捨てたいものなんていくらでもあった。
目を通して署名を繰り返さなければならない山のような書類。頭の痛くなるような案件を討論するための会議予定や、面会のスケジュール。堅苦しい礼服やそれに誂えるための愛想笑いは強張って、とても身に付けていられるものではない。髭を生い茂らせる老害と交わす社交辞令の種類は数えきれず蓄えなければ後々面倒になる。――必要不可欠だと納得しようとするけれど、勿論、納得できない。どう考えても、どれもこれもポケモンバトルにはいらないものばかり。いらない、邪魔。捨ててしまいたいものばかりだ!
リーグチャンピオンとは言ってもやることは管理職のよう。であるのに、単身切り込みも厭わぬ心構えがなければやっていられない環境。何を言うかそれもチャンピオンの職務、大人の責任だ。お偉い人々はそう宣った。それこそ詭弁だ。
「これ、捨てていいの」
 執務室のソファにおとなしく沈んでいたはずの少年は、いつの間にやら目を覚ましていたらしい。気づけば職務用机に手をついて、物色にふけっている。インクを切らしたペンやポケモン治療薬の新作サンプル、文献の散乱した卓上。レッドはその中でも、端に重ねられていた書類をぺらぺらと捲っていた。いらないものだろうとばかりにおざなりに扱うその手つきと書類の様子に、俺は慌てた。
「え?あぁ駄目だよ!」
少し離れた本棚から厚い辞典を数冊引き出したばかりだったので彼に直接手が届かない。声を張り上げることで代替とした。
「それは今週末の定例会議に使う書類なんだ!そのままその机の上に置いといてもらえるかな!」
「ふぅん」
「悪いねろくに構えなくて、会議前で…もう少し待っていてくれるかい」
レッドは感情の伺いづらい表情で、首を少しだけ横に倒した。
シロガネ山に野宿する彼は、時々こうしてセキエイリーグに足を運ぶ。シロガネ山はセキエイリーグの管理下であるため、その環境や状態は維持されなければならない。シロガネ山に籠ることを許されているレッドは、その代わりに山に関する現状報告を義務とされているのだ。
しかし彼は以外ながら、報告をしてハイさようならと帰るのではなかった。責任者である俺にぽつぽつと現状を告げた後も、このチャンピオン用の執務室に留まる。何でもバトルがしたいから、とのこと。俺と彼とは数年前の時点で実力が判明してしまっている。だが、そんなものは常に流動するものだと。だからその確認に、定期的にバトルをしよう。いやはや彼らしい話だ。最初は驚きはしたものの俺も彼とバトルをするのは好きだから、断る理由がない。いつも報告が終わると、彼とバトルをするのが定例だった。
しかし今日はそういかなかった。報告にやってきたタイミングが悪かったのか、俺のスケジュールが悪かったのか…週末にそこそこ重要な会議を予定している時に、彼はやってきた。忙しそうなら帰るけど?と彼は平坦な声で言ったが、無下に帰らせるには互いにもったいないと思った。それで、一段落がつくまで待ってもらうことにしたのだ。レッドもやはりバトルはしたかったのか、「じゃあ寝てるから起こして」と言ってソファに横になった。俺は彼が眠っている間に、早く片付けてしまうつもりだった。少し時間をかければ、片付くはずだった。
はずだった。
「ね、知ってる?」
問いかける声の調子に再度振り替えると、レッドは書類を手にしたままゆっくりと歩いていた。
「毒タイプには、こんな技があるんだってさ」
レッドの歩が止まる。止まったのは、机より少し奥の部屋の隅。そんなところに何の用だろう、何かあっただろうかと考える。あぁあった。そう確かそこには、ファックスとコピー機とそれと――、
まさか。
「ちょっと待つんだレッ」
「ダストシュート!」
止める間もなかった。
部屋の隅にあるのは電子機器。ファックスとコピー機と、シュレッダー。どれも業務用の優れもの。レッドは手に持っていた書類の束を、シュレッダーに躊躇なく押し込んだ。ガガガガ!鈍い機械音が上がる。大作のハードカバー一冊分はあろうかという紙の束を、業務用シュレッダーは多少無理をしながらも飲み込んでいく。やがてほんの十秒余りで、書類は機械の中へ消え去ってしまった。取り返しのつかないミンチに切り刻まれて、だ。
唖然とした後、俺のとった行動はひとつ。
悲嘆に暮れるしかなかった。
「あぁ…レッド、君は…なんてことを…」
打ち込んだ万単位の文字列。刷り込まれたインクに紙の山は、全て戻らない。完全にゴミにされた。何てことだあれを作るのにどれだけかかったと思っているんだ君は。口煩い理事や関係者に面倒なことをされないように、汗水流して丁寧にかつ素早く仕上げたというのに。やりきれない思いは勿論、原因をつくった少年に向かった。
「どうしてそんなことをしたのかな君は」
「ゴミは捨てないと」
「ゴミとは何だ、あれは俺が徹夜までして仕上げた書類で…」
「……それが?」
「は?」
耳を疑った。
「君は今なんて言った」
「徹夜してつくった書類が何だ、と」
レッドはつかつかとこちらに歩み寄る。下から覗き込んでくる瞳の色は赤。その中に浮かぶ感情はひとつきりで、紛れもない闘争心、だった。
「バトルにいらないものは、ゴミだ」
そして言い放つその顔はしれっとしたものだった。
「ワタルはチャンピオン、ポケモンバトルするための人間。あんな書類無くてもバトルは出来るよ」

捨てたいものは捨ててしまえばいい。そうだろ。
言い放つその感情の揺るがない顔。あぁそれはまさに、俺が敗北した、少年のものだ。バトルがしたい。それだけの理由でここに留まっている彼にとって、その他のものなんて燃えるものか燃えないものか程度の意味しかないのだろう。
「……さ、バトル」
「はぁ……仕方ないな、君は。」
「うん。……仕方ないから、バトルが終わったら書類を手伝うよ」
「それはありがたいね」
「…どういたしまして」
帽子をかぶって部屋を出ていく少年の背を見てため息をついた。バトルルームの鍵は俺が持っているのに、彼が先に行ってどうするつもりなのだろう。
まぁ、しかし。捨てたいものは捨てる方がすっきりするのは、間違ってはいないかもなんて、思ったりした。おかげで根を詰めていた神経が、少し晴れたような気がする。
 定例の約束を果たしたら、残っている仕事は彼にたっぷりと手伝ってもらうとしよう。あれよりももっと良い資料を作るため、尽力してもらわなければ。必要のないゴミは、そう称した当の彼が捨ててしまったのだから。責任はとってもらわなければならない。
さてとりあえずは、バトルだ。





燃えるもの





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