「そういえば今日は七夕だな」
ふと思い出した季節の行事を口にする。
俺達は多分、恋人同士というやつだ。故に俺は山へ引き籠もるという偉業なレッドへ、甲斐甲斐しく食料を運んでいく。遠路遥々、空を飛んで向かうことも出来ない、一般のトレーナーならば遭難を免れない道をだ。それなのに、事務的に終わってしまうのはつまらない。だからこの話題は、レッドのねぐらである洞窟に居座る上での、ほんの世間話のひとつのつもりだった。まぁシロガネ山の亡霊とまで称される、浮世離れした無口なこいつのことだ。異国の伝承に基づくような恋物語に、返事があるとは思わなかった。
案の定沈黙が落ちる。そこで俺は手元のバーナーの火を止めた。持参してきたインスタントコーヒーを準備する。ミルクと砂糖も一緒に「ほら」とマグを手渡す。そこでレッドから返ってきたのは、相槌でもお礼でも無かった。
「……羨ましいよね」
「は?」
予想に反して、レッドは話題に対し口を開いた。イレギュラーなリアクションに驚いたのとその言葉の意味を捉えかねたのとで、俺はぽっかりと口を開く。
「…織姫と、彦星が」
「あぁ、……え?」
「?」
「羨ましいか?」
「……うん?」
さらには、織姫と彦星が羨ましいとまできた。思わぬ齟齬に二人そろって首を傾げる。
「……だって二人は、必ず会えるだろ」
と言うレッド。そういう話か。やっと主語述語補語がはっきりしたところで、俺も反論をする。
「て言ったって、一年に一度だぜ?羨ましいどころか可哀想な話じゃねーの」
確かあの話は、天の川にその仲を裂かれた恋人達の切ない話だったはずだ。何となく自業自得な気がしないでもなかったが、一般的には悲恋と称される類だろう。それがなぜ、レッドの手に掛かると羨望の類に変わるのか。
レッドは俺が先程渡したマグを見つめた。
「一年に一度って言ったって、星の一年なんて一瞬。…俺達はすぐに死ぬから、一瞬しか一緒にいられないのに、……あいつらは永遠みたいな時間を、二人で生きていける」
黒いコーヒーの表面に星空でも見たのだろうか。レッドは口を付けずに、食い入るようにマグに視線を落とす。
言われてみれば、そうかもしれない。羨ましい話かもしれない。億光年なんて頭の眩むような数値の前では、一年なんて瞬きする間みたいなもんだ。織姫と彦星にとってそれは大した悲しみじゃないのかもしれない。むしろ、悠久の時を逢瀬に費やすその運命は、レッドの言うとおり羨むべきものかもしれなかった。
「…でもな、俺達は毎日でも会えるだろ」
俺はレッドの肩を抱き寄せた。
「永遠に次を待つ一生より、限られた一瞬の中でもすぐにレッドの肩を抱けるほうが、俺は幸せだ」
限られた短い時間の中でめいいっぱい輝く、人間ってそういうものだろ。レッドの羨む気持ちが分からないでもない。だけど俺は織姫も彦星も羨まずに愛してやる。
耳元で囁いてから、軽く口付けでやった。いつものレッドなら恥ずかしさから外方を向くところだ――だが、今日のレッドはどこか変わっているようだ。数瞬沈黙した後に、ゆっくりとその身を俺に預けた。
「……なら、」
「ん?」
「……一生、傍で、俺を愛して」
「当然だろ」
雪が囁くかのような告白に俺は笑った。
シロガネ山から天の川を覗くことは出来ない。だが洞窟から見える白い吹雪は、まるで星のようにきらきらと瞬いていた。
100707