「折原さんは、」

「ん?」

「折原さんは、兄が嫌いだから、私に近づくのでしょう?本当は私に興味なんて、これっぽっちくらいしかないくせに」


 目の前の女はそう言った。とても綺麗な女だ。プロポーションも良いし、性格が良いのも知ってる。頭だってこの通り良い。


「そう、正解。俺が本当に興味があるのは君じゃなくて君のお兄さん。最愛の妹が大嫌いな俺と一緒にいるなんて知ったら、どんな反応をするのか知りたくなった、ただそれだけだよ」


 俺がそう言うと、女はにっこり笑った。やっぱり、そう言って。自嘲的な笑みではなかった。綺麗な微笑みだったと思う。今まで見たことがない、いや、兄に、俺以外の人に見せる笑みだったと思う。

 女は、俺が嫌いなのだろうか。良い感情を抱かれていないのは分かっていた。でも女は自身の兄とは違って、嫌悪感を表だって露わにするようなことはなかったと思う。街で会っても兄のように追い出そうとはしなかったし、兄から庇ってくれたことも怪我の手当てをしてくれたこともある。好かれているかは知らないが、そこまで嫌われてはいない、と認識していた。が、女のあれはただ単にお人好しなだけだったのだろうか。

 そういえば以前、兄に喧嘩を吹っ掛けて倍返しにされた不良を介抱していたこの女を見た。その時俺は何を思った?


ああ、俺にだけじゃなかったんだ。


 そう思ったはずだ。

 女が優しいのは俺にだけじゃない。俺だから優しくしてくれるわけじゃない、ただ俺が自身の兄によって被害を受けた内の一人だから、優しかった。なんだ、それだけのことだったんだ。そう思ったはずだ。


 それからだったっけ、女にちょっかいをかけるようになったのは。



 今更ながら、目の前の女の名前は平和島なまえという。そう、シズちゃんの妹。どっちかっていうとシズちゃんよりも、羽島幽平の方に似ていると思う。

 最初は別に、本当に興味なんてこれっぽっちくらいもなかった。ふーん、シズちゃんの妹。それだけ。でも、シズちゃんは予想もしないほど女…いつまでも女じゃ味気ないよね、なまえ、なまえのことを溺愛してて、これは使える、そう思って興味が湧いた。まあそれでもこれっぽっちくらいの興味だったけれどね。


「ねえ折原さん、一つ聞いてもいいですか?」

「いいけど」

「折原さんは、なぜ、私に手を出さなかったのですか?性的な意味でですが」

「…どうして?」

「いえ、兄を怒らせたかったのでしたらそれが一番でしょう?それか、惚れさせておいてこっ酷く振るとか。手っ取り早いですし」

「そうして欲しかった?」

「折原さんみたいな頭の良い人が、なんで何年もこんなに回りくどいことをしているのかと思っただけです」

「そんなに知りたい?」

「いえ、そうでもありませんが。ただ、明確な理由もなしにこんなことをされても、私もどう反応していいのか分からなくなってきますし、これ以上兄を怒らせたくもないので」


いいよ、さっき正解だったから教えてあげる。俺はね、なまえ、君にこれっぽっちくらいの興味と、これっぽっちくらいの恋愛感情を抱いてしまったんだよ。

俺はさ、恋愛なんてしたことがない。人間は好きだ、愛してる。だけど誰か特定の人を特別に愛したってことは一度だってない。だからどうしていいのか分からなかった。だから今までと同じように接してた。

だけどどうやら盲点だったみたいだね。もしも今目の前に君じゃないシズちゃんの妹がいたとして、俺はきっとやりたいだけ弄んでボロボロのボロ雑巾みたいになったところでゴミみたいに捨てるんだろうな。

ねえなまえ、責任とってよ、俺をこんなにしたさ。


「折原さんは嘘吐きですから」

「信じられない?」

「はい、信じられません」

「どうしたら信じてくれるのかな?」

「………折原さんは、嘘吐きですから。折原さんの言葉は信じちゃいけないんです。だから私は信じません」

「どうしても?」

「どうしてもです。私は折原さんを信じられません。だって折原さんは、嘘吐きだし演技もお上手ですから。私は折原さんを信じられません」

「どうしたら信じてくれる?」

「どうして信じて欲しいんですか?」

「君が好きだから」

「兄をただ怒らせたいだけでしょう?」

「そうじゃないって言ったら?」

「折原さんは嘘吐きなので信じません」

「どうしたら信じてくれるの」

「どうして信じて欲しいんですか」

「君が好きだから」

「嘘吐き」

「嘘じゃない」

「嘘吐き」

「嘘じゃないったら」

「嘘吐き」

「違う」

「嘘吐き」

「好きだ」

「嘘吐き」

「愛してる」

「嘘吐き」

「なまえは俺が嫌い?」

「………」

「嫌い?」

「…嫌いではありません」

「じゃあどうして、俺の言うこと信じてくれないの」

「折原さんは嘘吐きなんです」

「嘘じゃないよ」

「折原さんは嘘吐きです。どうせ私以外の女の子にもそうやって言っているんでしょう。そうやって悪いことをしているんだわ。だから私は折原さんを信じません」

「嫉妬?やきもち?」

「違います」

「俺のこと好き?」

「少なくとも、兄が貴方に抱いている好意よりは」

「なにそれ、これっぽっちくらいしかなくても当てはまるじゃない」

「そうですね」

「ねえなまえ、好き」

「信じません」

「もし俺が悪いことやめたら、信じてくれる?」

「さあ、分かりません」

「どうしたら信じてくれるの?」

「泣いてください」

「え、」

「嘘です」

「だよね」

「死んでください」

「…え?」

「これ、飲んで死んでください。青酸カリです」

「なまえ?こんなものどこから手に入れたっていうの」

「理科室からです。私、来良の化学教師ですから」

「いつもそんなもの持ち歩いてるの?」

「いえ、今日はたまたまです。折原さんを、殺してしまおうかと思っていたもので」

「中身が本物だっていう証拠は」

「ほら、この通りです」


 なまえが傾けたその小瓶の中の液体は、じゅっ、とアスファルトを溶かした。アーモンドの匂い、間違いなく、青酸カリ。


「はい、これ。飲んで死んでくれたら信じますから」

「…そうしたら、信じてくれるんだ?」

「信じます」

「じゃあ、飲むよ」

「…さようなら、折原さん」


 警鐘が鳴る。ドクンドクン、心臓が早い。何怖がってんだか。飲んだら信じてもらえる。こんな終わり方も悪くはない。そうだろう。

 覚悟を決めて一気に飲み干した。喉が焼けるように熱い、ああ、溶けてるんだ。もうそろそろ死ぬのかな、なんて、なんでこんなに冷静なんだろう、俺。ああでも、これで信じてもらえた…?

 不意に後ろ向きに倒れる。あ、後頭部打った、痛い。まあ今から死ぬんだし、こんなのすぐなくなるか。





「……すみません、折原さん」

「…え?」

「折原さんが飲んだの、青酸カリじゃないです。ただの炭酸のキツイ炭酸水です」

「え!?」

「本当に折原さんが飲むとは思わなかったので、青酸カリにしようかとも思ったんです。でも万が一折原さんが飲んだら危ないですし、やめました」

「え、え?じゃあなんでアスファルト溶け……え?」

「落ち着いてください、こっちは本物の青酸カリです」

「…つまり?」

「折原さんのその命を顧みない様に免じて、取り敢えず信じます」

「本当!?」

「私は、嘘が嫌いですから」







こんなの残念なイケメンに相応しくない

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