「わたくしに着付けを教えてほしい、と?」
萌木色の振袖口をひらりと小さく翻し、まぁ、と上品に口許を押さえた。ほのかに目を見開く彼女は、タマムシシティジムリーダーのエリカ。自他共に認める、優雅でおしとやかなお嬢様だ。その振舞いのひとつひとつはどれをとっても作法の模範を示すように美しい。驚いたと表す態度までもが、寸分違わず図られたように丁寧である。
「………うん」
それに小さく頷いたのは、神妙な顔つきをしたレッドだった。正座した膝の上にトレードマークの赤い帽子を乗せて、背筋をぴしっと伸ばしている。
彼にとって正座という在り方は不馴れなものだったが、そうせざるを得ない。レッドが今座しているのはエリカの自宅。それも大宴会でも開けそうな広さを誇る畳の間に、二人きりなのだ。自然と緊張も走るというものである。
「わたくし驚きましたわ…なぜ、とつぜんそのようなことを?」
エリカが驚くのも無理はない。レッドから突然連絡があったかと思えば、対面して即座に持ちかけられた相談が相談である。
自分で着られるように浴衣の着付けを教えてほしい。
雪山でも半袖で暮らすともっぱらの噂であるレッドからの相談だとは、俄に鵜呑みに出来ないほどの相談だった。
「……今週末、ジョウトでお祭りがあるんだって」
「まぁ、そのお祭りはわたくしも存じておりますわ!確か、エンジュシティで催されるのでしたわよね?伝説のポケモンの伝承を再現するとか」
「そう、それ」
肯定するようにこくこくとレッドは頷く。
「それに行くんだ」
「まぁ」
「その……グリーンと」
「まぁ!」
エリカはぱちんと小さく両手を鳴らした。
「それはそれは……デートですわね」
嬉しげに綻ぶ顔色は、恋の話に色めき立つ乙女そのものだった。まぁまぁ!と弾む声色に、レッドは慌てて首を横に振る。
「ちがっ……!」
だが、シロガネ山が頂点の顔はどこへやら。レッドの面から日頃の冷えたポーカーフェイスはすっかり消え去り、その白い肌は照れからの紅潮に赤く染まっている。言うまでもなく図星だった。
「いいんですのよ、照れなくて」
「ちがうって……」
真っ赤な顔で否定されても説得力はない。
そしてはたとエリカは気づいた。
「……あぁ、それで。納得いきましたわ。お祭りに浴衣を着ていこうというわけですわね?だからわたくしに着付けを教わろうと」
「……うん」
エリカは目を眇め、おっとりと微笑んだ。
「承りましたわ、喜んでお手伝いいたします」
照れ隠しのためか伏し目がちだったレッドが、はっと弾かれたようにエリカを見る。いいの?と疑い半分、期待半分。赤い両眸には多彩を含んだきらめきが灯っている。頼んだ身ではあるがレッドとしては正直なところ、唐突なこの頼みを受けてもらえる可能性は低いと思っていたのだ。風来坊というか自由人そのままな自分と違い彼女は多忙な職に就いているから、断られても仕方ないと。
その視線を受けてエリカはくすりと笑う。「こんなに嬉しいことを、無下に致したりなんてしません」と小鳥が歌うように楽しげに言った。
「…嬉しい?」
「えぇ、嬉しいですわ。だってレッドさんが、やっとお年頃なお話をなさっているんですもの」
エリカはそう言うと、すっと音もなく立ち上がる。
「……?」
「ほら、レッドさんもお立ちになってくださいな」
「……うん?」
レッドは首を傾げながら従って立ち上がる。エリカはそれを確認すると、広い畳の間を奥まで進んだ。
部屋の隅に並んでいた檜箪笥を引く。その中から幾つかの布を取り出す。首を捻るレッドに、エリカは「さぁ」と示した。
「お好きなものをお選びくださいな」
色とりどりの布かと思われたそれは、きちんと仕舞われていた浴衣だった。
「え…」
「どれがいいでしょう…やはりレッドさんには、赤がお似合いかしら。これなんて如何?」
エリカは手にとってあれはこれはとレッドに見せる。好きな色はどれかと尋ねては引出しを開いた。
次々に広げられていく浴衣の山に、レッドは驚きながらも丁重に身を引いてみる。
「借りるなんて、悪い」
エリカは予想外の言葉を耳にしたとばかりに
「あら、お貸しするだなんてそんな。差し上げますわ」
「そんな、」
レッドは尚更悪いと首を振る。
「遠慮なさらないで。言いましたでしょう、わたくし嬉しいのですわ。レッドさんからデートのご相談を頂けるなんて」
レッドを見るエリカの瞳には、懐かしい、いたわり、といったようなぬくもりのようなものがこもっていた。
「レッドさん、初めてお会いしたときはもう少し元気でしたわ。なのに最近は随分とお静かなようで…。以前のように色々なところを飛び回る方が、きっとレッドさんらしくていらっしゃるんじゃないかしらとわたくしは思うんです。ですから、折角のグリーンさんとのお出かけにはりきっているお姿を見るのは、嬉しいんですのよ。」
せっかくお美しくていらっしゃるのだから、もっと楽しまなくては勿体ありませんわ。エリカは悪戯っぽく口を綻ばせた。
レッドは暫く視線を泳がせる。そして小さく、ありがとうとだけ言った。



***



 グリーンには「ちょっと先に行っていて」と言っておいた。ジョウトが地元であるコトネやゴールドの助力あって、着替えの場所は確保できた。
あれからエリカには何度も手伝ってもらって、何とか一人で着られるようになった。教わったばかりの頃は帯を結ぶというそれだけの動作にいたく手こずった。けれど、慣れれば何でもないことだとエリカの言っていた通り、手際を覚えればなんとかなるものだとレッドは安心した。
 グリーンには浴衣を着ることを内緒にしていた。驚かせたかったし、何となく先に言うのは恥ずかしいのもあったので。……驚くかな。似合わなかったらどうしよう。似合うと言ってくれたら、いい。どきどきという心音に合わせて、緊張と考えは勝手にめぐった。
カラカラと草履を鳴らしながらエンジュの路を歩く。ちらちらと通りの硝子を目にしては、身なりを整えたりした。赤い浴衣はエリカが見立ててくれたもので、落ち着いた色合いだけれど鮮やかだ。
やがて進むほどに祭囃子が高らかに辺りを包み始める。人影も増えて、提灯の橙の灯りがやわらかくまばゆくなる。
 そのざわめく祭りの波の少し手前に、グリーンが見えた。足音に気づいたらしく、待ちくたびれたぞと言いたげな顔でこちらに視線を向ける。
焦点がレッドに結ばれる。
途端にグリーンの顔色は、みるみる内に提灯と似た色に変わっていく。
「レッ……え、うそ、おまえそれ」
レッドはその声がひっくり返っているのを確認して、思わず小さく笑った。――そして、そちらに向かって軽く駆け出していった。





橙に似た感情





110207
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