「…この前は、うちの連中が迷惑かけたな。」
「……あ、あんた…赤の、王…?」
公園のベンチに座っていた密果の少し間を開けた隣に、赤の王が腰掛けた。
オーラがすごい。目が怖い。百獣の王・ライオンみたい。
冷や汗を流しながら、密果は初めて見た赤いライオンの第一印象を頭の中で羅列した。
なんで数あるベンチの中から密果の隣を選ぶのか。
密果が緊張しながら口から煙草を離すが、ライオンは素知らぬ顔で煙草をふかしながら、ボーッと疎らに遊ぶ子供達を眺めている。
「あの…それ、言いに来たんですか。」
「いや、たまたまだ」
「はあ…そうですか…。」
沈黙が流れる。
隣をチラリと見るとスパーッとタバコを気持ちよく吸う赤の王。この緊張感で密果の煙草は吸えずにただただ火種は風に靡いて灰へと変わっていく。
「お前、ストレインか」
「なっ………」
密果は言葉に詰まった。
バレた。なぜバレたのか、密果には分からなかった。
「…隠してんなら、言わなくていい」
「…」
「アイツらにも隠してんのか」
「アイツら…?」
「八田と伏見」
ああ、と密果は合点がいった。伏見は元吠舞羅だ。赤の王が伏見を知ってて不思議は無い。
「2人には…教えてない」
「そうか」
「この事は…」
「言わねえよ」
「…どうも」
密果はひっそり溜息を吐いた。
ひとまず、と言った思いだった。
「…八田がお前を仲間に入れたいとか、よくほざいてる」
「…そうですか」
(…だろうな)
密果は再度溜息を吐いた。
「嫌なら断れ」
王は簡単に言ってのけた。
「断ってます!断ってますけど、八田がずっと呼んでるんです」
「あいつはズバ抜けて諦めが悪りぃ。分かってんだろ」
「分かってますよ。でも八田が何度誘おうが答えは変わりません。私は吠舞羅に入るなんて嫌です。…1人でいい。誰にも頼らない、そう決めてるんだ。」
「…頼らない、な。上等じゃねえの。そう決めたならそうすればいい」
赤の王は煙草を咥えたまま、フッ、と鼻で笑った。
「言われなくたって…」
密果は眉根にシワを寄せてライオンの顔を睨んだ。
「ただ、辛くなったら利用しろ。俺たちにゃ、てめえ1人くらい何ともねぇよ。頼るんじゃねえ、利用だ。必要なくなったらその場で捨てろ。それでいい」
「は…?」
密果は何を言われたか、一瞬分からなかった。
「うちにゃ、やたら世話を焼きたがる奴が多いんでな」
煙草を吸い終わった赤の王は、吸い殻を弾いて放り投げると、ボッと火を付けて消し去った。
ベンチから腰を上げて、両手をポケットに突っ込むと彼は公園から姿を消した。
吸い口まで灰になった煙草をやっと地面に擦り付けて鎮火した密果は、その後ろ姿を見つめるしかなかった。
呆気にとられていた密果の耳に、公園のフェンスの向こうから声が聞こえた。
「あ、いたいた。キング〜」
「尊さん!お待たせしてすんません!」
「いやー久しぶりに駄菓子屋さん行くと目移りしちゃって大変だったよ〜。アンナも楽しそうだったから良かった。ん?どうしたの、キング」
「ミコト…?」
「あ?……なんでもねぇよ」
声が完全に離れたのを待って、密果は溜息を吐くと、腰を上げて公園を去った。
◇
密果は夜を待って家を出た。
足を向けたのは鎮目町。
路地の裏を通り、とある店の近くで適当な男に変身した。
目的の店---BAR HOMRAに入る。
「いらっしゃいませ。…初めましてのお客様やな」
「どうも」
関西弁のマスターがサングラス越しに笑顔を見せた。
密果は「ああ、あの時の」と心の中で思った。
この前、“ジャマー”の時に密果の前に八田と共に立った吠舞羅のナンバー2だ。
密果はカウンターの隅に座った。
「何飲みます?」
関西弁訛りの敬語は、少し密果を苛立たせた。
余裕綽々と言った様子が彼女の琴線に触れたのだ。
「…ボナンザ」
密果は吐き捨てるようにカクテルを頼んだ。
あまり知られていないカクテルで少し困らせてやろうと思った。
「お!お客さん、タイミングがええなあ。年代物のアイスヴァインが入ったばっかりやねん。ええ時に来はったな。待っとき、今作ったるさかい」
