※色々耐性ある方向け




脚力でなくとも、ザナークの一撃は重い。不意をついた攻撃にすっかりぶっ飛ばされて、背中が地面とお見合いをしてしまった。じわりと口内に広がる血の味。唇の端と口の中が切れたようだ。
なんでこうして殴られたか訳は知らない。もともとザナークは乱暴で気分屋、我儘だ。訳があるはずがない。1つあるとしたら、「たまには喧嘩もいいだろぉ?」…そう、今まさに言ったこれだ。にたにた笑っているザナークは明かに挑発している。殴ったのがわざわざご丁寧に素手ということは、ボールを使うのは反則なのだろう。
更に殴り掛かろうと馬乗りになってきたザナークの顔の真正面、鼻の中心に狙いを定めた。 ごりっと骨のぶつかり合う音がする。 私も伊達に荒くれ集団ザナークドメインの一員をやっているわけじゃない。一発殴ればザナークの鼻から血が流れ出すのはごく当たり前だ。
鼻血を拭ったザナークは手のひらをみながら「クッククク…」なんて笑い出すのだから異常だ。まるで血を流すことを望んでいたような自嘲。嬉しそうで哀しそうだ。力が弱いと嘲笑う、いつものような高笑いを想像していたのに。愕然とした、といえば大袈裟かもしれないが、それほどに驚いた。

「なぁ…ザナーク」

血を流して嬉しいのか?
どうしてこんなことを?
なぜ哀しそうなんだ?

一言で全部聞いた。ザナークは無言だった。
口の中に血がたまってきた。口の中の傷は結構早く治るが、しばらく辛いものが食べられないのが遺憾だ。ザナークの鼻血も止まる気配がなく二、三滴私のザナークドメインのユニフォームに垂れた。ザナークは何度も鼻の下を拭った。そんなことで止まるはずもないのに。そうしてザナークはまた、血まみれの手のひらを悲しそうに眺めるのだった。

さどうしようもない、かわいそうなザナーク。

その血にまみれた手を取り、手の甲を自分の額に強く押し当てた。骨張った手には確かに血が通っている。体温の低い自分には、じり、じり、と焼けるような体温に感じられた。ザナークは少し驚いただけで、未だに無抵抗だった。目を閉じた今、彼の表情は窺えない。…いいや、私が見たくないのかもしれない。

「ザナーク…どうして…」

うわ言のように呟いた。ただ、どうしてか哀しかった。ザナークの哀しみが移ってしまったかのように、心が酷く痛んだ。殴られた頬よりも、ずっと、ずっと、痛い。固く閉じた瞼から涙がぼろぼろと流れてくる。情けない、みっともない。泣いたのはいつぶりだろう。振り返ればザナークと出会う前とザナークに会ったとき。それ以降は泣いていないのだ。ザナークドメインで泣く必要など皆無だったのだ。

「ザナーク………」

握っていた手がするすると瞼の上を撫でた。涙と乾いた血が混じって鉄臭さが振り返した。薄く目を開き、少しザナークの表情を見た。哀しそうだが、優しい。獰猛さなど微塵も感じられない。子供のようにしゃくりあげてしまいそうになるのを必死に堪えた。その代わりに涙は目の端から止めどなく流れてしまう。血液やら涙やらで濡れた頬をザナークは躊躇なくなめとった。その熱い舌が行き来する度に体が震えた。少しだけ、恐かったのかもしれない。

「お前の泣き顔なんざ、見たってだれも喜ばねェだろ」

誰のせいで泣いてると思ってんだ、と反論しようにも言葉が詰まって出てこない。それをザナークは知っているかのように、薄ら笑いを浮かべている。どうせ反論したところで、そういうと思ったぜと言われるのだ。関係ない。
唇の端を舐められ、口をひらけとジェスチャーが来た。は?と、これまた反論する間もなく太い指先が無理矢理唇をこじ開けてきた。乱暴にも程がある。ぐちゃぐちゃと指が口内で暴れまわった。指先が傷に触れたとたんビリリと痛みが走り、反射的についザナークの指を噛んでしまった。ザナークは一瞬顔をしかめたが「やっぱり切れてんな」と言うに止まった。それを確認したいなら聞けばいいのに、回りくどい。軽く歯を立てておいた。

「噛むなってんだろ」
「うぐ…っ」

ぐりっと舌の上を押されて嗚咽が漏れる。痛い。気持ち悪い。こいつは私を、どうしたいんだ。潤んだ目でザナークの顔を見据えるも、サドっ気たっぷりな表情をしているだけだ。支配欲というものがにじみ出ている。
唐突に指が引き抜かれ、息をつく間もなくその開いたままの口に噛みついてきた。指の代わりに、厚ぼったい舌が侵入する。喉の奥にまで届くようにえぐり、それから口の中の傷をねぶっている。これが痛いのなんの、脚が勝手にザナークの体を蹴っている。それも反射だろうが、弱々しいところが自分で気に入らなかった。首を横に振ろうとも、顔はがっちり両手で挟まれてしまっているのだ。

「ふぐっ…うぅ…!」
「暴れんな」
「いたっ…痛いぃ…っ」
「…ふん」

止まることのない涙はまた綺麗にザナークになめ取られた。実は優しいのか、と勘違いもするほど丁寧だったが、一息吐いた途端、また口をえぐられるのだ。それが幾度か繰り返されると窒息寸前なのか、目の前がぼんやりしてきた。ピントが合わず、ザナークの顔が認識出来ない。ぼんやりしていると、また唐突に抱き締められる。まりものような髪が鼻先を掠めた。
自分を落ち着かせるために目を閉じた。ザナークの心臓のバクバク動く音、身動きの一つまで感じられる。酸素が頭に回ってきてまた一つ、不自然さを感じた。ザナークは全てのことにおいて急いでいるのだ。まるで、余命宣告を受けた患者のように。

「ザナーク…なにを急いでいる…?」
「…………」
「何に怯えているんだ?」
「…俺は…」

その次の言葉は飲み込まれた。
しかし、不思議なことに脳にはザナークの記憶の映像が流れてくる。SARUという男、セカンドステージチルドレン能力の目覚め、人として認識されない苦悩、そして…。

「大人に…なれない?」
「…なんだと…なぜそれを?」
「それでも、君はザナーク・アバロニクじゃないか…今を自由に破天荒に後先考えずに生きる…私の好きな、他の誰でもない、ザナーク・アバロニクだ」

背中の布を握り締めた。
呼応するように抱擁はますます固くなる。苦しいが、嫌ではなかった。

「…ああ、そうだな。そう言うと思ったぜ。俺は俺の生きたいように生きるだけだ」

それでこそザナーク・アバロニク。口許が自然に緩む。固い抱擁の温かみに包まれ、そのまま気を失うように眠った。





「…まさかこいつも…世の中残酷だなァ、おサルさん」




130214



- ナノ -