コレの続き



 二人でベッドに潜り込んだ夜明け。先に目を覚ますのは、決まってレッドだった。
小さい頃にお泊まりをした時からそうだった。大きくなってからこうして後ろめたい朝を迎える時も変わらない。グリーンと眠った朝はなぜか、必ずレッドが先に起きてしまう。多分、一人っ子で育ち、今も一人で生活するサイクルの中で、誰かが就寝を共にするのは落ち着かないからかもしれない。グリーンと一緒に眠る時の睡眠は必ず非常に浅いものだった。
でも、レッドはそれをグリーンには秘密にしている。
かつて一度、先に目を開いているのを見られてしまった時があった。その日グリーンはずっとぶすくれた顔をしていた。レッドはなぜグリーンが不機嫌になったのかよく理解できなかった。けれど、何となく察しはつけた。プライドの高い彼には何か思うところがあったのだろう、と。
それ以来レッドは、意識は覚醒していても目を開いたりしないことにした。先に起きた何だで毎回もめるのは馬鹿馬鹿しい。ならば寝たフリを決め込んでしまうのがいい。目が覚めてしまっても、ベッドの上で何時間か瞼を瞑り息を潜める。グリーンの静かな寝息と窓の外の自然のざわめきだけを耳にして待つ。そうしているとやがてカーテンの隙間から鋭い朝日が差し込んで、それを切っ掛けにグリーンが目覚める。そしてすっかり頭を覚醒させたグリーンがいつもの得意気な調子で俺を起こすまで、レッドは眠るフリを続ける。それが、誰に言われたでもない自戒だった。
 けれど今朝のレッドには、そうしてグリーンを待つ余裕が無かった。
そっと上半身を起こし、すぐ隣で眠るグリーンを確認する。瞼はしっかりと閉じられ心地よそうに睡眠に浸っている寝顔、まだ目を覚ましそうにはない。
布団をゆっくりと捲る。小さく軋むベッドの上を極力ゆっくりと這い進む。グリーンを起こさないようにしてベッドを抜け出られてひと安心した。ふっと溜め息を吐く。
とりあえず昨晩脱ぎ捨てられたままのジーンズのみを拾って履く。これもまたグリーンに気づかれないように気を付けながらドアノブを捻って、――グリーンの部屋を出た。



 足音を殺して階段を下り、廊下を渡る。静かに緩慢な足取りで、洗面台にたどり着いた。途端、堪えていたものが限界に達した。
背筋を悪寒が走る。全身が気だるく弛緩して、両手を洗面台の縁にかけなければ跪いてしまいそうだった。
喉の辺りに熱と吐き気が込み上げる。
「うぅ、……っあ゛」
レッドは耐えきれず、洗面台へ顔を埋め、嘔吐した。
胃に収まっていたはずの全てが食道を逆流して口から流れていく。昨晩夕食に食べたものは何だっただろうかと思い出せないほど、醜くドロドロと分解された流動体。バシャバシャと水音を立てて、吐瀉物が洗面台に汚れを作る。ツンと鼻を吐く胃液の臭いが、尚更吐き気を煽った。
「ハァッ……ゲホッ、!」
生理的な涙が滲むどころか溢れる頃。吐き出すものが胃液も何も無くなって、レッドはやっと嘔吐を止められた。
一先ず両手で水道水をすくって、口を漱ぐ。けれど吐き気は収まらない。胃の辺りから気持ちの悪い寒気が上る。レッドは裸の腹をきつく押さえて、俯いたまま荒い呼吸を繰り返す。
 ――レッドが吐き気を催すようになったのは、最近のことではない。暫く前からのことだった。グリーンと交わるようになってから、だった。二人の関係の名称は同性愛。けれどグリーンは頻繁に女の子と遊ぶ。されど一応、両思い。そうなってからのレッドは、必死だった。
愛してる大好きだよ気持ちいい。
本音の中に嘘を飲み込んで、レッドは身を削るようにグリーンとセックスをした。自分に押し付けられる性器に染み付いているだろう女の唾液も愛液のことも知っている。それでもグリーンを好きだと思う気持ちは紛れもない本物だ。だからレッドは耐えてきたし、隠していようと思った。かつて見知らぬ男に犯されたあの悪夢は、隠し通しさなければならなかった。
けれどそうして心を圧し殺そうとしても、身体は正直だ。何度も夢にみるよう強姦のトラウマは、特にグリーンに組み敷かれた夜に鮮烈に蘇る。男と精通するという事象が引き金なのだろう。グリーンよりも早く目を覚ます朝、レッドは悪夢から目覚めても必死に悲鳴を飲み込んだ。内臓を貫かれるあの痛みが再発したように吐き気が込み上げても、生唾を飲んでひたすらに気を紛らわした。
隠したかった。グリーンに、知られたくはなかった。何を?シロガネ山で犯された何もかも。知られたら、きっと関係は即座に終わってしまうのだ。
 そう思ってレッドは今まで我慢してきたというのに。今日は、限界だった。今までは何とかやり過ごしてきた吐き気を、抑えきれなかった。もう、限界なのかもしれない。寒気に震えながら赤い瞳はぼんやりと思った。
その時だった。

