「神童ならもうサッカー棟に行ったんじゃないかな?」

黒板消しクリーナーをかけるため廊下に出た彼女がそう話しているのが聞こえてきた。彼女の友人か、知り合いらしき人は廊下を走り去ってしまったようだ。間髪入れずにクリーナーの美しくない爆音が響き渡った。そう、今俺はこうして教室にいるのだから彼女が言ったことは完全なる嘘である。俺たちは今日は運悪く日直だったので、仕事が残っているのだ。クリーナーの爆音が音が止まり、ドアが開かれると思わず学級日誌を書く手を止めて彼女が歩いているのを凝視してしまった。

「なに?」
「何で、嘘ついたんだ」
「別にいいじゃん」

ついっとそっぽを向くと綺麗になった黒板消しで黒板を上から下に掃除し始めた。一日散々こき使われて白く濁っていた黒板は次第に黒く戻って行く。彼女の回答はどうも腑に落ちないが、学級日誌を書くのを再開することにした。しかし“今日のできごと”の部分で見事に詰まった。今日は特に何かあった日でもない。今日は…から先へ進まないのだ。コツコツとシャーペンの先で紙を何度か叩く。やはり閃かない。情報を提供して貰おうと黒板を掃除している後ろ姿に話し掛けた。

「今日何かなかったか?」
「“今日のできごと”?んー…神童のファンに五回声掛けられた」
「そういうのではなくて…」
「分かってるって。それってニュースとか豆知識とかでもいいんでしょ?」
「ああ」
「良いこと教えてあげる」

スカートに付いたチョークの粉をぱぱっと払い、黒板掃除の仕事を終了した。個人的な意見としては黒板消しをもう一度クリーナーにかけるべきだと思ったが、話の腰を折って気紛れな彼女から情報を聞けなくなることを防ぐために黙っていた。彼女は目を細めて、低めの声色でこう言い放った。

「私ね、ほんとは神童のこと大嫌いなんだよ。泣き虫で、責任感強すぎで、何も知らないお坊っちゃんで」

“今日のできごと”でもニュースでも豆知識でもないと、何だかんだ文句を言う前に、ナイフよりも鋭利な言葉が音を立てて胸に突き刺さる。的確に俺のマイナス点を捉えたそれは、反論を許さないものだった。散々言われてじわじわ涙が浮かんできた。目尻から涙がこぼれそうになった瞬間「うん、嘘。冗談」と笑い声を喉の奥で転がしながら言った。最初は意味が上手く飲み込めなかった。

「上手いでしょ、嘘つくの」

自分が泣いているのを笑っているようで、顔が熱くなった。彼女がこちらに歩いてくる。これ以上みっともないところを見られまいと、目尻に引っ付いている涙を制服の袖で擦った。

「上手に嘘をつくには、たくさんの真実に少しの嘘を混ぜる。ってちゃんと書いといてね」
「書けない、そんなこと」

確かに悪口の部分は、紛れもない真実だった。嘘はきっと大嫌いの部分だけだろう。辻褄は合っているが説明が非常に回りくどい。更には面倒だ。そもそも、真面目な学校の学級日誌に書ける内容ではない。いいネタが貰えると思ったら大間違いだった。得たものは何一つなく、しかも泣き顔まで見られて大損だ。損したままでは悔しいので、腑に落ちなかったさっきの答えを追求をした。

「…俺は、嘘のつき方じゃなくてお前がさっき嘘をついた理由が知りたい」

彼女は目を閉じてあー、うん、と唸り始めた。回した首の骨がごきごき鳴っている。理由なんてないと一蹴されそうだったがこうしているところを見る限り、答えを出してくれそうだ。

「多分、神童と一緒にいたかったからじゃないかな」
「…え?」

他人事のようにさらりと告げた彼女の頬は真っ赤だった。


120105

ノブェレッテ様に提出しました。



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