「ふたりぼっちという言葉がこれほど似合う存在を俺は知らないよ。」

手慰みにか、地面に生えた名前も分からない花をひとつむしる。細く頼りな茎に支えられた白い小さな花。朱色の瞳はその花を見つめて、歪む。彼はそのまま、その花を握りつぶしてしまった。小さな悲鳴さえ立てずにもみ消される儚い命。代わりに浮かんできたのは、少年の微笑みだった。そのファイアの微笑みを幸福と呼ぶのなら――向かいで佇むレッドの沈黙は、困惑と言える。

「………誰に、似合うの」
「決まってる、俺とレッドにだよ」

そう言ってファイアは花弁をぶちまける。粉々に千切れた花弁をレッドに振りかけて笑う。

「ひとりじゃない」

「ふたりなんだ」

「でも、だから、寂しいね」

レッドの細い肩には花弁が縋っている。ファイアがもぎ取って砕いてしまった小さな命。それはマサラの町に咲いていた、名前も知らないようなか弱い花。レッドは戸惑うように目を僅かに細める。肩に付いた花をひそかに哀れんだように見やって、ファイアを見据えては怪訝そうに目を細めた。

「………知らない」

レッドは首を振る。

「ひとりとか……そういうのは、俺にはわからない」
「へぇ、そう。レッドにはわからないんだ」
「………」
「……じゃあさ、こうしなよ」

ファイアはにっこりと微笑む。立ち竦んでいるレッドの手を握った。

「レッドはリーグを制覇したね、ならすることは特にないんだろ」
「………」
「だったら、シロガネ山に行きなよ」
「………シロガネ山」
「うん」

ファイアはレッドの手をぐいぐいと引いた。開けたマサラの土地からは辺りが軽く一望出来る。マサラの中でもまた比較的建物の少ない所へ立ち止まったファイアの隣に、レッドもまた立ち止まる。ファイアが「ほら」と指差した彼方をつられて見れば、そこには聳え立つ山があった。赤い目に映り込んだのは、ポケモンリーグに隣接――否、ポケモンリーグを抱くようにしてそこにあるシロガネ山。その山肌は年間を通しても消えない雪化粧に覆われている。見上げようとした頂は立ち込める厚い雲の中へ突き刺し込まれていた。

「一般人立ち入り禁止の危険な区域シロガネ山。強い野生のポケモンがたくさんいるからね、うっかり踏み入れたら自殺みたいなものだ。でもレッドは大丈夫、あそこに行けばいいよ」
「………」
「リーグ制覇したら、一般人じゃないんだ。レッドはシロガネ山に行っても許されるんだよ」
「………そうなの」
「することがないなら、シロガネ山に籠るといいよ。あそこは環境もポケモンも険しい。きっとレッドの修練に繋がるよ。」

それにね、とファイアはレッドの方を向く。

「あそこにいたら、きっと分かる」
「……何を」
「俺が言ったこと」

ファイアはそれきり口を弧を描くだけに留めた。確かにレッドにはすることがなかった。リーグを制覇してしまった今、特にこれと言った目標がない。ならファイアが言うように、シロガネ山に行ってみるのもいいかもしれない。レッドはぼんやりと思った。当て所ない日々を思い描けばそれは輪廻のようであったから、極みを求めて磨きを続けるのは中々いいかもしれないと考えたのだ。
思い立てば行動は早い。レッドはライバルであった幼馴染みはおろか母親にさえ告げずに、シロガネ山へと旅立った。




 それから何年か経って、レッドはシロガネ山を降りてきた。シロガネ山へ旅立った時と同じように、また誰に言うでもなく戻ってきた。誰もが一切の消息を断っていた少年の帰還に驚いたが、そんなことはレッドに関係なかった。
レッドはマサラの町を歩いていく。程なくしてたどり着いたとある小さな草原には、ファイアがいた。その足元には覚えのある小さな花が咲いている。ファイアはその白い花を幾つか摘んで、笑った。

「お帰りレッド、久しぶりだね。何年ぶり?」
「………」
「ちょっと大きくなった?見ない間に綺麗になったんじゃない?」
「……」
「ね、シロガネ山はどうだった?」
「…ファイア」

レッドはつかつかとファイアへ歩み寄る。そして雪のように白い腕を伸ばし、迷うことなくしっかりとファイアに抱き着いた。

「ね、レッド、」
「………わかった」

大して身長の変わらないファイアの首筋へ、レッドは顔を埋める。ファイアは笑ったままでレッドの身体に手を回した。

「わかったの?何を?」
「………ゴールドとか、コトネとかがたまに来た。ピカチュウ達もいつもいた。」
「うん」
「………けど、違う」
「そうだね」

「俺じゃないと、だめ」

誰がいても何かが違った。隣にいても寒いと思った。暖かくても心地よくはなかった。全部クリアーして手に入ったはずなのに、何かが物足りなかった。シロガネ山で過ごした歳月は、レッドに何らかの空洞を自覚させた。そしてレッドはその寂しさの拠り所を知って、戻ってきた。
抱き着いたきり放そうとしないレッド。その艶やかな髪にファイアは頬を寄せて囁いた。

「言ったでしょ、ふたりぼっちだからさ、ひとりじゃないけど、寂しいって」
「………うん」
「ひとりぼっちよりも寂しいね。俺がいなきゃレッドはだめだよ。俺もレッドがいなきゃだめだ」

ファイアはそこではは、と声を出して笑った。レッドがそれに小さく顔を上げると、そこには――花弁が散っている。いつかファイアが無惨に千切ったのと同じ、白い小さな花弁。それは力なく揺らめいて、レッドの肩に乗った。レッドはそれを一瞥して、――しただけだった。その瞳に哀れみとか言った感情は反映されない。

「行こう」

ファイアはまるで散歩に誘うように、決戦へ向かうように、旅立つように誘う。レッドはそれに返事をしないで、ただ隣に寄り添うように歩み出した。
その肩に乗っていた千切れた花弁は仄かに舞って、シロガネ山を呼吸する雪風に吸い込まれていった。





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