彼は私に触れようとしないから、私はいつも不安になるばかりで、今日もほら、キスも抱き締めても、手を繋いでも、気持ちを言葉にしてくれすらも、してはくれないのです。





シザーハンズ





 彼は力が強い。どれくらい強いかっていうと、自販機を投げたり、ガードレールを使って戦ったり、色々、もうでたらめな強さ。体も丈夫で、ナイフが5oくらいしか刺さらないとか。


 彼はとても強いから、人に触れることをしない。彼は、自分が触れて、壊してしまうのが怖いのです。だから突き放して、周りに人を寄せつけなくした。

 愛されたい、誰よりもそれを渇望しているのに、自分は誰も愛さない。愛したら、傷つけてしまうから。


 私は、彼を愛しました。

 彼は、私の愛を、受け入れたというよりは、拒まなかった、そう形容するのが相応しいでしょう。彼は私が思いを告げたとき、少し嬉しそうな顔をして、それから心底悲しそうな顔をしました。そして、お前の気持ちは嬉しいけど、俺はそれに応えることができない、そう言ったのです。

 私は、それでも構いませんでした。それならせめて、貴方の隣にいてもいいですか?彼は嬉しさと悲しさの入り混じった表情で、それでも少し苦笑して、後悔しないなら、そう言って承諾しました。


 怖くないのか、そう問われれば、私は迷いなく怖いと答えました。でも、触れてはくれない代わりに彼は私を傷つけないし、触れてくれないのも私を思ってのことだから、だから私は彼のことを怖いとは思いません。矛盾しているかもしれないけれど、それが私の率直な意見。


 でも、でもね、私だって、不安になる時くらい、あるんです。彼は愛されたい人だから、愛してくれるなら誰だって、私じゃなくったって、よかったんじゃないか、って。

 いくら私が好きだって言おうとも、彼は気持ちを言葉にして返してくれたことなんか一度もないし、ましてや触れるなんてありえないから、ああ、私はなんでここにいるんだろう。そう、思ってしまって、愛してくれなくてもいい、私がその分愛そうって、決めたのに、彼からの愛を、望んでしまうのです。

 そんなこと、あるはずない、のに。


 そんな矢先の出来事でした。池袋では切り裂き魔事件が多発していて、その切り裂き魔が不特定多数のチャットで、彼の名前を記している、と。

 友人にそう教えてもらった時、私は背筋が凍りつきました。彼が切り裂き魔だとか、そういったことを疑ったわけではなく、(だって彼は喧嘩に、自販機は持ち出しても刃物を持ち出すような人ではありませんから。第一彼は、暴力とか人を傷つけるといった類のことが大嫌いなのです)、彼が狙われているのではないか、そう思ったからです。複数犯であるだろう、ということも聞いていたので、私は不安で不安でなりませんでした。

 彼の強さを甘く見ているのではない…彼のタフさを甘く見ているのではない…。でも、私はすごくすごく不安で、胸中は、死なないで、その言葉でいっぱいでした。





 だから、その日のもう夜遅くに、彼が私の家に来た時は、私は本当に、驚きで心臓が止まってしまうかと思ったほどでした。彼は、深くはないものの、傷だらけだったのです。それも、明らかに刃物による切り傷。切り裂き魔、私の頭には瞬時にその言葉が浮かびあがりました。

 どうしたの、そう問いかける前に…私の身体は、今まで感じたことのない温もりを感じていました。怪我によるものなのか、熱を持って少し高めの体温。彼がいつも吸っている煙草の匂い。細く見えるのに、鍛え抜かれた胸板と、腹筋の感触。背中に回る、微かに震える腕。

 …いえ、震えているのは腕だけではありませんでした。身体全体が、微かに震えていて、寒いのかな、そう思ったけれど…すぐに違うと分かりました。

 彼は、怯えているのです。

 私は、初めて彼に抱きしめられました。初めて彼に、触れました。それまでたったの一度も私は、彼に触れたことがなかったのです。彼も、私に触れたことはありませんでした。私たちがカップルだったとは少し言い難いかもしれませんが、もしカップルと言っていいのなら、私たちは誰よりも清廉潔白なカップルだったことでしょう。寄り添い歩くことも、手を繋ぐことすら、したことがなかったのですから。

 私たちの間には、いつも一定の距離間がありました。それが、今、やっと、0距離になったのです。

 なぜ?それは、分かりません。分かりませんが、彼は今、私に触れています。なにが起こっているのか理解ができなくて、私の腕はだらしなく下にさがったままですが。でも、あれだけ触れようとしなかった彼が、彼が。私に今、触れているのです。

 私は今までにないほどに高鳴る胸を抑えて、ようやく彼に問いました。


「…静雄、さん?どうしましたか?」

「なまえ、俺、やったんだ」

「やった…?なにを、ですか?」

「力を…さ、俺の意志で、抑えることができたんだ。止まれって、そう思ったら、止まった。手加減も出来た。あんなに怒り狂ってたのに、一人の死人も出さなかった。だから、」

「だから…?」

「お前に触れたかった。ずっとずっと、お前に触れたかったんだ。でも、お前だけは壊したくなくて、俺なんかのことを好きだと言ってくれたお前だから、壊したくなくて、だから俺はずっと、お前に触れなかった。言ってしまえば触れたくなるから、お前に気持ちも伝えなかった。それでもお前は俺の傍にいてくれるから、俺は、お前のことがいっそう好きで好きで愛して愛してたまらなかった」

「しずおさん、」

「でも、俺は力を抑えることができた。あの時一回限りじゃねぇ、今だって、俺はちゃんとお前を抱き締めてる。だから、お前に触れたくて触れたくて、触れにきた。今までの分、いっぱい触れにきたんだ」

「静雄さん、静雄さん、」

「なあ、なまえ、俺はお前が好きだよ。愛してる。今からでも遅くはないか?ずっと俺は何も言わなかったから、今、お前の気持ちが俺になくったって仕方がないと思ってる。でも、もしまだ俺を好きで、愛してくれているというなら、俺を、力いっぱい抱き締めてくれないか…?」


 もちろん、私は、彼の背を、彼からすれば10分の1にも満たないような力いっぱいで、抱き締めた。私の目からは、涙が留まることを知らないかのように、溢れていた。


「し、しずおさん、愛して、ます。誰よりも静雄さんを、愛してます!全部全部、私が、静雄さんの全部を、愛しますから、だから静雄さんにも、愛してほしい…!」


 抱き締めるというよりはしがみつくという形で、私は彼に思いのすべてを吐きだした。彼のバーテン服が私の涙でぐしょぐしょになってるけれど、ところどころ切れてるし、修復は不可能かな、と、どこか頭の片隅で冷静な自分がいた。

 …え、ちょっとまって、切れてるって。


「当たり前だろ…今までの分、全力で愛する、愛するから、」

「静雄さん、そんなことより手当です!」

「…あ゛?」


 ちょっと不機嫌になったかも、でもそんなことに構ってはいられない。そりゃ静雄さんの身体が常人より遥かに丈夫だなんて百も承知。でも、それとこれとは話が別で、心配なものは心配なんです。


「お前、人がいいこと言おうとしてる時に」

「いいんです、それはまたあとで言っていただければ!でも今はそれよりも傷の手当ての方が先です!」





シザーハンズ





 彼の手は、とても温かかった。







シザーハンズは静雄の歌だと思う
書き方変えたら自滅した

シザーハンズ/初音ミク feat. Nem

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