数多の星の空に、紫煙が掛かる。
寝心地の悪い寝袋と、外の空気のせいで眠れず、星空をぼんやり眺めていた僕は少しだけ驚いた。いつの間にか起き上がって火をつけたらしい。台無しだな、とごちるのも束の間、僕のもとにも煙が流れてきた。
甘い甘い、バニラの香り。あまり好きではない煙草の香りでただ一つ、僕でも匂いの嗅ぎ分けられる。彼女はいつもこれを愛煙している。ジジ、と唸る赤い火が彼女の顔を照らし、小さく口を開けて煙を逃がす。
一連の動きは、まるで花魁のような、妙な妖艶さを醸し出していた。

「花京院、眠れないなら一本吸ってみないか」
「……遠慮するよ」

じっとその灯りを見ていたのに気付いていたらしい。器用に煙草を咥えたまま話しかけてきた。
僕は寝袋から起き上がって、彼女と並んで空を見上げた。煙はまだ星空を煙らせている。

「星が綺麗だ。落ちてきそうなぐらい」
「ああ……君がタバコを吸ってなければさらに美しいだろうね」
「言うねぇ」
「第一、そんなに体に悪いモノ吸うべきじゃあないんです。癖になる前にやめたほうがいい」
「もう癖になってるさ。赤ん坊のおしゃぶりよりもひどい」

ククッと喉の奥で笑う。自分のことを笑っているのか、僕をバカにしているのか。
もう一息吸いこむと、今度は細く、長く空中へ煙を吐き出す。まだ長さのある煙草を携帯用の灰皿にねじ込んだ。喫煙者の中でも、ポイ捨てしないだけ彼女はまだマナーの良い方だ。

「よっぽどタバコが嫌いなようだが、何か理由でも?」
「ただ、早死したくないだけです。僕は、まともに人生を送れないような気がするので」
「はは、そりゃあ私もだよ」

カチン、カチン、と銀色のライターの蓋を開け閉めする。ニコチンがしっかり補充できなかったのだろう。

「DIOを倒したら禁煙でもするさ。今は、死の淵にいる気がしてとてもじゃあないけど、落ち着かないんだ」

彼女は俯き加減にそう呟いた。
僕達は、根本が同じなのだ。直前の死を感じているからこそ、彼女は今生きることに必死で、僕は未来を生き延びることに必死なのだ。違うのは、背後から迫る真っ黒な死の影に、煙草をふかして対抗すること。細い生への線を手繰り寄せ、命綱のない綱渡りをすること。

踏み外せば、死だ。

「生きたいことに違いはないのに、何故、僕らは、こうも」
「ああ、花京院」

気に病まないで、もうお休み。と遮るように頬にキスをくれた。そうしてくれなければ、泣きじゃくってしまっていただろう。すっかり外国人のそれに慣れた僕には、キスがどんな意味だったのかは分からなかった。寝袋に入ったあとも彼女はずっとそばにいてくれた。終いに一筋溢れた涙を、そっとすくってくれた。

「君から死の気配はしないよ」

バニラの香りが漂ってくる。ああ、タバコの香りよりも何よりも、甘いのは。






僕は春の夜に一度だけ、煙草に火をつける。甘い甘い、バニラの香りのするやつだ。最近値段が上がった。
星が綺麗な夜に赤い火を灯すと、あの横顔が今でも綺麗に浮かび上がる。

「しかし……苦いな」

墓石の前でポツリとこぼす。
匂いは甘いのに、味は最悪。まるで、小さな頃に舐めたお菓子用のバニラエッセンスだ。一息だけ吸ったそれを、線香の隣に並べる。

「君は頭が良かったけれど、やっぱり馬鹿だったと思うよ。僕をかばって死ぬなんて、馬鹿だ」

もう愛のキスをくれる人はいない。流れた涙を拭いてくれる人はいない。星を一緒に見上げる人はもういない。

「だから、僕は馬鹿な君の分まで生き延びてやるさ」

幻想の彼女は困ったように笑う。それから、いつまで経っても意地っ張りだね、と。
僕は振り返らないように歩き出した。夜の、3分だけの短い訪問。そうでもしないと、涙がいつまでも流れてしまってみっともない。また、笑われてしまうのだ。

「星が綺麗だ。落ちてきそうなぐらい」

滲んだ涙で見えやしないのに、僕は誤魔化すように呟いた。



150412



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