「なまえ…」
「あ、なに?」

呼ばれた。サンダユウの近くに行く前に流れた涙を服の袖で乱暴に拭った。大丈夫、泣き顔には見えないはず。サンダユウが上半身を起こしたので、ベッドの縁に腰を下ろした。

「バダップが、来たんだろう?」

サンダユウは握り締めた自分の手を見ながら言った。やっぱり会話、聞こえてたんだ。

「…サンダユウは帰りたい?」
「そうだな…帰りたくない、と言えば嘘になる。でも俺は、わがままが通じるなら、なまえとずっと一緒にいたい…」

なまえが優しいからな、と肩をすくめて付け加えた。優しくした覚えなんてない。ただサンダユウに必要なことをしてあげただけで、優しくなんか…。何も、本当に必要なこと以外、なにもしていないのに。

「サンダユウ…」

震える声。視界がぼやけて頬にまた生暖かいものが伝った。

「泣くな…なまえ…」

困り顔のサンダユウに熱い手で抱き寄せられた。いつもは頼りがい無いくせに。撫でるのは私の役目なのに。まぁ少しは成長したのかな。あーあ、泣き顔は情けないから見せたくなかったのに。
私もサンダユウの背中に腕を回した。服を握り、肩口に顔を埋める。私より長い髪が少しくすぐったい。

「どうしても、行っちゃう?」
「…未来が、俺を必要としてるんだ」
「そっか…」

未来が、バダップが迎えに来たのは、少なからずサンダユウを必要としているからだろう。だとしたら私は、サンダユウが向かうところがどんなに危険だろうと、この手を離さなければならない。

「怪我しないでね」
「あぁ」
「風邪も引かないで」
「あぁ」
「死なないで」
「あぁ」

そこまで会話を交わすと目を閉じた。サンダユウが帰ると言うなら、引き止めはしない。ただ、じわりじわりと伝わる、この熱い体温をずっと覚えていたい。



帰るなら、サンダユウの所持品を返さなければ。まず着ていた制服と、この果物ナイフみたいなやつ。これぐらいか。最初会った時はこれを向けてきたのが懐かしい。ダンボール箱の中に入れて、私の部屋で厳重に保管してあった、それの封印を解く日が遂に来た。この一ヶ月ほど、長いようで短かった。

「なまえ、これやるよ」

深緑の制服のボタンをきちっと上まで留めながらながらあるものを渡してきた。制服はその体格に、よく似合っている。

「でも、これってサンダユウの…」

サンダユウの長い髪を結っていた太い白いヘアゴム。寝るとき以外はいつもこれで髪を纏めていた。

「いつも使ってたやつで悪いが…これしかやれるものがないんだ。髪伸ばして使ってくれ」

ごほっと軽く咳をしたので背中を擦った。ほんと、大丈夫かな。
髪を伸ばす、ねぇ…。それもいいかもしれない。

「じゃあ、もらうよ。ありがとう」

取り合えず手首に付けた。

「何か代わりのもので髪結んであげるから、おいで」

それは最後に、幸せな時間でした。

110902
―――

まえ つぎ




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