*某曲パロ




8月15日。夏休み真っ只中だった。公園の時計の針は午後12時半を指していた。たまには親父もサッカーのことも忘れて、駄弁るのもいいものだ。ただひとつ、この病気になってしまいそうな日射しさえ除けば。「でもまあ、夏は嫌いかな」とゆるゆる猫を撫でながらなまえはふてぶてしく呟いた。猫はといえばはた迷惑そうに目を瞑っている。流石に暑かったのか、猫は痺れを切らして逃げ出した。「あっ」なまえは寂しそうに後を追い掛けた。いくら猫が好きでも、あまりしつこいと引っ掻かれてしまうのではないか。ふっと視線を上げた先で、横断歩道の青信号が点滅していた。点滅のテンポよりも早く心臓が騒ぐ。猫に気を取られた彼女は信号機の異変に気が付かない。「危ない!」必死に叫んだ。彼女は聞こえていないように横断歩道に飛び込んで行く。なぜ、どうして、止まってくれ、死んでしまう。追い掛けても手の届かない位置になまえが居た。

「避けろ!」

赤に変わった信号機。
バッと通ったトラックが、目の前でなまえの体を引き摺った。甲高い急ブレーキの音と、聞いたことのないような音を立てながら。数メートル先、やっと止まったトラックの足下で血飛沫の色がじわじわアスファルトに染みて行く。強烈な血の臭いで噎せ返り、強すぎる日射しの下で目眩がした。気紛れに戻ってきた猫が血だまりの前で佇んでいる。こんなの嘘だ。信じてたまるか。ぐにゃりと視界が歪んだ。気を失う寸前目の端で、蒼白く光るものがひらりと舞った。




「うわぁ…夢でよかったよ…」
「まったくだ…」

8月14日。公園の時計の針は、午後12時過ぎぐらいを指していた。昨日見た夢の話をした。暑さにうなされて悪い夢を見たようだった。夢は話してしまえば正夢にならない。昔、親父からそう聞いた。それでも俺は怖かった。嫌な予感がしていた。するりと抜け出した猫の後を追い掛けようとしたなまえの腕を掴んだ。

「今日はもう帰ろう」
「えー」

そう言って道に抜けたとき、周りの人は皆上を見上げ口を開けていた。掴んでいた腕を振り払われた。途端起こった激しい衝撃で、巻き起こった砂埃が視界を遮る。まさか、そんな。荒く短い息を吐き出しながら恐る恐る目を開く。
落下してきた鉄柱が、なまえを貫いて地面に深く深く突き刺さっていた。俺が悲鳴を上げる暇もなく、つんざく悲鳴が風鈴の音と混ざる。

なあ、親父。確かに正夢にはならなかったけどさ。

蒼白く光るものが嘲笑うかのように堂々と目の前を通過していった。眩む視界になまえの横顔、笑ってるような気がした。

何度も何度も何度も、同じことが繰り返されている。それこそ何十年。結末はいつも一つに決められている。君だけが悲惨な死に方をして、俺が気絶をして、同じ日に戻る。結末が一つだけなら、変えられないのなら。
なまえの体を押し退けて、瞬間トラックにぶち当たる。彼女と違う血飛沫の色と、必死に伸ばした手の先で驚いたような瞳の色。軋む体は不思議と痛くなかった。いつも終わる間近に決まって見える蒼白い光は、文句ありげに揺らいだ。
はは、ざまぁみろ、これで終わりだ。


「ああ、また、ダメだったよ…」

これは一体、誰が呟いたのだろう。


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8月14日。目を覚ましたベッドの上。床に転がっているサッカーボールを、じっと見つめた。大切なものなに一つ守れやしない自分に嫌気が射した。でも、俺はゴールキーパーじゃないか。全部、守らなければいけないんだ。きっとこれが最後の手段だ。親父に貰ったグローブを握り締めて、いつもの公園に向かった。

「大和とサッカーやるの久し振りだなぁ」

ぽんっと蹴り出されたサッカーボールをキャッチした。義務ではないサッカーをするのは、本当に楽しかった。ああ、なんで今サッカーしてるんだっけ。日射しのせいか頭が回らない。いつの間にか子供達が数人混ざってきて、遊びはヒートアップした。「あっ」少年一人が飛んでいったボールを追い掛ける。更になまえもその後を追った。猫が、赤い信号が、あの悲惨な光景がフラッシュバックする。暑いのに寒気がした。

「止まれぇ!」

目的を思い出した。グローブをはめ直しながら叫ぶ。信号機はない。つまり車も止まらない。道路に飛び出した二人を突き飛ばすと、車は目の前に迫っていた。なまえの悲痛な叫び声は急ブレーキの音と混ざり合って掻き消された。

「キングバーン!!」

火事場の馬鹿力は予想通り働いた。フロントを受け止めた手の平は焼けるように痛むし、手足の節々は軋む。踏ん張ったスパイクが地面に擦れた。こんなことあり得ないと馬鹿にしてくれたっていい。本当にあり得ないのは永遠と繰り返されるこの日々なのだから。
また目の端に蒼白い光が映り込む。『負けてしまえ、死んでしまえ』と誘う。ここで負けたら、死ぬ。なまえも死んでゆく。そんなのもう嫌だ。俺が、全部守るんだ。蝉の声にも負けないような雄叫びを上げた。急ブレーキも手伝って、トラックは止まった。一瞬の出来事だったろうが、何分にも何時間にも感じた。俺を支えていた強大な力は、内側に引っ込んだ。途端腰が抜けて道路にへたりこむ。
変なことに使ってごめん。でもありがとう、おれは、生きてるよキングバーン。
薄汚れたグローブを見ると、中で手が細かく痙攣していた。

「生きてる…」
「大和!大丈夫?!」

救急車を呼んでいる運転手を押し退けてなまえは駆け寄ってきた。いつの間にかぐしゃぐしゃに涙に濡れ、歪む顔。酷い顔だな。今だ痙攣する手で頬を撫でてやった。

「もう、終わったよ」
「うん、うん…」
「…もう、終わったよな?」
「終わったよ、きっと…」

抱き締めた体は、確かに鼓動していた。



120324
(千宮路大和×陽炎)



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