「高杉様…起きなすっておくんなまし……」


 今日もまた、鴉がさんざめく。





三千世界の鴉を殺し





「もし…高杉様…起きんせんと、鴉が…鳴いとりんす」

「ん……」

「高杉様!」


 ほら、もう、店の外で、鴉が鳴いている。ばたばたと音を立てて、帯刀こそしてはいないけれど…ここを何処ぞと心得ているのかしら。

 そう、そんなことは例外の状況なのね。


「高杉様…起きんしたか。お着替え、お手伝いしんす。……高杉様?」


 起きたと思ったら、窓の外の鴉を見てニヤリと笑う、高杉様。ああ、その瞳で、一体何人の女を見つめてきたの。その腕で、一体何人の女を抱いてきたの。その唇で、一体何人の女に愛を囁いたの。

 貴方は私の、この店の上客でしかないはずの存在なのに。それだけでしかないはずの存在だったのに。貴方を匿えば私だって逆賊とされるかもしれないのに、何故私はこんなにも貴方を愛してしまったのだろう。貴方に愛されることなど、ない、だろうに。

 なのに何故!


「三千世界の」

「…え?」


 目線はそのままに、突然口を開いた高杉様。三千世界…?


「三千世界の鴉を殺し、」


  朝を告げる煩わしい鴉なんか、全て残さず殺してしまって、


「主と朝寝がしてみたい」


  貴方と朝まで寝ていたいものです。


「たかすぎ、さま…?」

「なあ、なまえ」


 鴉は次第に増えているみたい。もうこの店の周りは囲まれているのかしら。


「俺と一緒にこねぇか」


 ああ、店に入ってきたわ。親父様の対応する怒鳴り声が聞こえる。


「不自由なことだらけかもしんねぇが…お前がついてくるってんなら、俺が護ってやるよ」


 この手を取って、貴方と生涯を共にすることは。どんなに素晴らしく幸せなことだろうか。

 思えば私の幸せという感情は、すべてこの人が創ってくれたものだった。人を愛することも、外の世界もすべて、貴方が教えてくれた。今の私は貴方なしでは成り立たなかった、成し得なかった。だけれど私を育ててくれた親父様も、妹分も姉様も、私は捨てられない。

 捨てられない…


「…高杉様、あちきは貴方様にとって…必要でありんしょうか」

「必要だ。俺にはお前が。ここで離れたら、二度とお前には会えない。だから、」

「なら高杉様…ひとつだけ、許しておくんなまし。貴方様に…少しの罪を被ってもらいんす」

「…罪」

「窃盗罪。どうでありんしょう。花魁を盗んでいくのでありんすから」


 嫌だと言われれば、私はここに留まる。でも、それでもいいと、言ってくれたのなら…

 私は貴方に、ついていきたい………。


「…これまでの罪の中にそんなもんがひとつ増えようが増えまいが、俺の罪の重さは今更変わりゃしねぇよ。お前に手を差し伸べた時から、そうなることは元より承知の上だ。まあ、こんなことになるんなら…最初っから、力づくで奪っていきゃよかったのかも知れねぇなあ」


「なあ、俺と一緒に来いよ。お前を幸せにできるのは…俺しかいねえ」


「お前がこの手を取るってんなら…俺は生涯かけて、お前を護りぬく」


 どうして貴方は、こんなにも欲しい言葉をくれるの。どうして貴方は、私を私として愛してくれるの。

 ねえ、私は、貴方についていきたい…


「高杉様…いえ、晋助様。私は、外に出たこともなければ、色を売ることしか知らぬただの女子(おなご)です。それでも…私は、貴方のお傍にいてもよいのですか…?」

「馬鹿言ってんじゃねえ、俺が、お前に、傍にいて欲しいんだ。分かったらさっさと仕度しろ」

「はい!」


 貴方の腕に抱かれて、鳥籠の中から出た。貴方という鳥籠に囚われるために。

 貴方の瞳に映るのは、私だけでいい。貴方の腕に抱かれるのは、私だけでいい。貴方の唇に愛を囁かれるのは…私だけがいい。


 助けて、そう一言残した和紙を、親父様はもう見つけたかしら。大見世の忘八だもの、頭の回転と悪知恵だけは働くはず。


 さあ早く、鴉のいない所へ共に逃げてしまいましょう。





三千世界の鴉を殺し







『三千世界の 鴉を殺し 主と朝寝が してみたい』
これは都都逸(どどいつ)といって、七・七・七・五の、俳句みたいなものです。
高杉晋作が詠んだとされる都都逸です(木戸孝允(桂小五郎)という説もあります)
意味は『早朝から騒がしい鴉を全部殺して、好きな人としずかにゆっくりと朝寝坊がしたい』というもの
絶対書くと決めていたけど誰だお前

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