「…それは命令ですか」

「お前が嫌なら構わない」

「………いいえ。やらせてください。…長い間、わがままを言って、すみませんでした」



 先生が芸能界に復帰するという話を聞いたのは、順調に軌道に乗ってきたQUARTET NIGHTで打ち合わせを行っていた時だった。ボクたちの新曲を先生が作るという。先生の曲は勿論何度も聞いたことがある。ボクのお手本はいつだって先生だから。先生と一緒に仕事ができる。そう思うと、驚きよりも喜びの方が勝った。

 世間はボクと先生の関係を知らない。リュウヤは知ってるのかもしれないけど、レイジたちは多分知らない。だからボクは驚きも喜びも内心に留め、この場において違和感のない程度にポーカーフェイスを纏った。だってここにはレイジがいる。


「龍也先輩…それ、ほんと?」

「…ああ。社長がな、そろそろ潮時だろうってさ」


 レイジが椅子から立ち上がってリュウヤに真偽の程を聞く。リュウヤが眉を顰めて答えた。潮時。レイジもリュウヤもボクの知らない先生を知ってる。胸に湧き出た想いは、多分嫉妬だった。

 グループを組んでから、ナツキとショウとマスターコースで一緒に過ごしてから、ボクは感情面でもぐっと人間に近づいた。今思えばあの期間は、ボクにとって情操教育の一環だったんだと思う。

 先生はボクにとって先生で、親で、姉だから、仲間や友達じゃない。先生の部屋である施設の一室の狭い空間は、ボクが生まれてから一番多くの時間を過ごした場所で、そこにはボクと先生のほぼすべてがあった。研究者は他にもいて、ボクはとても多くの人に大切に育てられたけど、おぼつかない足取りでよちよちと歩くボクが辿り着くのは、いつだって先生の腕の中だった。そんな関係のボクと先生の間では、学ぶものも多かったけど、学べないものも多かった。それは当たり前。それを学ぶために先生と少し離れること、それがメディアへの露出でありグループ結成でありマスターコースだった。いわば親離れ。ボクはその期待に応えられたはず。だって機械は嫉妬なんてしないから。


「まあお前は積もる話もあるだろう。だが忘れるなよ、あいつがここから退いた理由。お前もあいつもそれなりのもん抱えてんだ。同じ轍は踏むなよ」

「…うん、分かってる…」


 ボクが知らなくて二人は知ってる先生。無理やりにでも聞き出したいけど、どれだけ近づいたってボクはロボット。人間よりも力があるから、素手で命を終わらせてしまうことも、多分できる。やったことはないし、やりたいと思うこともない。けれどだからこそ、慎重にならなくてはいけない。ロボット三原則その1、ロボットは人間に危害を加えてはならない。ロボットに限ったことでも人間に限ったことでもないこれを、ボクは破る訳にはいかない。


「顔合わせは3日後だ。場所はここ、時間は追って連絡する。そのまま軽く打ち合わせして曲の方向性とか決めてくれ。その後の集まりはそっちで決めていいが、こっちにも連絡は寄越すように。…気にすんな、いつもと同じ仕事だ」


 最後はレイジを除いたボクたちに向けて言ったみたい。今ボクはランマルとカミュみたいに、上手く何が起きてるのか分からないという仮面を被れているのかな。先生とボクの関係を明かしていいのか分からない以上、ボクの態度で勘付かれてはいけない。リュウヤとレイジが示し合わせたようにちらっとボクを見る。気のせいかな。ボクのスコープが壊れていれば、の話だけど。

 ロボットは主人に対して猜疑心を持たない。今リュウヤとレイジを疑うことは先生を疑うことにもなる。大丈夫、いつかきっと話してくれる。確率なんて怖くて出せなかった。





「初めまして。作曲家の音波なまえです」

 ナツキとショウに紹介した時と変わらない笑顔の先生は、ボクたち一人一人の顔を順に見て、よろしくお願いしますと言って頭を下げた。そのことにボクは少しだけホッとした。

 レイジと先生の間に何かがあるのはもう分かり切ったことだった。これくらい、ランマルとカミュも察していると思う。少なからずボクにも関係しているかもしれないことは、多分気づいていないと思うけど。ボクに、関係。妥当な線で行けば、ボクのモデル、とか。これ以上の詮索はやめよう。


「なまえ、あのさ…」

「寿くん、プライベートなお話は後にしましょう。今は仕事が先です」


 そう言ってレイジに向けた笑顔も、ボクがよく知るやわらかい笑顔のままだった。少しの歪みもない。レイジは安堵したように頷いたけど、ボクには少しだけ引っかかった。前にボクがレイジについて聞いた時の反応と、今。明らかにおかしい気がする。先生、無理してるのかな。大人だからかな。

