なまえ!起きろなまえ!

遠くで誰かが必死に呼んでいる。身体を揺さぶっている。この声は、白咲さんだ。今すぐ飛び起きたいのに返事をしたいのに、瞼も体もカチコチに凍っていて動かない。パキ、と一部の氷がはげ落ちる音がした。しかし不思議なことに、自分は全く寒くなかった。
ああ、これは夢だ。化身が暴走した時の記憶だ。私の化身……ゲルダが……。


ぴちょん、と瞼に水滴が当たる。霞む視界は水蒸気だった。大浴場の湯船に使ったまま爆睡してしまっていたらしい。うう、なんでこんなにあったかい風呂であんな寒い夢を見てしまったんだ。でも、あれはそう、化身が始めて現れた時のことだ。無理矢理化身を生み出し、私はその大きな力を制御出来ずに暴走させた。本来まだ当分眠っているはずだった白銀の女王ゲルダは私を認めていなかったのだ。精神的に子供だった私の化身になるのは真っ平御免だったのだろう。今でこそ彼女は言うことを聞いてくれるが、ほぼそれは白咲さんのお陰と言ってもいい。あの時は危うく死にかける所だった、と御門さんは語るが当の私はよく覚えていなかった。
もしかしてゲルダのやつ、最近出してないから拗ねてるのかもしれない。仕方が無い、明日あたり自主練習ついでに遊んでやるかな…。やれ私がまだ子供っぽいからだの言った割には自分が一番子供っぽいじゃないか、ゲルダ。勢い付いて立ち上がったつもりが、案の定のぼせていて一度湯船にダイブした。

着替えながら見る時計は8時半を指している。うーん、8時少し前に入ったからそんなに時間は経っていないな。一緒に大浴場に来たカラスの行水白竜はもう風呂上がって部屋に戻っただろうか。でもカードキーは私が持ってるから戻っても部屋に入れない。これはまずいことをした。髪は部屋で乾かせばいいし、さっさと戻ろう。どうせ遅いだのなんのやんや言われるんだろう…はぁ、めんどくさい。重いため息を一つついて暖簾をくぐる。気のせいか暖簾も重かった。
ぺたぺたスリッパを鳴らしながら通路を歩いていると、自販機のある休憩スペースにやたらと人が集まってるのが見えた。見た目的に同世代か。机のうえにあるのはトランプだ。あと何年後かに行くことになる修学旅行ってやつかもしれないな。……あれ?でもあれは浪川で、隣は白竜だ。なんで知らない人たちと一緒にいるんだ?

「やれやれまた馬鹿騒ぎか」
「いいんじゃないか、青春ってやつで」
「南沢さん……と、真帆路さん……?」
「何故疑問系なんだ?」

後ろから現れた南沢さんと真帆路さんの三年生コンビだった。南沢さんはお風呂上がりでもあまり変わらないが、真帆路さんはいつもの特徴的な髪型がぺたんと潰れていてよくよく見ないと誰なのか分からない。と、いうことはつまり白竜と浪川と一緒にいるのはお風呂上がりのレジスタンスジャパンのメンバー達ということが推測される。ここまで変わるなんてみんな毎朝どんな髪のセットをしているんだろう……。とにかく恥をかくまえに気づけて良かった、と胸を撫で下した。

「あ、来た来た!南沢さんも真帆路さんもなまえちゃんもトランプどうですか?」
「ほら貴志部が呼んでるぜ。ま、俺たちは受験勉強あるから部屋に戻るけどな。懇親会だと思って混ざってこいよ」

南沢さんが顎で集団を示すと、真帆路さんは大きな手で私の首根っこを掴んでその中に放り投げた…….というのは少しオーバーな表現だが首根っこを掴まれたのは本当で、そのままソファの中心に着地した。しかもそこが護巻さんと大和さんの間だったから最悪だ。護巻さんはいいとして、大和さんには今日私から顔面シュートを食らったふかーい悔恨の念があるだろう。きっと相当根に持っている。だってほら、今舌打ちが聞こえた……。もう部屋に戻ろう。なるべく大和さんの顔を見ないように立ち上がる。

「あの〜私部屋に戻りますね……」
「………あー!ったくめんどくせェ!」

腕を引かれ、またソファに尻餅をついた。

「今日のことなら気にしてない!だから……」
「あ、そうなんですか。じゃあもう二人で忘れましょう!はい!」
「……おめぇ、もうちょっとなんかねぇのか……まあいいけどよ」

ぶつくさ呟いてる大和さんをよそに、他のメンバーたちは意気揚々と七並べを始める体制に入っていた。机の上のサイダーやポカリ、開かれたばかりの袋のお菓子はこれからが合宿の本番だと物語っている。共同生活は初めてではないけれど、こんなにワクワクする夜は今回が初めてだ。
ねぇゲルダ、私はまだ子供だったよ。貴女の望む、白咲さんのような大人の精神を持ったつもりだったけれど、みんなと遊べることがこんなにも楽しいんだ。どうか、今回だけは許して欲しい…。
そうだ。せっかく和解したのならと、七並べの7を抜いている最中にそっと大和さんに耳打ちをする。

「大和さん、明日の朝一緒に自主練習しませんか?」
「もしかしてシュート練習か?」
「分かります?」
「化身見えてるぞ」
「あはは、やっぱり」

薄っすら霜の降ったような指先は、ゲルダが私だけが楽しいことをしているのに文句を付けているのだ。コントロール出来る今は自身凍傷を負うこともないが、どうも不気味である。その指先を、大和さんはそっと握ってくれた。冷たいからやめてくれと振り払う前に、その指先がじんわり温まって行くのが分かった。言わなくても感じ取れる、キングバーンのボールさえ焼き尽くす灼熱。限りなく押さえられた力で、ゲルダの冷気を中和する。

「少しはマシだろ」
「大和さん……ありがとうございます。丸焦げにしないでくださいね」
「…お前は一言多い!」

恥ずかしいのならやらなきゃ良いのに。そっぽを向いた大和さんの耳は分かりやすく熱を持っていた。



続く



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