「まつおか、りん…?」


 その名前を聞いた時、短い私の人生ではあまりにも長い5年間の空白で、一瞬誰だか分からなかったのです。

 徐々に思い出していく、秘めた情熱のように燃える赤い髪、きらきらと煌めく宝石のように透き通った瞳、太陽がパッと顔を出したような眩しい笑顔。ああ、その名前は、幼き日の、ふわふわと甘い初恋の。


『初めまして、松岡凛といいます。佐野小学校から来ました。女の子みたいな名前ですが、男です!』


 私はあの日の、輝く笑顔に恋をしたのです。


 しかし久しぶりに話に聞く初恋の人は、まるで別人のように、変わってしまっていたのでした。




「あのね真琴くん、それはきっと、同姓同名の別人だと思うの」


 なまえちゃんが困ったように眉を下げてそう言うものだから、思わずハルと顔を見合わせてしまった。

 状況の整理をしよう。俺とハルで、なまえちゃんに昨日の夜の出来事を話していた。スイミングクラブが取り壊されてしまうこと、その前にタイムカプセルを掘り起こしに行こうとしたこと、そこで出会った昔の仲間のこと。なまえちゃんと俺たちは幼なじみで、なまえちゃんはクラブには入っていなかったけれど、俺たちの応援に来てくれていたから、渚のことも知っているし、6年の時は同じクラスだったから、もちろん凛のことも知っている。だから話したんだ。残念だねとか、危ないよとか、いつものようにおっとりと相槌を打って答えてくれていたのに、凛の話をしたらこう言われてしまった。


「なまえ、あんなに凛にそっくりな人は他にいない」

「でも遙くん、凛くんはそんな酷いことをする人じゃないわ」


 短い間しか一緒にいなかったけれど、なまえちゃんは随分とよく覚えているものだと思った。それともそれは、凛だから特別なのか。恋愛に明るいわけでも疎いわけでもない俺からしても、あの時のなまえちゃんと凛は仲が良かったと思う。なまえちゃんがというか、凛が積極的になまえちゃんと関わっていた、ような。

 凛は人当たりも良くて、あの短期間でもクラスの人気者だった。なまえちゃんとはその延長線上の関係だったのかもしれない。けれどもし俺が今邪推した通りだったなら、それは素敵なことだと思う。


「まあいいわ、その人が凛くんでも、凛くんでなくても。それよりもそのお話、学校にも連絡が行ってるんじゃないかな?きっと怒られるわ」


 なまえちゃんがおっとりと言った言葉を聞いて、ハルが席を立った。あっという間だった。早退、だと…!?ハルは泳ぎだけじゃなく、逃げ足も早かった。




 私の知る松岡凛くんという男の子は、とにかく元気でキラキラしていて、とても眩しい子だった。なのに遙くんと真琴くんが言う“今の”凛くんは、なんだか正反対の子で、私はそれに戸惑うしかなかった。

 初恋、というものは実らないものだと聞く。けれど人間は何度も恋をするから、そんなに問題視されないんだと思う。私にも、この現在進行形の初恋を諦めなくてはいけない日が来るのかしら。それはとても悲しいことだと思う。だって私は、凛くん以外の人に恋をできる気がしないのだもの。

 例えばこの思いを告げたとして、断られてしまったとして。それで恋は終わるのかな。みんなどうやって恋を終わらせて、新しい恋を始めるのかしら。少なくとも私には、凛くん以上に好きになれる人なんて、やっぱり現れる気がしないのです。


「私はきっと一生、初恋を引きずって生きて行くんだわ。叶おうと、叶わなかろうと、一生」

「えー、何それ!なまえの恋バナって珍しすぎる」

「なまえの初恋の人って誰?橘くん?それとも七瀬くん?」

「どっちも違うわ。二人は幼なじみよ」


 女の子らしい話題に花を咲かせるなまえちゃんたちを、少し離れた場所から眺める。断じて聞き耳を立てているわけじゃない。聞こえてくるんだから仕方ない。…気にならないといえば、嘘になるけど。

 クラス内…というか岩鳶で、なまえちゃんは結構人気のある女の子だ。幼なじみの贔屓目を抜きにしても綺麗だし、笑顔は可愛いし、性格だって素敵だし、…胸が大きいし。だからそんななまえちゃんのことを好きで、今なまえちゃんの珍しい恋バナに耳を澄ませてる男子は少なくない。俺だって幼なじみとして、気になる。

 それに何を隠そう、俺とハルの初恋はなまえちゃんだ。といっても小学校に上がるか上がらないかくらいの話だし、今では二人とも恋愛感情はない。多分近すぎて、本格的な色恋には発展できなかったんじゃないかと俺は分析してる。普通、兄妹を恋愛的意味で好きにはならないだろう?それと同じで。


「時期は?いつ?」

「…小6の頃かな」

「それからずっと?」

「長いな!」

「そうなの?」

「ていうかちょっと遅くない?あたしは幼稚園だったけど」

「私は低学年だったかなー」

「そうなの…」

「いやまあ、個人差があるしあれだけどさ」

「相手は?」

「ええっ!やだ、美優ちゃんには分かっちゃう」

「同じクラスだった男子ってこと!?」

「やあだ、それ以上はだめ!」


 きゃっきゃと華やかなガールズトークで、俺は確信に近いものを得た。凛だ。でなきゃピンポイントで小6なんて単語が出てくるはずがない。

 ああ、凛が、なまえちゃんの初恋…。そしておそらくなまえちゃんは、まだ凛を好きでいる。ああでも、なんてことだろう。あの頃の凛に恋をしたであろうなまえちゃんは、今の凛をどう思うだろう。本質はきっと変わってない。それでも、5年という時間はあまりにも長い。

 俺は、大切な幼なじみの初恋が、どうか真綿で包まれますようにと、祈ることしかできなかった。





昔に凛ちゃんが恋してた、
昔の凛ちゃんに恋してた女の子と、
今でもその子に恋してる凛ちゃんが、
また最初から初恋を始める話。







ESの凛ちゃんがいちいち天使すぎてあの頃を思い出して涙が出てくるので書きました。続きます。最後ネタバレしてますね。

140815



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