三好さんが亡くなった、という話を養父から聞かされたのは、新年の足音が近くまで聞こえているというような年の瀬のことだった。編み物の手を止めて養父を見れば、いつもの冷静な姿があり、一瞬たちの悪い冗談であったかと考える。急ぎドイツに向かうと言う養父に、ことを理解する間もなく準備に奔走することとなった。養父を送り出した後で、ようやく一息ついて、状況の整理ができるようになった。
 乗車していた鉄道の衝突事故。詳しいことはそれ以外教えられなかった。養父もまだ知らないのかもしれない。なにせ遥か遠いドイツの地で起こった事故なのだから。
 だから私は、何も知り得ないままで三好さんの死について想像してみる。最後に見た風景。最後に聞いた音。最後に交わした会話。最後に考えたこと。最後に思い出したこと。どれ一つとして分かることはなくても、何度も何度も繰り返し考えてみる。演じていた役割。与えられた仕事。三好さんという人。三好さんではない人。最期、彼が誰だったのか。それはもう誰にも分からないことだ。
 養父に師事していたあの時分から、とても優秀であった彼。そんな彼が、人生で一度だけ、最後に起こる不可逆的な出来事に、どう立ち向かったのか。彼の走馬灯が見せた過去は、果たして、誰のものであったのか。
 分からないことだらけでも、一つだけ分かることがある。それは彼が役割を果たして亡くなったということ。養父の講義には不慮の事故に遭った時の対処法も含まれていた。そして優秀な彼はそれを実行した。いや、常に実行していたことだろう。だからこそ養父は困惑せず、ドイツに行くとだけ言ったのだ。それが彼に対する信頼か、自分に対する信頼かは、これまた分からないのだけれど。

 ふと、思い出す。養父が彼の死を告げるまで、私は何をしていたか。編み物だ。もうすぐクリスマスだからと、機関員へささやかな贈り物をしようと考えていた。といっても身分を偽って仕事をしている彼らに、直接贈れるわけもないので、役割を果たして帰還した際に渡そうと思っていた。冬は日本も外国も身が凍えるように寒い。渡せるのがいつになるかは分からないが、寒さを少しでもやわらげたくて防寒具を編んでいた。
 三好さんの分の手袋は一番に出来上がったので、包装して仕舞ってあった。毛糸の手袋など彼には少し子供っぽいかもしれないな、と出来上がりを見て苦笑したのは、そう遠くはない師走の初めだった。そうかこれ、もう渡すことはできないのか。養父に持って行って貰えば良かった。事故死した人への贈り物に混じらせて、直接でなくとも彼に届けばそれで…。いや、中を改められたら不自然だ。養父が首を縦に振ると思えない。ならばどうしようもない、この手袋は主人の元へはどうあっても行けない運命だったのだろう。黄色の包装紙を一撫でして、棚に戻した。

 ふう、と長いため息を吐き出す。ここ数年、彼らに出会ってからというもの、憂いは溜まる一方だ。危ない橋を渡っているという話を聞くだけで心配でたまらない。怪我をしたと聞いたら、今すぐにでも飛んで行って手当したくなってしまう。私は彼らを、兄のように、あるいは弟のように、家族のように思っていた。彼らにとって私がどういう存在であったとしても、私は彼らに親愛の情を抱いていた。
 いつかはこんな日が訪れると思っていた。それが誰かの意図したものであったか、偶然の事故であったかというだけで、結果は一つしかない。彼が死んでも彼のもたらした情報は生き続ける?私はそんな、男性のようには割り切れない。機関員の誰が亡くなっても、私は同じように悲しい。養父に言わせれば女は感情で動くからいけない生き物だそうだが、素直に悲しみも表せないなら冷静さなどこちらから願い下げだ。情報などではない。生き続けるのは、思い出だ。

 できれば苦しまずに旅立てていれば、と考える。遥か異国の土壌で永遠の眠りにつく彼が、何にも害されることなく済めばと。せめて周囲が静かであればと。今となっては、私にできることは最早祈ることしかないのだ。それは、何もできないことと同義だけれど。

 今日の夕食は、彼が好きだと言ったものにしよう。任務を終え、束の間の休息を得た彼に、度々頼まれた料理を作ろう。そうして彼との思い出を、丁寧に思い返して過ごそう。養父のいない数日間だけでも、感傷に浸ってもいいだろう。養父の前で感情に揺れれば、鼻先で笑われることなど分かりきっているのだから。