。朝飯の雑炊を食ってるときに、なんてめんどくさいやつだろう。三国はうんざりはしていないようだが。俺はこんなに驚かされるのはもうこりごりだ。出掛けるなとも言えない、困ったものだ。戸の脇に立ち外を眺める。まだ追っ手はこない。
話を聞くに、白い少年、白い矢に射たれた。傷は風によって切られた。すぐ塞がる筈の傷は塞がらないし、不思議な能力を持っているようだ、と。説明下手だったがこういうことだろう。これには思い当たる節がある。矢と光の風。白竜だ。ということは近くにはシュウもいるはずだ。彼等は妖怪…化け物…、それが人であったものでも依頼されたら人のためと言って狩る。その道の名人だ。二人は異能持ちで、彼等自体が化け物と呼ばれてもいいはずなのだが、それを逆手にとっている。厄介だ。
「…話を付けてくる。あいつら近くまで来てる」
「あいつら、って……知り合いなのか」
「すこしな」
用心のため錫杖を持ち、三国家の戸を開ける。向こうの木の元にシュウが佇んでいた。白竜も木の上にいる。木漏れ日の中で、シュウだけは優しく微笑んでいた。
「やあ。元気にしてたかい」
「そこそこな。今日はなんだ?仕事か?」
「そんなところかな。君、また厄介なのを抱え込んでるね。さっさと屠ってしまえばいいものを」
「……可哀想な奴なんだ。放っておいてくれ」
「人食いの化け物に可哀想もなにもあるか!こいつが何人食べたと思っている?!村人十数人、旅人は何人食われたか分からんほどだ!あいつに生きるという選択権はない!」
「落ち着きなよ白竜。口喧嘩で解決は出来ない」
シュウは喧嘩腰の白竜を咎めた。
落ち着いた陰と激しい陽。夜と昼。彼らは二人で一つ。この世の中のように。
「南沢くん。あの化け物を庇っている理由、それは同族を見付けたからだろうね。でも、あれは別物だ。神に等しい能力を持っている君にとってはね……」
「いいや同じだ。ヒメも、俺も、お前らも。同じはみ出し物だ」
「……和解は無理だね。じゃあ、こうしよう。人を食べていた化け物が普通の食事に戻るのは無理に等しい。それがもし、人のように生活する事が出来たなら、今回だけは見逃してあげよう。出来るまで、僕らはいつまでも狙い続けるよ……」
一方的にそう言い残すと、不気味な微笑みと共に彼らは森の奥へ消えた。体制を立て直してまたヒメに襲い掛かるつもりだ。自分たちの正義のために。
俺も三国家に一旦戻った。頬に布を当てられたヒメが座布団の上で丸まっていた。着物の裾を握り締めているあたり、塞がらない頬の傷が痛むのだろう。白竜の風は異能の体には毒のようなものだ。しかし、ヒメはよくあの二人から逃げられた。野生的な本能と身体能力、そして運の強さ……。いつまでもつか。三国にはざっくり白竜とシュウのことを説明した。「正義」の名のもと活動している彼らは三国を巻き添えにはしないこと。そして、突き付けられたあの一方的な条件。
「ヒメもいっそ死んだ方が楽になるよな……」
「馬鹿。何言ってるんだよ」
話を聞いた三国は、いつも愛用している包丁を取り出した。何をするかと思いきや、自分の手のひらに切り傷を入れた。流れ出した血を、朝飯の雑炊の椀の一つに絞り出す。流石の俺も驚いた。どろりと雑炊に滲んでゆく赤黒い血液。痛みに顔を歪めても、三国の瞳は未だに諦めていなかった。



131215
ひると夜のぜつぼう



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