二色の瞳が言い伝えを暗夜に語りだす。

言い伝えに過ぎない単なるお伽噺を。

私は黙って耳を傾けました。


***


結局二日目も、化け物が食物を口にすることはなかった。焼き魚を差し出しても口を一文字に結んで拒んだ。人間になりたい、という願望は行動に伴わず仕舞いだった。その変わりに、化け物は名前を欲しがった。だだっ子のような欲しがり方をする訳では無かった。ただ「倉間のようにかんたんでいいからなまえがほしい」と静かに言った。これには驚いた。今までも欲しがらない姿勢を取っていたのに、自分からものを要求するとは。一歩前進かもしれない。縫い物をしている三国も驚いた様子で、指に針を突き刺しそうになっていた。化け物は倉間の生い立ちでも聞いたのだろう。倉と倉の間で倉間…我ながら単純だ。しかし名前は命さえ伴う大事なものだ。
「俺は向きじゃない三国に付けて貰え」
「俺?いてっ!」
ついに針を人差し指に突き刺していた。裁縫は上手いはずなのに珍しいこともあるものだな。くくっと口から笑いが漏れた。どうやら予想外に深く突き刺したようで、ぷくっと赤い斑点が湧いた後に赤い血が流れ始めた。おっと、笑ってる場合じゃなかったな。なにかしら処置しなければ。三国の指からその一滴が流れた途端、刮目した化け物は三国の腕を強く掴んだ。血は、化け物の食欲の本能を目覚めさせた。囲炉裏の火が映り、目が赤く燃え上がった。これは些か危険かもしれないと身構えたのも束の間、人差し指をまるまる口に含んだ。驚き、痛がる三国見ながら、化け物は傷口を暫く嘗めていた。食い千切る心配はない。「噛むな」の命令はいつまでも効いている。警戒の姿勢を解いて、今度はどうにも怪しい関係に見えてきた二人を眺めた。化け物が口を離したころには、三国の指の血は止まっていた。
「…あ、ありがとう」
「つばをつけておけばなおる」
そう言って横になった化け物の気持ちはよく読めた。久し振りの食事に興奮しているのだ。もっと欲しい、という気持ちと戦っているのだろう。ぎゅうと握り拳を作り、平に食い込んだ爪は痛そうだった。辛そうに閉じた目の横を撫でてやる。三国も何故そのような態度を取っているかはわかっているようで、何かを聞き出す様子はない。
そうしているうちに、化け物は眠りについた。すやすやと寝息をたてる口からは立派な牙が覗いていた。
「さて、名前は決まったか三国」
「今のそれで切り出すか!」
「可愛いお姫様のためだろ」
「………ひめ?」
「お、ひ、め、さ、ま」
なにか俺は言っただろうか。三国が輝いた目で見つめてくる。まさかお姫様に憧れているなんてことは、ないよな。
「じゃあヒメにしよう!」
「は?」
「名前。南沢が付けたんだからな」
「………」
そこから引用してくるとは思ってもみなかった。お姫様にしては礼儀がなっていない。笑いもしない、まだまだ狂暴な鬼だった。狂暴、だがもう数日もすれば痩せほそり始め、いずれは動けなくなってしまうだろう。三国は食事を矯正すると言った。だが、この調子ではその前に死んでしまう。死んでしまっては、もとも子もないのだ。だからこそ、決断をしなければならない。それにどうしたってもう、化け物から人間の容姿に戻るのは無理だ。倉間も、ヒメも。何かを切っ掛けに完全に化けてしまえば、俺にも戻してやれない。

「…ヒメ」

ヒメが俺たちを食べるのをがまんしているように。俺ももう、こいつを喰う気はしないんだ。



わたしは最悪なやつだ。もうなにも口にしないときめていたのに、さんごくの血は、とてもおいしそうで。後ろめたい、吐きだしたいのに胃はそれをつかんではなしてくれなかった。いっそ、腹をさいて胃をとりだしてしまえばいい。そのまま内臓をすべてちぎってしまえばいいのだ。
どこからがゆめなのか、わたしは自分の腹をさいていた。おとくいのするどい爪でまっかな線を引いて、魚をひらくみたいにひらいた。内臓はいきもののようにうごくことをわたしはしっている。たくさんの人をころし、食べたから。自分のものではないような胃をひきずりだした。胃液と、さんごくの血以外はからっぽだった。腸はながくてきもちわるいから見たくない。心臓はおくまっていまだにどくどくなみうっている。肺も空気をとりこんでふくれたり、しぼんだり。胃ちぎったらのにこいつらがまだうごいているはずがない。これは、ゆめだ。

「ゆめ…」

まっくらな夜中。はじめてこわいとおもった。鼻さきをくすぐるみなみさわのにおいに顔をうずめてまた眠りにおちた。



130219
暗やみがせまる



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