ここでは私の隣の部屋の住人をHと呼ぶことにしよう。Hは私が来る少し前にゴッドエデンに来たようで、ずっと寮の隣の住人なのだが、これがまたうるさい人間だったのだ。口も行動もうるさいのだ。ゴッドエデンの馬鹿みたいに厳しい特訓に疲れはて、やっと夜眠れると思っても隣の部屋がうるさくては眠れるものも眠れない。私がこの部屋にいることを知っているのかいないのか、どたばたと重い足音と壁に何かが当たる音が夜中に聞こえるのだ。ボールを蹴っているに違いなかった。昼間散々蹴っているのだから夜ぐらい止めろと薄い毛布に潜りながら何度思ったことか。耳を塞いで目を瞑り五感全て働かないように努力はしたが、一度気になるともう気になって仕方がない。

「…るっさい!」

今夜はもう堪忍袋の尾が切れた。相手の呟き声さえ聞こえる薄い壁を足で蹴った。震動でぱらぱらと砂ぼこりが降ってくる。ここに来て一週間我慢出来ただけ自分を自分で思いっきり誉めてやりたい。だが、Hのボールは止まなかった。二回、三回と蹴っているうちにどんどん蹴る力は強まり終いにはピキリと亀裂が入った。そこにHの蹴り込むボールがちょうどよく当たったようで、なんと壁を突き破った。壁の破片が舞う。勢いよくとんでいったボールが部屋の向こうの壁に張り付いたまま旋回し、輝く強い風を巻き起こしてから床に落ちた。二回ほどバウンドしながら反動でこちらに返ってくる。吹き抜けになった穴を見るとHの顔とHの部屋が見えた。細いやつなら通れそうだ。これで呟き声どころか寝息さえ筒抜けの部屋になってしまった訳だ。肩で息をするHは見開いた目から見るに、心底驚いているようだった。

「すまない、穴を開けてしまった」
「あー、これは、私が悪い。蹴ったから」

Hのボールが決定打になってしまっただけで、本来なら亀裂を入れた私に責任がありそうだ。教官殿がお叱りに来たなら、Hのことは黙っててやろうと思った。だが夜中までうるさいHにも原因はある。

「でも夜中までぼんぼんぼんぼんするの辞めてくれるか、眠れないんだ」
「否!俺は究極に成らねばならんのだ!休んでなどいられない!」

卒倒しそうになった。
壁に穴を開けたことをすぐに謝って礼儀正しいやつかと思えば、Hはとんでもない我が儘野郎だったのだ。両手で拳を作り熱く語る姿は眩しい輝きを放っているように見えるが、夜にはただのはた迷惑な存在である。頭が痛い。眉間に人差し指を当てた。もうHの責任にしてしまおうかと思うぐらいには癪に触る。質素なベッドから降りてボールを拾った。

「寝かせろこのピカピカ野郎!」

開いた穴に向かってボールを思いきり蹴った。怒りという感情は時として実に素晴らしいもので、思っている以上の力を発揮することが出来る。先ほどの壁への蹴りで亀裂が入ってしまったのもこれのせいだろう。穴を寸分の狂いなく通ったボールはHの顔面に向かった。やっとこの時、こんな優秀な人材を怪我をさせてしまったとなれば教官の逆鱗に触れると気が付いた。もうボールはHの部屋だ。やってしまった、と目を手で覆ったが顔面にぶつかる嫌な音は聞こえてこなかった。代わりにぱらぱらと壁の欠片が降る。

「いいシュートだ。どうだ、俺と共に究極を目指さないか!」

色々と訳が分からない。
穴の向こうを覗いてみると、白竜の足元にそのボールがあった。優れた才覚を持っているとは思っていたが、まさかここまでとは。やられた。がしがしと頭の後ろを掻いた。

「……保留で」

そう言って布団に潜り込む。なんだか萎えてしまった。布などで壁を塞ごうかとふと思い出したが、やはりやる気は出ない。流石にHも遠慮を覚えたのか、割りと静かにリフティングをする音を背に眠りについた。

次の朝、穴から爽やかに挨拶をしてきたHの顔面をグーで殴りたくなった。


120123 となりのHさん



- ナノ -