浮き上がったもの、浮上した仮説

夕方雨が止み、夜には澄んだ夜空に月が出た。
皆は「顕現が進む」「仲間が増える」と安堵の表情で夕飯を済ませていた。
私はと言うと、皆の前で月を浴びることに少し怖気付いている。小夜の前では自然に出来たのに、片子とバレてからこれを行う事に、不安と恐怖しかなかった。

「……らい?」
「剣勢…いや、何でもないよ」
「…?……歌仙が、呼んでる」
「え?そうなの?」
「うん…」
「分かった」

剣勢に声を掛けられていたことに気がついていなかったようだ。
私は居間から見える月を見上げてから立ち上がり、剣勢と居間を出て食器を洗う音のする厨を覗いた。

「歌仙ー?呼んだ?」
「ああ、主。そろそろ後片付けが終わるんだ。終わったら僕も顕現に同行したいと思うんだが、主の準備はどうだい?」
「大丈夫。歌仙の準備終わったら呼んで。そこで月でも浴びてるよ」
「ああ、分かった」

厨から外に出て、歌仙から少し見えない位置に行くと、私は腰を下ろすところの汚れを払って戸口に腰掛けた。剣勢が隣に立つ。
月の光が光の粒になって私に降り注ぐ。
深呼吸をして受け止める。
もう左手も痛くない。包帯を外して、傷の癒えた左手を月に翳した。
月が少し欠けている。雲も薄くかかっていて、これをきっと歌仙は風流と呼ぶのだろうが、私には雲は邪魔な存在だった。
『月がなければ、食事が要らない』
…知ってる。分かってる。でも人として、皆と普通の食事を取りたい。
それが、私が唯一『人』の部分を感じられる瞬間だからだ。
でも、もう半分が人で無いなら。人で無いと決まってしまったら。私は何になったんだろうか。
歯を磨く時に見る鏡を見ても、映るのは今まで通りの私の姿。
…まだ、ヒトなのだろうか。
顕現できる霊力。この霊力が人と違う。鬼が顕現できる訳はないだろう一一一聞いたことがない。
ならこの力は。私は『何』。
思考の海に深けている間に、いつの間にか月を睨んでいたようで、私は眉根の皺を左手で解し、隣に立っていた剣勢を見た。
剣勢は赤い瞳を月へ向けたまま、夜風に髪を靡かせて、ボーッとしている。

「待たせたね、主」

歌仙に声を掛けられた。

「…待ってないよ」

私はゆっくり歌仙に顔を向けて微笑んだ。
「行こうか」と言って私は剣勢を突ついて立ち上がった。

「…あ、主…?」

歌仙が私を呼んだ。何か驚いているように見えた。

「ん?」
「…いや、……何でもないよ。さあ行こうか」

私は首を傾げつつ、何でもないなら…と歌仙の後ろをついて行き、敷居を跨いで中に入った。
二階に上がると、歌仙は廊下の障子窓を開ける。
月明かりが廊下に優しく差し込み、風がフワリと吹き込んだ。

「主。月を浴びるには、こうしておけば大丈夫かい?」
「うん、大丈夫。…ありがとう」

そして、歌仙は続けて大広間の障子もスス、と開けた。そして、壁際にあった電気を付ける。
明るくなった大広間には刀がずらりと並べられていた。中には折れているものも見受けられる。折れているものは風呂敷のような布の上に刃の破片と柄、鞘が纏めて置かれている。

「歌仙、ここの明かりは消してくれる?月の明かりが室内灯で相殺されてしまうから」
「ああ、すまない」
「いや、謝らないで」

ぱちり、と電気が消された。月明かりだけが光源となる。
私達はゆっくり部屋へ入る。並んでいる中の1番手前端に置かれた刀の前で私は正座をすると、それを掴んだ。
カタカタと震える刀。ぶわりと桜が舞い、現れたのは黒髪をゆったりと結った、赤いマフラーの刀剣男士。
彼は実体化した自分の体を確かめてから私を見た。

「俺…」
「初めまして、加州清光」
「新しく来た…主?」
「そう。一区切り着いたら、ちゃんと自己紹介するから、待ってて」

私はそう言うと正座のまま一つ横にずれて、加州の隣にあった刀を掴んだ。
刀が震え、桜吹雪が舞う。姿を現したのは新撰組の羽織を羽織った一つ縛りの男士。
キョロキョロと当たりを見回して状況を見ている。私と視線が合い、ぱちくりと瞬きひとつした。

