※死ネタ





貴方に花を 私に唄を





姫さん

姫様

お姫ちゃん


 甲斐の虎の娘だから、姫。あの人は幸村様に仕えている忍だから、私を姫と呼ぶ。

 当たり前のこと。普通のこと。

 でも、私は。私は、そんな名前じゃない。私にはちゃんと名前があって、だから、その名前で一番呼んでほしい人に呼んでもらえないなら。名前なんて、要らない。


「姫さん、」

「………」

「あれ、聞こえてない?姫さーん、真田の旦那が探してたよー」

「……佐助」

「ん?なに?」

「きらい」


 きらい。さすけきらい。

 こんなにも好きなのに。報われないのは分かってて、それでも大好きで仕方がないのに。

 佐助は、それをきっと分かっているだろうに。

 応えて欲しいわけじゃない、私を愛してなんて、我儘を言いたいわけじゃない。佐助を困らせたいわけじゃない、ただ、私は、名前を、呼んでほしい…だけ、なのに。


「きらい、きらいよ、佐助なんて、きらい」

「……なにかあった?」

「なんにもないわ、だからきらいよ。あっち行って、佐助なんて、きらい。ばか、きらい、きらい!」


 困らせたいわけじゃないのに。我儘を言いたいわけじゃないのに。応えて欲しいわけじゃ、なかったのに。

 それなのに佐助は困った顔をして、私を見つめる。ごめんなさい、そう言わなきゃいけないのは分かってるのに、言葉を紡ぎだそうとしないこの頑固な性をどうにかしてほしい。


「佐助なんか、どこにでも行けばいいんだわ。私のことなんか構ってないで、幸村様のもとに行けばいいんだわ」

「姫さんだって俺の主だろう」

「違うもの。私はただの姫。護られることしかできない、戦場では役立たずでお荷物の姫だもの。浅井の市様や前田のまつ様や、織田の濃姫様みたいに戦えない。それなのに私は、せめて甲斐のために輿入れすることもできない、子も生せない身体で、……役立たずで力不足の、要らない子だわ」


 姫として生まれてきたのに、充分にその役目も果たせずに、勝手に貴方を愛して、愛されないからと言って嘆いて泣く、役に立てない要らない子。

 だから、いつか崩れてしまうなら今壊してしまって、自分のものにしてしまいたい。

 いつか壊れてしまうなら今捨ててしまって、


  自分から捨てたんだって。


「そんなこと、俺様思ってないよ?真田の旦那だって大将だって、皆思ってない」

「うそ。皆がそう思ってなくっても、私は私を役に立てない要らない子だと思っているもの。だから、私は、生まれてこなければよかったんだわ。ねえ佐助、私は何のために生まれてきたの。ねえ佐助、私は、生きている価値のある人間かしら、私は、なぜ生まれてきたのかしら」

「姫さん、落ち着いて…」

「呼ばないで、姫なんて。私には相応しくないもの。私は、何もできない子よ。佐助に護られる価値も、主として接せられる価値も、なにもない子よ」

「姫さん、」

「だから佐助、さようならね。貴方のこと、とても好きだった。でも、だいきらいよ。貴方は、本当に立派な忍だわ。その調子で、これから先も…父様と幸村様を支えてね」

「なに言って、ねえ、姫さん?」

「探さないでほしいと、父様たちに伝えてね。心配しないで、とも伝えてね。私が私に自信を持てるようになったら、その時はきっと、帰ってくるわ。だから、ごめんなさい、佐助。ここでお別れよ。甲斐は好き。でも私は、甲斐のために何もできない。それなら私はいない方がいいのだわ。ねえ佐助、貴方なら分かってくれるでしょう」


 ごめんなさい、佐助。最後まで勝手な私をどうか許さないでね。そしてどうか、私のことは忘れてね。そうでないと名前で呼んでくれない貴方のことを、私が忘れられないもの。

 貴方を愛したことをよい思い出だと感じられるようになったら、そうしたら私は帰ってくるわ。きっと、そんな日は来ないと思うけれど。

 だからねえ佐助、私のことを主として、姫としてしかみていないのなら、そんな悲しい顔をして見つめないでほしいのよ。愚かな私はまた期待をして、勝手に被害妄想を繰り広げて、一人で悲しくなるだけだもの。

 ねえ佐助、私が姫じゃなかったなら、貴方は私をなまえと呼んでくれた?…ああ、私が姫じゃなかったら、貴方とは出逢えていなかった。なんだ、結局私のこの淡い恋は、淡いまま終わっていく運命しかなかったのだわ。