(…知ってたか。---…アイスヴァイン…それはそれでラッキーだけど)
アイスヴァイン。プレディカーツヴァイン(肩書付き上質ワイン)の糖度によって位が分かれ、プレディカーツヴァインの中ではアイスヴァインは最高位のワインだ。
戦時中、ドイツに行っていた事のある祖母のお気に入りだった。祖母がほろ酔いになると、お茶目な笑顔で「内緒よ?」と言っては、少女時代の密果に少し飲ませてくれていた。
甘いぶどうジュースのようで、密果の口にとても合った。
「…タバコは?マスター」
「ええよ」
店内は煙草の匂いがしたが、密果は一応、断ってから煙草を咥えた。
ライターを探していたら、ジッポーがぬっと出てきた。煙草を差し出し、火を貰う。
サングラスの男は音を出さずに灰皿を密果の前に置くと、カクテル作りに戻った。
「ドイツ好きなんか?お客さん」
「まあまあ。母がドイツ人のハーフなんで」
「じゃあ、お客さんクオーターなん?」
「…まあ、そんなとこ」
1本目が吸い終わって、2本目に火をつけたところで、コトリ、とカウンターに置かれた琥珀色の飲み物。
煙草から口を離すと、それを受け取って、一口飲んだ。
ん、とグラスから口を離した。
(…美味い)
ワインの芳醇な味わいが死んでない。ブランデーのまろやかさが口に広がって、シェリーの風味もちゃんとある。
マスターの顔を見上げたら、サングラスの向こうでにっこり笑った顔がこっちを向き、煙草を咥えている。
自前のジッポーで火をつけて美味そうに紫煙を吐いた。
密果は無言でグラスを傾ける。
「お客さんの口に合ったようで、作った甲斐あるわ」
「…は?」
密果は怪訝な顔をして、ほぼ中身が空になったグラスから口を離した。
マスターは煙草から口を離し、腕を組んで遠くを見ながら、口を開く。
「お得意さんが特殊な舌の持ち主でなぁ…。バーテンダー泣かせやねん」
「あ、そう…」
「カクテルに餡子入れんねんで、餡子。ソルティードッグのソルトを餡子や」
「それは、また、なんつーか」
なんだか、このマスターが少し可哀想になってきてしまった。
「せやろ?ホンマ、あの味覚は横暴や…。それに比べて、まともなカクテルを…お客さんヘビースモーカーやと思うけど、そんな人が煙草吸うのを忘れるくらい飲んでくれるんやもん。今日はええ日や」
「…あ、そ」
空になったグラスをカウンターに置くと、密果は煙草の続きを吸い始めた。
グラスの中で一滴残ったボナンザをグラスを傾けて回す。
「…近所に住んでるメスの猫、今な、気になっとってなー」
マスターは突然話し始めた。
「キレーな毛並みしてるんやけど、人を寄せ付けないような態度で、なかなか懐いてくれへんくて。仲間がよく会うんやけど、最初は近寄ってくれるんやて。でも、少し話をするとすぐ逃げてくって、言っててなぁ。その子大丈夫なんやろか…って心配しとんねん。この前大怪我したんやけど、どないなったか…病院行ったんやろか…」
「…」
(…人のこと猫呼ばわりすんじゃねえよ、気色悪ィな)
チラリと腕時計を見たら、そろそろ潮時だった。
煙草をグシャリと灰皿に押しつけ、財布から取り出した金をカウンターに置いた。
「…お暇します。御馳走様」
「どうも。……って、多いで。コレ」
「チップだと思ってください」
「せやかて…」
「…じゃ」
カラン、とドアベルを鳴らして密果は店を後にした。
路地に入って、煙が密果を包む。
ハァー、と溜息を吐いて密果は夜色の髪をガシガシと掻き毟った。
(……吠舞羅には関わらない。こんなの、調子狂う…)
路地裏で頭を抱える。
赤の王に「利用しろ」と言われたから内偵ついでに飲みに来てみたが、調子が狂っただけだった。
吠舞羅とは反りが合わない。
…こんなとこで八田は過ごしてる。
…伏見も短いながら居た所。
少しは期待したのだが。
やはり虫唾が走った。こんな甘ったるい人間のいる所は自分には合わない。「利用しろ」と言われても、無理だ。
「…なんなんだよ、もう……」
凍ったぶどうは簡単には甘くならない。