「大和守安定、初めまして」
「え、新しい主?」
「そーらしいよ」

私が首ひとつ振って肯定すると加州が横から返事をした。

「自己紹介、ちゃんとするからちょっと待っててね」

私はそれだけ言うと、また並んでいる刀に向き直る。
次は脇差。堀川国広を手に取った。
力を込めると、カタカタと震えた。そしてぶわりと桜吹雪が舞い、人の姿をした堀川国広が現れた。

「あれ…僕…?え…あっ!兼さん!兼さんは!?」
「今直す、待ってて」
「な、直すって…」

堀川は私の言葉にたじろいだ。
私は安心させるように堀川に微笑むと、その隣りの折れた刀の刀身を破片ごと握った。
刃の破片が皮膚を破るが、月を浴びていることにより血が出る前に再生されている様で、血が滴る様子は無かった。
次第に刀がカタカタと震え始め桜吹雪と共に髪の長い長身の刀剣男士が姿を現した。

「初めまして。和泉守兼定」
「アンタ、何者だ…なんで折れたはずの俺が直ってる?」
「和泉守、主に失礼だ」

和泉守は訝しんだ。それを歌仙は窘めるが、私は手でそれを制した。直った刀剣男士は初見時、必ずこうなるという事は流石に私も学習した。
折れた和泉守を直した様子を見ていた加州達も、驚きと戸惑いに目を見開いている。

「私は刀剣を直せるから。それ以外に言い様がないんだ。まだ顕現するから、自己紹介は待ってね」

私は更に横に移動し、刀を掴んだ。
陸奥守吉行を顕現する。
新しい主だ、とだけ伝えて私は微笑んだ。
そして隣の刀を顕現させる。長曽祢虎徹だ。
もう私が言わなくても加州達が私を紹介している。
どれくらいの刀を顕現できるのだろうか、と思いながら、その隣の蜂須賀虎徹を掴んだ。顕現させた途端、目の前が一瞬暗くなり虚脱感が襲ってきた。一瞬手が止まる。
私は頭を振って、顕現したての刀剣男士達と歌仙と剣勢が見つめる中、もう1つの刀を手に取った。コレが顕現出来れば、この部屋に並んでる一列を顕現し終えたことになる。
……あと一息。
食いしばった歯の隙間から息を吐き、浦島虎徹を顕現させた。

「今日は、こんな所にしようか。……初めまして。此処の新しい審神者の薄氷です。こっちは剣勢。私が打った刀なんだ。元は鍛冶師でね、私は他の審神者と違って折れてる刀も顕現出来るみたい。夜の顕現でごめんね。今日はもう遅いから…皆、部屋で休んで。明日の朝、ゆっくり話をしよう。他の皆とも会って話すことも多いだろうから」

私はゆっくり口角を上げて正座のまま皆を見上げた。
…立てそうになかったからだ。
歌仙に「無理のない程度」と言われていたが、少し欲張りすぎたか。
顕現したての刀剣男士8振りが部屋から出ていくのを見送っている間もそのまま正座で背筋を伸ばしたまま耐える。歌仙が私の異変に気が付いたのか、鎮めた声でゆっくり「…主、」と呼ぶ。
私は振り向いて笑顔を取り繕った。

「……ちょっと、欲張りすぎたかな。疲れちゃった。肩貸して」
「無理をしないという約束だったろう?」
「…ごめん」

歌仙に肩を借りて、廊下へと這い出た。
月は明るい。薄雲もいつの間にか無くなっていた。
途端に雪でも降っているのかという程月光の粒が私に降り注いだ。
少しひんやりとする。夜風か、月の光か。
私が月を浴びている姿を見た歌仙は、驚いた様な顔をして恐る恐る小さな震える声で私を呼んだ。

「……主。……その、肌に浮き上がっているのは…鱗、なのかい?」
「……え?」

私は月に向けていた顔を歌仙に向けた。
何も言葉が出てこなかった。
鬼の姿になっている訳では…ない?
左手を顔の位置まで持ち上げた。
手の甲が銀色の、小さな鱗でキラキラとしている。