「―――レッド?」

背後から突然呼ばれた声。すっかり聞き覚えのあるそれに、レッドはゆっくりと顔をあげる。
正面に佇む鏡には自分と、その少し離れた背後に立つグリーンが、映っていた。
「……グリー、ン」
レッドとは違い上下に衣服を身に付けているグリーンは、鏡越しにレッドを見つめている。
「どうしたレッド、お前が先に起きてるなんて珍しい」
「……う、ん」
レッドはグリーンを振り向き、頷く。しかしグリーンはレッドと正面に向き直った途端、いぶかしむように眉をひそめた。
「なんかレッド、顔色悪くないか」
「……え、」
「大体この臭い…お前、吐いてたのか」
グリーンが鼻の辺りを手で軽く覆う。レッドは内心しまったと焦った。汚れた洗面台は水で洗い流したものの、洗面場に漂う臭いまでは処理できなかった。
「……吐いてなんか、」
「嘘つけ、そんな真っ青な顔で言われても説得力ねーよ!どうした、具合悪いのか」
グリーンはつかつかと歩み寄る。洗面台に凭れ掛かるレッドの支えになっていた片腕を掴もうとした。
「っ!」
レッドはその手を振り払った。
「は?」
「あ………」
意味が分からないといった顔のグリーン。目を見開き、自分に動揺した様子のレッド。
暫し呆然とした後、先に正気に直ったのはグリーンだった。
「………何、どういうつもりだよレッド」
グリーンは苛立だしげに言う。気遣ってした行為を汚いものにでも触れるかのように退けられて、不満が膨れていた。
「こっちはお前のこと心配して言ってんのに、何なんだよ。なぁ、どういうつもりだ?」
「……ぁ、や、」
レッドは答えに窮した。振り払うつもりなんてなかった。心配ないと平静を取り繕うつもりだったのに。――触れられた瞬間、怖い、と思ってしまった。グリーンが心配してくれたら嬉しいはずなのに、その手に触れられたくないと反射してしまった自分をレッドは驚きと悲しみで傍観した。
もう限界かもしれない。
―もう、限界なのだろう。
「…グリーン」
何だよと言いたげに視線を寄越すグリーンに、レッドは応えない。足元に視線を落としたままで。レッドは喉の奥から、小さく鳴くように、言った。
「別れよう」
閉められた蛇口から落ちる水滴よりも小さく響く声は、けれど互いの鼓膜をしっかりと揺らした。鼓膜だけでなく、心を嫌な風に揺らすほど。
二人の顔は一層血の気を無くしていた。勿論、互いに気づかないままに。





110111
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -