わたくしはもうとうの昔に、あの人にこの一生を捧げると決めている。


「姉上様、姉上さぶあああああああああああああ」


 どたどたと廊下を走る音と共に聞こえる騒音。あれほど廊下は走ってはならぬと申し上げましたのに、毎回忘れたかのように音をたてて参られる。はあ、と一つため息をついて、注意すべく襖を開けた。


「弁丸様、こちらにございます」

「姉上様!そちらにおられましたか」


 ききっ、と急停止なさってそのまま私のいた部屋に上がられる主・弁丸様は、御歳十七、上田城の城主であり甲斐の武田軍の武将でもあらせられる、肩書きの立派なお方にございます。が、いつまで経っても幼いままの癖が抜けぬのか、何かあっては姉上様姉上様とわたくしのもとに参られる、立派と同時に困ったお方でもございますれば、わたくしは弁丸様の行く末が心配なのでございます。

 はて、今日はどのような用件で参られたのか…


「弁丸様、廊下は走らぬよう、音をたてぬようにと、このなまえめが何度申し上げれば聞き入れていただけるのでしょうか」

「う、うむ、それはすまないと思っておる…」

「次からはお気を付けくださいましね」


 途端にしゅんとなる弁丸様。弁丸様には甘いと自負しているが、甘やかすのとは違う。躾はしっかりとせねば、後々恥ずかしい思いをなさるのは弁丸様なのだから。


「それで、弁丸様。先ほどなまえめを探しておられましたが、何ぞ御用でもございましたか?」


 まさか叱られに来たというわけではないでしょうし。少し笑ってそう言うと、弁丸様ははっとしたように顔をお上げになった。まったく、馬鹿な子ほど可愛いとは言うけれども、本当にその通りであるのだから敵わない。素直な良い子に育ってくださって嬉しくは思うのだけれども。


「そうであった、お館様に姉上様を呼んで来いと申しつけられたのだ」

「あら、そんなことを弁丸様に…?」

「いや、お館様は佐助に言いつけたのだが、某が行きたいと言って出てきたのだ」


 馬鹿な子ほど可愛いとは言うけれども、本当にその通りであるのだから敵わない。

 きっと佐助が来た方が早かったし静かだったでしょうね、と喉まで出かかった言葉を飲み込み、お館様が呼んでいるのならば早く参らねばなりませぬね、と弁丸様に部屋を出るように促した。





「それでお館様、如何様なご用事でなまえめを呼ばれましたか?」

「うむ、実はそちを嫁にとの話が来ておってな」

「……はい?」


 嫁、ですって?一介の女中であるわたくしに、嫁、と。


「ええと、どなたか、この城の者でしょうか?それとも甲斐の傘下の城の者で?」

「奥州の伊達と瀬戸内の長曾我部じゃ」

「伊達の者と長曾我部の者ですか?」

「伊達政宗公と長曾我部元親公じゃよ」


 何かの悪い嘘でしょう。これが噂に聞く玉の輿というものでも、わたくしはちっとも嬉しくありませぬ…っ!


「お館様、それはまことにございますか!?」

「うむ、この通り書状も来ておる」


 そう言って懐から書状を二通取り出すお館様。ああ、なんて上質な紙なのでしょう。


「してなまえ、お主はどうしたい」

「お館様、光栄なこととは存じますが、なまえは幸村様が誰も娶られぬうちにどなたかに嫁ぐ気はございませぬ」


 そうでなくとも他家になど。しかも伊達と長曾我部など、武田の敵ではありませぬか。


「…ですが、なんぞ条件づけられているのならば、幸村様の采配に委ねますれば」

「そ、某がですか?」


 神妙な顔でお館様の下に座していた弁丸様が素っ頓狂な声を上げる。弁丸様、なまえは心配にございます。立派な城主におなりくださいませ。


「なまえめは幸村様の女中にございます。幸村様の決定に従いましょう。お館様、それで構いませぬか?」

「うむ、そうじゃな。幸村よ、決断するがよい!」







もちろん実の姉ではない

110815