「ごめんなさい、佐助。最後に一つだけお願い、聞いて」

「最後だなんて、そんなこと…」

「三味線とね、尺八を持ってきてちょうだい。お琴は重たいから置いて行くわ」

「俺様が、ついて行くよ。琴も三味線も尺八も、俺様が持って行く。姫さんが納得のいくまで、自分に自信が持てるようになるまで、いつまでも付き合うから、」

「無理よ、佐助。名前を呼んでくれない貴方が傍にいても私は嬉しくないわ」

「………」


 ごめんなさい、佐助。貴方のその優しさが好きだったのよ。でも今の私は、貴方の優しさに触れる度に虚しく感じるの。

 ねえ佐助、貴方が一度でも私を姫としてでなくなまえとしてみてくれたことがあったなら、こんなことにはならなかったわ。なんて、責任転嫁もいいところね。

 ごめんなさい、佐助、もう遅いの。貴方が忍ではなくて私が姫ではなかったなら、出逢わなかったなら、こんなに悲しいことにはならなかったのかしら。


「ねえ佐助、私、一日中唄を歌って過ごすことが夢だったのよ。私はせめて、夢を叶えたいの。ねえ佐助、お願いよ。今、私が貴方に望む一番のこと。貴方がこんな私を少しでも主と思ってくれているのなら、ねえ、」


名前を呼んで


「姫さん………分かったよ」


 名前なんて要らない。貴方が呼んでくれないのなら。

 名前なんて要らない。貴方が応えてくれないのなら。

 鈴のように、鳥のように、雨のように、風のように、草のように、海のように、星のように、お湯のように。

 袖のように、本のように、猫のように、かぼちゃのように。

 そんなふうにはなりたくない。


  そんなふうにはなりたくなかった、のに。


 だからさようなら、佐助。貴方を愛したことが、私の唯一誇れることになったと、感じているの。

 貴方を愛せて良かった。だからさようなら、佐助。

 楽器を取りに行くのに部屋を去っていく佐助の後ろ姿を見て、少し胸が痛んだ。さようなら佐助、声に出さずに呟いた言葉は、貴方の耳に届いたかしら。

 佐助が来る前に、お別れの準備をしなくては。佐助が来てからでは、さっきのように咎められてしまうかもしれないもの。

 私が最初に花を貰ったのは佐助からだから、私が最後に花を贈るのは佐助がいい。庭に咲いている白の鬱金香(チューリップ)を一輪手折って包む。

 私は長らく待ちました。いつか貴方が私を見てくれるだろうと、私は長らく待ちました。

 私は長らく待ちました。私は待てなくなりました。

 ごめんなさい、佐助。


 ごめんなさい、佐助。せめて貴方への想いだけを持って、私は旅立ちます。

 さすけ、知っていましたか?私が、もう長くはないということを。私が子を生せぬのは、病気だからなんですって。

 ねえさすけ、貴方は知らなかったでしょう。私の目はもう充分に景色も貴方も映してくれてはいないということを。

 ねえさすけ、知らなかったでしょう?だって、誰にも言っていませんもの。

 父様、護身用にと持たせてくれたこの刀、こんなことで使うのをお許しくださいね。なまえは父様の子供に生まれて、確かに幸せでした。なまえは父様が天下をおとりになられる日がくることを、心より願っております。


それでは皆様これにてごきげんよう。


 最後に見た景色はぼやけていたけれど、とても鮮明な赤色だった。視界の端にちらつく橙色があの人だったならいいと思いながら、伸ばされた手にそっと触れて、その後は。

 もうまっくらで、なにもみえない。


姫さん、どうして、


 ああ、やっぱりさすけだった。


ねえさすけ、

姫さん、喋っちゃだめだ、

さいごのおねがい、きいて。さいごのさいごのおねがいよ。

うん、聞くよ、聞くから、だからねえ、血が止まらないんだ、だから喋らないでよ。

わたしさすけがすきだったのよ。わたしさすけをあいしていたのよ。だからわたし、さすけにいちどでいいからなまえでよんでほしかったの。

呼ぶよ、呼ぶから。だから、死ぬなよ、死んだら呼んでやれなくなるから、だから、なあ、




けっきょくそのあとはなにもきこえなくなって、ゆびさきにかすかにかんじていたかんしょくもなくなって、からだはもううごかなくて、

けっきょくわたしはいちどだってあのひとになまえをよんでもらえなかったのだわ。





これに続く



テーマは“名前を呼ぶ”

貴方に花を 私に唄を/初音ミク feat. Re:nG
チューリップ(白)の花言葉…長らく待ちました

100418



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