「雪なんて見たこと無かった」
 微かに俯きがちに、はにかむ。その仕草を追うように長い前髪がすっと流れた。仄暗く濁る空に透けた髪の色は、褪せた若草のようにも見える。
「ずっとあの部屋にいたから。…解放を訴えて外を歩き回るようになるまで、知らなかった。知識も与えられなかった」
思い返すのは虚しい晴天。鮮やかな単色が塗りたくられた壁に、白く薄っぺらな雲が規則正しく配列される。箱に収められた彼にとって、あれだけが全ての天気だった。
「氷タイプのトモダチだって、ゲーチスに連れられて会ったから…本来はどこに住んでいるかとか聞いたことはあっても、理解は出来なかった」
「……うん」
「雪なんて、単語としてしか知らなかった。冷えた空気とか、空とか、降ってくる雪の感触とかは、ここに今日来なければ、知らなかった。それに…単語に意味なんて無いとも、知らなかったのかな」
小さく首を振る。言葉を切るときの、思いの丈を顕にするときの、彼の癖だ。
「僕は改めて思い知ったよ。僕は何にも、知らないんだと」
「……そんなこと、ないよ」
「知らないんだ」
雪の中でもくるくると舞い躍り、流れる調べ。龍の伝説を謳う町は白く冷たい季節に覆われている。彼方に見える塔を見上げるように、Nは顔をあげた。
「だったら、これから知っていけばいいよ」
トウヤはその横顔に微笑む。力強い後押しではない。根拠を持った助言でもない。けれど、慈しみだけは含ませることが出来る。どうしたら出来るのかを学んでいたし知っていた。さらりと重みを持たない粉雪のような調子は、するりと胸の内に溶けてゆける。Nのそこにも、トウヤの結晶は丁寧に馴染んだ。
「そうかな…間に合うかな」
「遅すぎるなんてことは、ないと思うよ」
Nは冷えてしまった唇を小さく綻ばせた。
「ありがとう。そうだったら嬉しい」
「うん、うん……。そう、あの歌はね、双子の英雄を唄っているんだって」
「レシラムとゼクロム」
「そう」とトウヤは頷く。Nの手はトウヤの腕を引いた。
「じゃあ、あの風車は」
「うん、あれは風を……N、近くまで見に行こう。自分から知らなくちゃ」
「そうだね、あぁトウヤ、早く行こう」
頷くや否や、ひょいっと高らかに跳ねるシキジカのようにNは駆ける。積もった雪に足跡を重ねる。トウヤは慌ててその後を追った。
「ねぇ知ってる?N」
 顔を赤くしながら、小さく足を踏み出した。前へと勇むNの袖を掴まえる。「なにを?」と首を傾げたNは、嬉しそうだ。知らないことがあるのが嬉しいのかも知れない。初めてみるものがたくさんあるのは、幸せだ。
それを一人ではなく、二人でなぞってゆけたら。それはとても、幸せだね。そうトウヤは願った。差し出した指先から伝わることを祈った。
「寒い冬で冷えた手は、人の温もりを重ねあって溶かすんだよ」





残らず花咲く





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