「藍、あなたに大事なお話があります」


 白衣を着た先生と博士がボクの前に並んで立つ。二人とも心拍数は正常。大事なお話をする割には落ち着いて見える。博士はともかく、先生が取り乱したところなんて見たこともないけど。


「分かった。今すぐにするの?」

「いえ、…寿くんも交えて話したいので、日は改めたいと思います」


 それだけ告げてボクの部屋を出た先生。博士は残ってボクに来月のメンテナンスについての話をした。先生がいう大事なお話には博士も来るのか聞いたら、彼女に任せたからと言った。つまり来ないってことだと解釈して頷くと、博士はボクの頭を撫でて出て行った。


 部屋に一人残ったボクは、中断していた作業を再開した。今は服のデザインを考えてるところ。女性に人気のブランドとのコラボレーション企画で、コンセプトはデートの時に着て欲しい服。レイジとカミュはさっさと提出してOKを貰ってたけど、こういうことが苦手なランマルと特に好みがないボクは難航中。

 ボクが考えるからには、ボクらしさも必要だと言われた。レイジはレトロなテイストを取り入れて、でも古臭くはないかわいいおしゃれさを演出していた。カミュのは普通に街を歩いてたら少し浮くかもしれないけど、隣に並ぶのがカミュならすごくお似合いなんだろうって感じのドレスのようなフォーマルワンピースをデザインしていた。二人のプロデュースした服はとてもらしさが出ていた。きっとランマルも、時間がかかっても自分らしいものを考えられると思う。

 ボクらしさってなんだろう。ボクの好きなもの。クリスマスツリーをプロデュースする時もすごく難しかった。先生とやったボクらしくない曲は、すぐに形になったのに。それは先生がボクらしさを知ってくれていたからかな。


 先生が作曲した自分らしくない曲は、発表後全員が好評をもらえた。ギャップが受けたのと、全体での打ち合わせの時に歌詞に自分らしさを出そうと先生が提案したことで、イメージにない意外な曲ながらも確かにボクたち一人一人の歌だということが高評価に繋がった。慣れないジャンルだから歌い方の指導もいつもの曲以上にしてもらったし、ボクは特に先生の曲だからと張り切ってレコーディングに臨んだし。QUARTET NIGHTとしても一人のアイドルとしても新しい風が吹いたことに間違いはなかった。その結果、仕事は順調すぎるくらい舞い込んできた。

 忙しいのはありがたいことです。そうかつてボクに言った先生も、以前と同じように作曲家としての仕事で忙しくしていた。まったくテイストの違う4曲での活動再開はにわかに話題になり、音楽業界では帰ってきた新星として引っ張りだこらしい。事務所では、後輩作曲家でST☆RISHのデビュー曲を作ったハルカと一緒にいるところをよく見かける。同性の作曲家の先輩という存在は今までハルカの傍にはいなかった。七海さんのマスターコースをしてあげられなくてごめんね、と謝っていたのを偶然聞いた。遅くなったけど少しずつ技術を教えているらしい。嬉しそうな顔でオトヤたちに報告していたとレイジが言っていた。

 ランマルもカミュも先生の曲を当然気に入ったみたいだった。ランマルはボクに作ってくれたロックを聴いて、今度自分にもロックを書いてくれないかと頼んでいた。女性の苦手なランマルが珍しく自分から話しかけてたのを見て、先生のロックはそんなにロックだったのかなと頭の悪いことを思った。先生はもちろんこちらこそと返事をして、でもロックはあまり得意じゃないんですよと苦笑した。

 先生の得意なジャンルはボクと同じバラード。アップテンポも割と得意だったはず。でも先生の曲なら何でも素敵になる。その全てをボクが歌いたいって独占欲は抑制できるけど、依存と類似した少し危険な感情は制御できそうにない。何故だろう。これだけは昔からダメなんだ。先生は全て正しいと思う。間違いも含めて全部正しいと思う。先生はプログラムの書き換えなんてできないし、博士もそんなことはしない。ボクのこの確固たる薄弱な信念は一体なんの根拠に基づくものなのか。
 ボクはその答えをすぐに知ることとなる。





 施設の一室、先生の部屋にボクとレイジは招かれた。ここならマスコミに漏れることはないとの判断だと思う。レイジは先生の部屋に入ってすぐ、どこに消えちゃったのかと思ったらこんなところにいたんだ、と言った。ボクはここにいる先生しか知らない。最近は本当に些細なことでもムッとしてしまう。特にレイジに対しては。

 飲み物を入れてくるからという先生に促されて、レイジと4人掛けのテーブルに座る。レイジの斜め前。先生とレイジが対面できるように気を使ったつもりなのに隣がいなくて寂しいとか言うから、テーブルの下で軽く足を踏んでおいた。これは危害じゃなくてスキンシップだから、原則には反してない。

 レイジが足の痛みに悶えていると、先生がお茶を淹れて持ってきてくれた。嗅いだことのないにおい。でも知ってるようなにおい。これはなんだろう?