 アイドルは嫌な場面でも嫌な顔をしてはいけませんよ、と先生は言った。アイドルに限ったことではありませんけれどね、とも言って、でも最後に、言ったのに。本当に嫌な時は断らなきゃいけないって。自分は自分で守らないとって。心は自分にしか分からないから、自分で自分を守ってあげなきゃ駄目だって、ボクに教えたのは先生だったのに。


「今回は社長からの指示がありまして、表現の幅を広げるためにらしくない曲を歌ってもらいたいそうです。皆さん、自分らしくない曲のイメージはありますか?」


 リュウヤに説明を受けた時に資料として渡された先生の曲は、ドラマや映画の主題歌に使われたもの、CMに使用されたものなど一般的に有名と言われる曲が多くあった。先生の曲を聴いて育ったボクは当たり前にそれらを知っていたけど、ランマルとカミュも何曲か知っていたことに少し驚いた。先生は2人がアイドルとして本格的に活動を始めた頃には、作曲家を休止してボクのことに携わっていたはずだったから。

 先生の世間的な評価を知ることは、即ち先生が隠している過去をも知ってしまう可能性がある。だからボクは今までそれを避けてきた。知りたくないと言えば嘘になるけど、ボクに知られることを先生が望まないのなら、ボクはあえて知りたいとは思わない。

 リュウヤに渡された先生の曲には、レイジの歌う曲もあった。ボクはそれを知っていた。ボクの知らない曲はひとつもなかったけれど、ボクの知らない声で歌われているものはあった。ボクが以前に聴いたその曲は、先生が自ら歌ったデモだった。ボクの知らないその声は、ボクの声とよく似ていた。

 先生の知られたくないことは知らないように、詮索はしないように。そうしてきたのに、こんなにふとしたことで知ってしまいそうになる。潮時。それはボクとの関係にも当てはまるのかもしれない。それでもどうしようもない。ボクはどうしたって………


「美風くんはどうですか?」

「ボクはバラードのような大人しめの曲が多いから、ランマルとは逆にロックとかいいかも」

「アイアイのロック!なにそれ、れいちゃんすっごく聞きたい!」

「カミュは?」

「そうだな…意外性と言うならば」

「ちょっとちょっと無視!?れいちゃんショ」

「黙れ愚民」

「ごめんなさい」


 ボクには思考回路に当たる部分が多く存在するから、複数のことが一度にこなせる。メインで全く別のことを考えていても、打ち合わせもおざなりにならずに進めることができる。こういう時はロボットでよかったと思う。便利だからね。

 ボクにとってはいつもの遣り取りも、先生には新鮮に見えるのかな。小さく声を出して笑った。いや、レイジがおかしいから笑ったのかも。カメラも回ってないのに面白いことしても勿体無いでしょって思うけど、先生を笑わせたことは褒めてもいい。といってもボクの前では常に優しく微笑んでいてくれるけど。嫉妬と優越。


「では、寿くんがJ-Pop系の曲」

「ぼくいつもJ-Popのキラキラアイドルソング歌ってるつもりだったんだけどね!」

「貴様のは歌謡曲寄りだ。時代を感じる」

「がーん!」


「黒崎くんがラブソングのバラード」

「…ああ」

「ランランファイト!」

「うるせぇ」


「美風くんがロックテイストの激しい曲」

「頑張ってみるよ」

「期待してるぜ」

「うん。色々教えてほしい」


「カミュくんが演歌」

「この程度のmission、こなせずにどうする」

「演歌はマサトが詳しいよ」

「…覚えておこう」


「ふふ、楽しみですね。きっと素敵な曲になります。歌詞や詳しい曲調などの細かい打ち合わせは、後日個別にしましょう。そちらに合わせますので、事務所を通して都合のつく日を教えてください。その日までに軽く、何パターンか作っておきますので、楽しみにしていてくださいね」


 先生と仕事をするのは初めてだったけど、話し合い自体は何も滞りなく進んだ。おかしいのはいつもよりやけにテンションの高いレイジだけ。二人はこの後、件のプライベートなお話をするのだろうか。気になるけれど気にしちゃいけない。もどかしい。

 ここのところボクはどんどん複雑な感情を芽生えさせているけど、これはちゃんと正常なのかな。機械としては異常なのは理解してるけど、人間に近づくようつくられたボクとしてはどうなんだろう。嫉妬。無機物が?あり得ない。博士はどんなプログラムを組んでボクに感情を表現させているんだろう。自分でもまるで人間みたいに思える。危険だ。

 そのあと、ボクにはすぐ仕事があったから現場に向かった。レイジはまだ時間に余裕があったはずだけど、どうしたのかは知らない。施設に帰ったらいつものように先生が出迎えてくれた。聞きたいことはたくさんあったけど、どれ一つとして口には出さなかった。代わりに曲のことを話した。とても楽しい時間だった。







ちなみに片桐響くんはこのまま空気です!多分本編後のおまけで出てきます!

140314