ぞわりと背中を駆け上がる寒気。
私は言い様のない恐怖に襲われた。

「わ、たし……。……か、せん、見ないで!…お願い…見ないで……お願い…、見ないで!!!」

私は左手で顔を覆い、力の入らない身体を力の限り動かし、ズル、ズル、と歌仙から距離を取る。
半狂乱となる私の背を剣勢はグッと押さえた。

「らい、らい……逃げちゃ、ダメだ…!」
「嫌だ、やだ!見るな!はやせ、退け…!…退いてっ……こんな醜い、姿……っ」

怖い、気持ち悪い、『人』じゃない。
呪いだ。これは呪い。
蛇の、呪いだ。

言葉を発しない歌仙。
剣勢は「逃げちゃダメ」「落ち着いて」と必死に宥める。

……剣勢だけじゃない。私も蛇になったんだ。

バサリ、と布をかけられて私はビクリとした。
恐る恐る顔を少し上げると、マントを着けていない歌仙。
歌仙のマントを掛けられたのだと分かるまで、狼狽えていた私には少し時間がかかった。
マントを掛けた彼は私から視線を外していて、「…大丈夫だ、主」と声を静かにかけた。

「見るなと言うなら、僕は見ない」

ピクリと私の手が動いた。

「これなら、マントに隠れて僕からは見えないだろう?」

こくり、と私は頷いていた。

「オレ、も。…オレは……らいの、作った刀、だから、夜、月の明るい、日は…蛇に…なる」

剣勢はポツリポツリと喋りだした。

「なんで、か、分からないけど…、らいから、離れれば、離れる、程、蛇…に、なる。その時、『らいの近くに行かなきゃ』って、身体が、勝手に動く。…傍に行くと…らいは、いつも、『ごめんね』って、言うんだ」

歌仙は黙って聞いていた。
夜、赤い蛇が私の傍にいる。必ずだ。
それが剣勢だと気付いたのは、霊山で私が刀を打ったあと直ぐだった。
夜になると蛇が刀を飾っていた部屋から出てきたのが始まりだった。
不思議と怖さはなく、直ぐに私が打った刀だと理解が出来た。
ああ、私が作るものには蛇の呪いが掛かるんだ、と何処か諦めていた。剣勢に申し訳なさも感じていた。
それが、自分自身も蛇だなんて、今日の今日まで思いもしなかった。
もしかしたら、片子の半分は鬼と蛇なのかもしれない。人ですらないのかも知れない。

「…………昔」

ややあって、私はボソリと喋った。

「蛇を殺したんだ。まだ、両親と暮らしてた幼かった頃。家に蛇が沢山出てさ……。家にひとりぼっちだっから、怖くて、手近にあった桑で必死に蛇の首を跳ねた。首を跳ねた蛇が1匹、私に噛み付いたんだ。毒が回って死にそうになった。両親が私の騒ぎを聞きつけて急いで帰ってきた。それで、血栓を持ってるって言う薬師の所まで行った。場所は住んでた所とは少し遠いところにあった霊山。でも薬師は鬼には薬を売ってくれなかった。それどころか、私の為に必死に頼んでいた両親は、その薬師に殺された。殺した刀は月山刀。養父が打った写しの刀だった。養父は丁度その場に居合わせていてさ。『俺の打った刀で人殺しをするとは』って薬師を切り殺した。養父は薬師の血栓を私に打ってくれた。その後、身寄りのない私を養父が引き取って、鍛冶師の養父と暮らした」

ゆっくり喋り始めた私は、坂を下る石のように、言葉が流れるように出てきた。
昔々の話だ。

「その、首を跳ねた蛇の呪いが……私の中にあるみたい。ずっと作ったものに呪いが移るんだって思ってたけど、私自身が蛇だとはね…思わなかったよ。やっぱり私は人じゃなかったんだ…」

噛み締めるように、私はそう言うと、マントを抱き寄せて俯いた。

「……これで、隠していることは何も無いよ。全部、話した。こんな私でも、審神者として…主として、家族として……皆の傍に居てもいいって、言ってくれますか」
「当たり前じゃないか。僕らは主の直向きさに、真剣に僕らと向き合ってくれることに、有難みを感じている。君が何者かなんて関係無い。此処の主は君だ。…此処に居続けて欲しい」

私は静かに涙を流した。

恵まれている。
恵まれすぎている。
こんな面妖な私を、認めて、居て欲しいと、言ってくれる人が居る。

歌仙の着物をそっと掴んだ。

「…ありがとう、歌仙」


落ち着きを取り戻した私は、歌仙を先頭に剣勢と階段をおり、誰にもすれ違わない様に歌仙のマントを被ったまま、暗い廊下を通って審神者部屋に戻った。
「おやすみ、主」と言った歌仙は自分の部屋へと帰っていった。
スっと襖が閉められた後、剣勢は私を振り返った。

「らい……大丈夫?」
「……うん。…私、まだ鱗ある?」
「…ない」
「そっか」

短い会話をして、私は部屋の縁側に出た。
月に体を向け、縁側に腰を下ろす。
剣勢は私のその行動をちらりと見て、私と自分の布団を黙って敷いている。
私の手には手触りの良い歌仙のマントが握られていた。

「…明日、返さなきゃ」

月に向かって呟いた言葉。

長い一日だった。12本の刀を顕現させた。
そして、私の事を全て話した。
明日はどんな一日になるのか。
私が何者か分からない不安と、歌仙達刀剣男士の思いに応えなければという使命感、そして、居場所を真に見つけた多幸感。
政府に無理矢理派遣されたが、此処は良い処だと思える様になった。
そんなことを思っていた途端だった。
ズクン、と右腕が痛くなり、私は息を詰めて右腕を強く掴んだ。

「っ……!」

心臓が右腕にあるような強い疼き。
鶴丸との試合で右腕を無理矢理使ったからか。
いや、その前に感覚が無くなっていた筈だ。
なんだ……何だこの痛みは。
ハラリ、と右袖から何かが零れた。
…赤黒い鱗が足元に落ちている。
私は恐る恐る右袖を捲りあげた。
肘から二の腕まで赤黒く変色が進んでおり、鱗がポロポロと少しの衝撃で落ちる。

「っ…ぁ……!」

何、何だ。何が起きている。
私は目を逸らすように袖を急いで下ろすと、アンダーシャツの袖をギュッと絞って結び、上から腕を押えた。
怖い。私の右腕はどうなっているんだ。
このまま右腕からどんどん私は崩れていくのか。
そもそも、切り落とされたあと、あの腕はどうなったんだ。
嫌な予感……まさか…、いやそんな訳はない。

『ほお、これはこれは……こんなに綺麗に作るとはな。…君は腕がいい。その腕、欲しいくらいだ』

いつか昔、刀の修復の依頼を受けた時に来た政府の役人が、飾っていた剣勢を見て言った言葉だった。
……本当に腕が欲しかったとしたら。
いや、当時から政府お抱えとなっていたし、あの言葉は可笑しい。
『腕が欲しい』一一一これが物理的なモノの意味であったなら。
政府が意図して時間遡行軍を私に仕向けたのは、私を殺して剣勢を実験に使うからでは無く、私の腕が目的、又は、私自身を捕らえようとしていたのが目的だったのだとしたら。
もう一度、襲ってくる可能性はゼロじゃない。
だから、代替わりに失敗した打ち捨てられた本丸……それもその後に来た折れた刀剣をそのままにする様な主のいた捨てられた本丸に、私を派遣したのだとしたら。
私が折れた刀を顕現出来ないと政府が思っていて、私自身が本丸の審神者として、此処の刀剣男士達に認められておらず、孤立すると考えていたとしたら。
そんな戦力のままならない本丸であれば、刀剣男士が多少居たとしても時間遡行軍でねじ伏せられると考えたとしたら。
私の中で、色んな糸が繋がり始めた。

……もう一度、襲ってくる。
霊力の強まった霊山をぶち破って来たんだ。私の結界なんてもの、簡単にぶち破ってくるだろう。
…今度こそ、両腕がもぎ取られる。殺される。

戦力を増やさなければ。
不味いことになる。

私は右腕を掴みながら空を睨んだ。

……だが、私の問題に此処の刀剣男士達を巻き込んでいいものか。


「……一一一らい、らい」
「……ん?」

私は思考の海から引き揚げられ、ゆっくり振り向いた。
布団は既に敷き終わっていた様だった。

「どうか、した?」
「……明日話す。もう寝よ」

腕はまだ疼く。
だが、まだこの事を話すべきか悩む。
仮説だけで確証が無いからだ。
兎に角、一晩考えることにした。

私は剣勢のいる布団に近付くと、赤い癖のある髪を撫でた。

「……明日、ちゃんと話すから」
「…約束、だよ」
「勿論。おやすみ、剣勢」
「…おやすみ」


…………………………
(20200626)
まあ、色々判明しましたが。
あとは坂を転がるだけ。


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