「はい、熱いので気をつけてくださいね。甘みのあるお茶なので必要ないかと思いますが、一応お砂糖も置いておきます」

「ありがと」

「先生、このお茶は何?」


 紅茶を配り終えてボクの隣に腰を落ち着けた先生にそう尋ねると、先生は少し驚いたような、満足したような顔で微笑んだ。あまり見たことない表情。でも懐かしいような表情。さっきの既視感とは別物、みたいな感覚。これはなんだろう。


「藍はまだ知りませんでしたか。よかった。ぜひ当ててみてください」


 柔らかく微笑んだ表情のままに、ボクに促す。レイジもまだ口を付けずにボクを伺っていた。ボクは覚悟のようなものを決めてカップに手をかけた。先生とレイジが見守る中、慎重にカップを持ち上げて口に近づける。唇が端にそっと触れて、そのまま傾ければ紅茶が口内に注ぎ込まれる。ゆっくりと味わう。

 口に広がるかすかな甘み、それと…香ばしさ?この味は覚えがある。しかも比較的新しい記憶。昨日、一昨日とデータを遡る。これは……


「…焼きいも?」

「え、焼きいも!?」

「正解です。この前、四ノ宮くんたちとたき火で焼きいもをしたと聞いたので、探してみたんですよ。寿くんも飲んでみてください」

「う、うん……あ、美味しい」

「それはよかった」


 一見すると普通に仲が良さそうに思えるけど、二人の間には溝がある。これから先生がする大事なお話で溝が深くなるのか、それともなくなるのか分からない。けれどこれからも先生はボクの先生で、レイジは同じグループの仲間で、ボクとの関係は…どうかな、変わるのかな。先生とは変わらなくても、レイジとは変わるのかも。できたら変わって欲しくないと思うのは、わがままなのかな。

 一口、先生も紅茶を口に含んでゆっくり嚥下した。カップを置いて静かに深呼吸をする。この前ボクの部屋に博士と来た時と同じ、心拍数は正常。先生はとても穏やか。対するレイジは心拍数高すぎ。血圧も上がってる。緊張してるみたい。

 ボクがくだらないレイジ観察をしていると、先生が口を開いた。


「…さて、藍、寿くん。大事なお話があります」

「うん」

「…なまえ」

「まず藍は、人間ではありません。人工生命体…ロボットです」


 時が止まったような感覚というのを体験した。誰も微動だにせず、呼吸も忘れたように静かで、壁にかかったシンプルな時計だけが時の流れを示していた。

 予測はできていた。先生とレイジと、それからボクに関連することとなれば、ボクの存在は必須条項になる。だから覚悟もできていた。少し、鼓動が早くなったような気がする。これは…緊張、なのかな。緊張。ロボットのボクが…って、このくだり、何回やる気だろう。ボクはそんなに人間になりたいのかな。なりたいん、だろうな。ずっと。

 不思議とレイジに知られることを怖いとは思わなかった。それはボクがレイジを、少なくともそれくらいで態度を変えるような人間ではないと、評価しているからかもしれない。そんな風に人間を見るようになれたのは、ナツキとショウに知られてから、それでも態度を変えずに接してくれた二人を見てきたからだと思う。


「っ…は、そう、だったんだ……」

「藍はこの施設で生まれ、育ちました。私は藍の教育係として、アイドルになるべく様々なことを教えました」

「…なるほどね。アイアイの発声法とか楽譜の書き込みとか、ちょっとしたところに圭を感じていたのは、…そういうことだったんだ」

「…そうなの?」

「気づいてなかったの?」


 そうなの、はレイジがボクのことよく見てるんだってことに対してだったんだけど、まあいいや。

 少しぬるくなった紅茶を口に含む。うん、焼きいも風味。どうやって作るんだろう?今度調べよう。


「…ここからは、藍も知らないことです。知っているのは私と博士と社長だけ。……藍が、どうして生まれたのか。それは、寿くんにも関係のある話なんです」


 目を伏せて、一つひとつの言葉を丁寧に紡ぎ出す先生。ボクの知らない、ボクのこと。レイジとのこと。先生たちがずっと、ボクに秘密にしてきたこと。それは…


「先生。それはボクが、聞いてもいいことなの?」

「アイアイ…」

「…もちろんです、藍。知って、藍がどう思うか、考えました。傷つくかもしれません。ですが藍に、知る権利を与えます。あなたは、あなたの生まれたもう一つの理由を知るか、自らの選択によって決めなさい」


 知る権利。最初から拘っていたのはボクだけだ。ボクが知りたいと言えば先生は断ることをしなかっただろう。先生も博士もボクをロボットとして扱ったことなんて一度もない。二人が何かを隠してて、ボクの後ろに誰かを見ていたことに気づいていた。気づいて、気になるのに、ボクがそうだということを盾に取って言い訳をした。ボクはロボットだから、聞いてはいけない。踏み込んではいけない。そんなこと、言われたことはないのに。

 今までボクは逃げていたんだ。目を逸らして見ないように。すとん、と胸に何かが落ちたような音がした。

 先生はボクの頷くのを見た後、それと、と繋げてレイジに視線を移した。


「寿くんも、知りたくなければ聞かない選択をしてください。分かっているとは思いますが、楽しい話ではありませんから。あなたにとっても、私にとっても」


 レイジは困ったような、泣きそうな顔をして、ごめんねと呟いた。ぼくが悪いの、全部分かってるけど、だから、聞かせてよ。声は震えてた。

 それからボクたちは、やり直せない過去の話を紡ぎ出す先生の声に、静かに耳を傾けた。







途中なんとなくお仕事のこととか入れたら本題まで行けなかった。

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